第207話 悪いのは、わたし
やはりどうしたって様子がおかしすぎる。
不自然なほど力のこもった指先と、目を合わせようともしない彼女の横顔が、また俺の困惑に拍車をかける。
悲嘆に暮れたような、そんな表情。
どうしてそんな悲しそうな顔をしてるんだよ。
気付かぬうちに、俺はキミに何かしてしまったのかい?
ずんずんと進んでいってしまう俺たちを、ネイサンが焦って追いかけてきた。しかし彼女の歩様は次第に早くなり、いつしか駆けるほどになっていく。たまらず「マーロンさん?」と声を掛けるが、彼女は振り向きもせず走り続けた。
「待ってください、ハク様。どうか見捨てないでぇッ!」
それでも男の声にピクリと反応した彼女。
足は止めたものの、やはり様子がおかしい。さすがに誤魔化せず、理由を聞こうとした次の瞬間、険しい表情で振り返った彼女は、息切れして膝に手をついているネイサンに冷淡な口調で言い放った。
「貴方は、……キュリオスの商人だと、そう言いましたね」
息も絶え絶えに顔を上げたネイサンが「え?」と呟いた。
「そ、そうですが。それがどうかしましたか……?」
「……だとすると、貴方は今、『獣人の私』とこうして会話しているだけでも苦痛、ということになりますよね?」
妙な言い回しで質問した彼女に対し、ハハハとカラ笑いを浮かべながら困惑しているネイサン。しかし俺は行間が読めず、「マーロンさん……?」と聞き直すほかない。
「貴方たちキュリオスの民からすれば、さぞかし可笑しいのでしょうね。私のような獣人風情が、我が物顔で町中を歩いていることが」
「え……? そ、そのようなことは滅相も……!」
彼女の一言に、俺の眉にもシワが寄ってしまう。
たとえ世間知らずの俺だとしても、いま彼女が口にした言葉の意味はあまりにも大きい。どうやらこの状況は、俺が考えていたものとは180度違っているのかもしれない。
「マーロンさん、その話、ここではよそうか。ネイサンも悪いけど、今日はここまでにしてもらえるか」
「い、いえ、で、ですが……」
「悪いな。明日、俺ひとりで話を聞くよ。場所はそうだな……、冒険者ギルドでいいか」
俺はそれ以上のやり取りを避けて、一度ここで別れようとネイサンに願い出た。どうやら彼もいかんともしがたい空気を読み取ったのか、大人しく手を引き、今夜はマイルネの宿に泊まりますと告げ、トボトボと町の喧騒に消えていった。
こちらに背を向けたまま何も言わないマーロンさん。
ふぅと大きく息を吐いた俺は、まるで考えが及んでいなかった自分を恥じるしかない。
思い起こせば、これと似た状況は過去にもあった。
……いや、よくよく考えればごくごく自然なことだったのかもしれない。
「ああ、うん、そうだね。……ごめん」
「…………どうして、トアが謝るの? 悪いのは私なのに」
返す言葉に詰まってしまう。
考えが至らなかった自分に心底腹が立っているからだ。
「ずっとコイツと一緒に行動してきた俺だからこそ、先に気付かなきゃいけなかった。……本当にごめん。俺のせいで、キミを傷つけた」
彼女の様子がおかしかった理由。
馬鹿な俺にもようやくわかった。
名目上、公平・公正が保たれているこの国に暮らしてきたせいで、彼ら獣人を取り巻く環境のことなど、いつしか頭から消え去っていた。
種族に限らず身分が保証されているこの国でも、一部の者に対する風当たりが弱いわけじゃない。表面上は彼らを問題視する者はおらずとも、内心 彼らのことを下に見ている者がいるという事実が、俺の頭から完全に抜け落ちていた。
これまでも他国の者と接する機会はあった。
しかしそのほとんどが獣人や彼らと接してきた者たちばかりで、気にする必要すらなかった。
しかし、アイツは違う。
俺の知らない第三国のヒューマンという時点で、すぐ気にするべきだった。
俺と彼女たちの中にある、根本的な考え方の違いについて……。
「ううん、私の方こそごめんね。ははは、もうずっと慣れたつもりでいたんだけどさ、どうしてもね。それに――」
同じように声を詰まらせた彼女は、どうにもならない怒りなのか、それとも悲しみなのか。言葉にならない感情を絞り出すように言った。
「ネイサンに悪気がないのはわかってる。でも……、やっぱりキュリオスの奴らと行動するのは、猫族の民として、いいえ獣人のひとりとして、許容することはできない」
俺はこの国の歴史も、ましてや隣国のことなど何も知らない。
それでも彼女たち獣人を取り巻く歴史の一端ぐらいはわかっているつもりだ。
この国へ初めてやってきた夜もそうだった。コイツを見つけて嬉々として絡んできた奴らがいたように、彼女たちは世界から長らく蔑みの対象とされ生きてきた。国によっちゃあ、今なお現在進行系で迫害は続いている。恐らくはキュリオス王国も……。
「トアは知ってるかな。前にハロンヌさんが言ってた、獣人族とエルフの間で大きな戦争があったって」
「ああ、キノコの件で占ってもらったときに、なんとなく」
「私たちの前の前の前……の頃の話。私たちの祖先は、もともとキュリオス領の外れに、獣人たちの村を作って暮らしていたの。だけど王国の民は、私たち獣人の存在を決して認めず、ついには武力で私たち獣人族の民を追いやった。国を追われた獣人たちは、新たな土地を求めて旅に出たの。……だけど私たち獣人族に、安住の地なんてものは存在しなかった。流れ着いた土地土地でも、私たちを受け入れてくれる人なんかいなかった」
なんとなく、想像はしていた。
どうして彼女たち猫族が、危険なモリスの森の奥地に住んでいたのか。
初めて彼女と会った時、どうして人の言葉を話さなかったのか。
今もなお、どうして町や人々と距離を取り続けるのか。
どうして仰々しくもある爵位という『権威の象徴』を、甘んじて受け入れたのか。
全ては彼女の、いや、獣人族のため。
自分のためだけじゃない。全ての獣人たちのために、彼女は動いていたんだと。
「トアの言いたいことはわかるよ。ネイサンのことだけじゃない。確かにギルドのみんなやムトたちは良い人だよ。……だけどね、ふと不安になるの。この人たちもみんな、もしかすると、いつか私たちに牙を剥くんじゃないかって。ううん、そうじゃないことはわかってる。だけど、……駄目なの」
ふと頭上から降りたポンチョがマーロンさんに抱きつき、「マーロン、悲しい?」と聞く。「大丈夫だよ」と抱き上げた彼女は、顔を背けて服の袖で拭くなり、笑顔を浮かべてみせた。
「ポンチョはトアのこと好き?」
「ふにゃ~? ポンチョ、トーア好きー!」
「フフッ、そうだね、ポンチョはトアのこと大好きだもんね」
「ポンチョ、トーア好きー! マーロンも好きー!」
「ホント? 嬉しいな!」
モコモコの横顔にキスした彼女が、戯けてポンチョを抱きしめた。「キャー!」と楽しそうに身を捩ったポンチョは、彼女の胸元から飛び降りると、「追いかけっこするー!」と駆けていく。
「よぉし、捕まえちゃうぞ~♪」
努めて明るくポンチョを追いかけていった彼女の後ろ姿を見つめる。
いつも当たり前にあると思っていた彼女の笑顔の裏には、俺なんかでは想像もつかない苦悩や葛藤が隠れているのだろう。
俺はどうするべきなのだろうか。
ただその答えを出すのはきっと簡単じゃない。
だけど――
「……ま~た難しく考えてらぁ。俺の悪い癖だな。バカなんだから難しく考えんなよ」
そうだ。俺は俺が守りたい人のために全力を尽くす。
たとえ世界中全ての人が敵だとしても、俺を頼ってくれた全ての人のために生きていく。そう決めていたはずだ。
「キャー、トーア、ポンチョが掴まえたー!」
モコモコの短い両手が俺の足にしがみついた。
俺はそいつを高く抱え上げながら、「なにを~、このモコモコさんめ!」とくすぐってやる。ニャハハという賑やかな声が沿道を抜けていく。
「どうにかなるさ。一切合切、俺に任せとけ!」
この一瞬を胸に刻みつけろ。
俺は自分自身に命じながら、全てを洗い流すように笑い、
そして誓うのだった――




