第002話 毛だらけのアイツ
掠れた視線を何かが遮った。
焦点が合わない俺のことを覗き込む何かは、「だいじょ~ぶ? だいじょ~ぶ?」としつこく質問した。あまりのしつこさに、俺は死を目前にしながら思わず心の中でツッコんだよ。「テメェには大丈夫に見えんのか!?」って……。
「ト~ア、痛い? でもだいじょ~ぶ、ポンチョ、これ持ってるー!」
ぽん、……ちょ?
聞き覚えのある間抜け声が、俺の頭上でゴソゴソと動いた。どうやらソイツがいつも背負っている荷物をひっくり返し、「あれ、あれ、ない、ない」と慌てているらしい。
なんなんだよ、それ。
場違いにも程があるぜ?
「あれ~、あれ~、あれ~? おかしいな、おかしいな、あー、あったー! あったよー、あった、ト~ア、あったよ~! ト~ア、嬉しい? 嬉しい?」
もう何がなんだかわかんねぇよ!
こんな声、幻聴に決まってる。
どうして最期の最期で、なんだってアイツの声が聴こえちまうんだ。
……
…………
最悪の人生でも、一つや二つ、良いことはあったさ。
……俺ぁな、モフモフが好きなんだよ。
九州の田舎に住んでた頃からだ。もうずっと昔から、俺はもふもふに恋い焦がれてた。辛いとき、死にたくなったときは、そんな幸せだった光景を目に浮かべて現実逃避したもんだ。
そんなときだったか。
どっかの胸糞悪ぃ貴族に捕まってた間抜けな獣人を、気まぐれに助けてやったことがあったっけな。
そいつの毛がさぁ。
ふわふわで、そりゃあもう、気持ちいいんだ。
触るともっふもふでよ。
俺の血塗られた指先で触れても、いつだって柔らかに押し返してくれんだ。
そいつ、いっつも笑顔でさ。
ト~ア、ト~アって、気まぐれに俺の名前を呼ぶんだよ。
俺にはこの世界のクソ共に付けられた別の名があったけど、なんでかそいつだけは俺のことを昔の名前で呼んでくれた。俺がまだ血塗られる前の、神之 十碧という文字が、頭に浮かび、静かに消えていく。
「これ、ポンチョの宝物! ト~アがくれた、ポンチョの宝物! でもポンチョ、ト~アの方がもっと好き! やあっ!」
ジャバという音とともに、俺の頬を冷たい何かが濡らす。最後の最後に何をしてんだと他人事のようにツッコんだ俺の視界が白み、さらに光を増し、何も見えなくなっていく――
いよいよ終わりか。
覚悟を決め、強張らせていた全身から力が抜けていく。
もし来世があるのなら、今度の今度は静かに、アイツみたいなモフモフに囲まれた人生を送りたいもんだな。
……………………
………………
…………
……
…
…
……
…………
………………あれ?
「って、俺はいつ死ぬんだよ!!」
意識がはっきりしてきた。
白んでいたはずの景色も、なんだかドロドロした黒ずんだ見たくもないものがくっきり見える、気がする。
「ト~ア! まだ痛い? ポンチョ、お腹へったー!」
バフッ!
何か柔らかいものが俺の顔面の上でバタバタ跳ね回っていやがる。
……だがこれはこれで、なかなか。
俺の傷つきまくった肌を撫で回す柔らかく滑らかな触感。暖かな陽の光に熱された冬場の布団のような、い~い匂い。乳臭さというか、ネコの肉球のすれたような匂いというか、なんとも形容し難い気分にさせられる。
しかしそんなわけはない!
俺は剣聖の一撃をくらい、瀕死の重傷を負っている。腹は裂かれ、骨は砕け、目は潰れ、足は削られ、魔力も尽き、身動き一つとれない状態だ。
それが、どうして……?
「ト~ア、ポンチョジャーンプ!」
ボフッと何かが顔に覆い被さり、俺は思わず動かないはずの右手でそれを摘んだ。何事もなかったように動いてしまった俺の右手が、子供のように無邪気に笑っている可笑しな生き物を掴んでいた。
「ぽん、……ちょ……?」
「うん、ポンチョ! ポンチョだよ! ニャハハハ!」
俺はそいつを摘み上げながら、左手で自分の頬に触れた。あれだけあった痛みがなくなり、潰れて無かったはずの右目まで見えている。
それなのに周囲の風景は、無邪気にはしゃぐ生き物とは対照的に、無惨に崩れ、熱に焼かれ、生物すら存在できないほどに破壊されていた。
「どうして、俺は生きて……?」
地についた手の先に、カツンと硬い何かが触れた。掴んでポンチョの隣に並べ、目線で訊ねてみる。
「あ、ポンチョの宝物! う~んと前、ト~アくれた!」
俺が握っていたのは、随分昔にくれてやったハイポーションの空き瓶だった。しかもそいつは俺が調合した特別製で、欠損した体のパーツすら回復させてしまうほど優れた俺の『最高傑作』だった。
「そうか……、お前が……」
褒めてほしそうに小刻みに呼吸しているソイツの頭を撫でながら、しかしそれでも何一つ変わらない俺の未来に悲嘆し、顔を伏せた。ここで死んでいれば、俺はもう、これ以上苦痛を感じずに済んだ。これで全てを清算できたんだという後悔の念のようなものが押し寄せ、怒りにも近い感情が全身を襲う。
「ト~ア? だいじょぶ?」
柔らかな指先が俺の頬に触れる。
しかし俺はこの先に待っている自分の運命を想像し、何も答えられなかった。するとソイツは、俺の頬をポンポン叩きながら、涙を流す俺の顔を何度も撫でてくれた。
「ト~ア、まだ痛い?」
「ズルっ、あ゛あ゛、痛いな。とってもいだいよ」
「ソレダメ! ポンチョ、トーア悲しいキライ! ポンチョ、トーア楽しいすき!」
俺の肩に乗り、後ろから俺の頬を引っ張る。
なんだよ、やめろよ。
そんなことされちまったら、もう笑うほかないじゃねぇかよ。
「やめろ、やめろって。ポーション一本で完全回復するほど俺の身体は上手くできてねぇんだから」
「トーア笑った! トーア、楽しい?」
「はいはい。……楽しい楽しい、いや、……楽しくは、……ねぇな」
俺は俺を除く六聖者を全員殺しちまった。こうなれば、あとはもう総力戦。アイツらは俺を殺すために、後先考えず全勢力を差し向けてくるだろう。
個の力は小さくても、圧倒的な数の前では俺の力など無意味だ。何より首輪を付けられている以上、奴らには俺の場所など全部筒抜け。逃げることも隠れることすらできねぇ。
「どのみち終わりか。これがある限り……って、……あれ?」
煩わしい首のモノを指先が探す。
が、……ない。
「ト~ア、これな~に?」
頬に冷たい何かをぐいっと押し付けるムニムニハンド。ちょい待てと受け取ったのは、魔力を失った元神託之首輪だった残骸だった。
「おい、……おいおいおいおいおい。おいおいおいおいおいおいおいおい!!」
俺はポンチョをポーンと放り投げ、自分の首に何度も触れてみる。忌々しい呪われた首輪が外れ、俺を縛っていた全てから解放されているじゃないか!?
「たかが噂だと思って信じてなかったが。確か契約で縛り付けてる本人が死んだとき、自動的に契約を解除して外れるってあの噂。あれか、俺が全魔力を失って、一度完全に肉体が死んだからか!? マジかよ、マジきたこれ!!」
「うにゃー! ト~ア嬉しそー!」
「おおよ、これを喜ばずにいられるかよ。マジか、マジかこれ、嘘だろおい!?」
一緒になってキャッキャ喜ぶポンチョを高い高いで祝いながら、俺は頬を伝う涙を拭うことなく泣いた。
この世界にきて、初めて心の底から声を上げて泣いた。
そして初めて、心の底から安堵した。
もう人を殺さなくていいんだって――
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