第215話 死ぬ気で走れ!
「この先に川が見えよう。あの川はここから東の果て、モリスの森にあるセデスの泉から、マイルネの西に位置する海にまで繋がっている。我らが村はこの川を辿った先、泉の麓にある。よりシンプルに言えば、この川を沿って進めば、何事もなく村まで辿り着けると言って差し支えない」
「この川を真っ直ぐですね、わっかりました!」
確かにそれはそうなのだけど……。
しかし川は蛇行し入り組んでいるうえ、森の木々に阻まれて視界も悪い。そんな中を高ランクの魔物と対峙しながら進むとなれば、並の冒険者では普通に命を落としてしまうだろう。彼らはCランクの冒険者と言っていたから簡単に死ぬことはないと思うが、それでもシルシルについて村まで到達するなど最初から不可能だ。森で迷った挙げ句、村の者たちが助けに向かう未来がもう見えているじゃないか!
「先に言っておく。我らに捨て置かれ森で魔物に襲われたとて、我らが手を貸すことはない。良いな?」
「は、ハイ! が、頑張りましゅ!」
いやいや、本当に大丈夫なのか……?
一斉に敬礼しちゃってやる気満々ですけど、俺もう知らないよ!!?
「では参る。準備は良いな?」
小さなモコモコたちは、矢印の隊列に並び、太短い足に力を込めた。シルシルの背中で仕方ないなぁと右手を掲げたマーロンさんが、位置についてと号令をかけた。
『 よーい、……スタート! 』
四肢に魔力をまとわせ、硬い土の地面をひと蹴りする。
飛び出したシルシルが、グンと加速し、秒ごとに速度を増していく。それと比較にならないスピードでぴょんと走り出したモックさんは、恐ろしい速さで駆けていくシルシル相手に、たった数秒で大差をつけられ離されてしまった。だから言わんこっちゃない!
「あー、……もう見えなくなっちゃった」
額に手を当ててマーロンさんが呟く。
そんなの当たり前じゃないかとシルシルの耳元でぼやくも、「武士の情けはかけませぬ」と手を抜く様子は微塵もない。鬼かよ。
ものの数分で探知可能な範囲をオーバーし、居場所不明になってしまったビーバー族を置き去りに、シルシルが問答無用で引き離しにかかる。だけどこれで彼らのことを気にする必要がなくなったと思えば、それはそれで良いことなのかもしれない。
「でもちょっと可哀想なことしちゃったかな」
同じ獣人族同士、思うところがあるのかもしれない。
マーロンさんは、どこか寂しそうな表情だ。
しかしシルシルの顔は真剣そのもので、ひとつの手心も与えない本気度だ。
これではもはや、結果を見るまでもなさそうだ。
退屈さにかまけた俺は、連日の疲労に加えて寝不足続きの睡魔に襲われ、欠伸を一つ。「村に着くまでお休みください」というシルシルに甘え、しばしの休息を取ることに決めた。しかしその時だった。
ううううと大地が唸るような音。
シルシルの身体を通じ、地面の底から伝わってきた異音に耳を奪われ、俺は思わず身を起こした。どうやら同じく異音に気付いたシルシルも、「なんだ?」と周囲に目を光らせる。しかし一見したところ、それらしきものはどこにも見当たらない。
未だ降り続く雨の中、いよいよ森に入った俺たちは、ずっと続いている異音の正体を探り続けていた。こころなしか近付いているとすら思わせる微かな異音は、未だその正体を現すことなく鳴り続けていた。
「なぁシルシル。これなんの音なんだ……?」
「我もずっと出処を探っているのですがわからぬままで。一度高き場所から確認いたしましょうか」
そう呟くと、シルシルは近くで一番高い木を駆け上り、てっぺんからさらに高く飛び上がった。「ホッホ~」と眠気も飛んでしまうほど激しい風に揺られながら、周囲360度を回し見た俺は、そこで初めて音の正体を垣間見る。
「ねぇハク、あれなんだろう……?」
先に気付いたのはマーロンさんだった。
彼女が指さした先。俺たちが走ってきた後方から、さらに遠く。雨粒と川の水が揮発してできた薄い雲の隙間から流れた光の筋を、微かな揺れが弾く。眼下の川伝いに広がっている細い道と、鬱蒼と生い茂った森だけが映る風景の中に、時折浮かび上がるように跳ねる雫がひとつ。まだまだ遠く、一キロ以上の距離があるものの、激しい音を鳴らしながら、何かが蛇行しながら飛沫を上げていた。
「な、なんだありゃあ……?」
音の原因は、まるで川をなぞるように移動し、ほんの少しずつこちらへ接近していた。異音は確実に大きくなり、より確実に、俺たちの腹の底を揺らすよう、自らの存在をアピールしているようだった。
川沿いの木々をなぎ倒すほどの勢いで近付いてくる音は、全速力で走っているシルシルよりも僅かに速く、距離は離れているものの、確実にその距離を詰めていた。まさかと呟いた俺は、シルシルの背から飛び出し、空中に身を投げ出してさらに広範囲へと探知の幅を広げた。すると――
「は、はは……、嘘だろ……?」
検知した異音の正体。
それはあまりにも、あまりにもすぎる言葉だった。
『 ハ ー ク ー た ー ま ーーー!!! 』
思わず顔が歪んでしまう。
バチャバチャと水面を叩く音に加えて、聞き覚えある声で俺の名を叫ぶ誰かの存在。
慌てて空中の壁を蹴ってシルシルの背へと戻った俺は、「急げ、速度を上げろ」と誇り高きウルフ族の尻を叩く。
「村長殿……? も、もしや」
「そのまさかだ。アイツら、追いついてきてるぞ!」
思わず笑みがこぼれる。
声の主の正体は言わずもがなのビーバー族で、なんともなんと、川を猛スピードで泳いで、俺たちとの距離を一気に詰めていやがった!
「え、ちょっと待って。さっきの音、本当にモックさんたちなの!?」
「間違いなく。アイツら、こんな奥の手隠してやがったとは。まったく俺たちの想像の大外からまくってきやがったぜ!」
しかも。しかもだ。
当たり前だが、通常川というものは、常に海へと向かってその水流を泳がせている。
言ってみれば、泉へ向けて泳ぐという行為は、水の流れに逆らって進んでいるということ。それはつまり……
『 ハーーークーーーたーーーまーーーー!!!! 』
奴らにとってさらに不利な条件を覆し、俺たちとの差を詰めてるってことだ!
「おいおいおい、マジか、マジかよ……」
シルシルが手を抜いている様子はない。
なのに奴らの水面を蹴って接近してくる音は、秒ごとに確実なものとなっている。
思わず笑ってしまう。
俺の知らない世界はまだまだあるんだなと、笑いがこぼれて止まらない!
「なぁシルシル。そういえば、お前が負けたときの条件を決めてなかったっけ」
俺の言葉にピクリと耳を動かしたシルシル。
不服そうに僅かに振り向くなり、これまでより強く四本の脚に魔力を込めて強く踏み切った。
「よ~し決めた。負けたらこの前約束した美味い飯の件はなしな。嫌だったら死ぬ気で走れ、誇り高きシルバーグロウウルフの長、シルシルよ!」
ワオーンと遠吠えを響かせ、シルシルがさらにスピードを上げた。
そうして俺たちは、過去最速時間を僅かに更新し、村までの道程を恐ろしい速度で駆け抜けたのだった ――
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