17. 対面販売って、難しい……
「これちょうだい」
ドサッと大量の野菜を置かれる。少々お待ちください、と俺は電卓を叩いて合計金額を計算した。
だが、途中で何個か取り除かれて別の野菜を置かれた。心変わりしたのだろう。初めからやり直そうとすると、また買う物を変更された。
あれ、待って。これとこれが二百円で、これが百八十円だったっけ? いかんせん野菜の種類が多いので、把握しきれていない。俺は混乱したまま電卓の数字を読んだ。
「ええっと、全部合わせて二千三百三十円、です」
「うそぉ! そんなに高くなるわけないじゃない。もう一回計算してよ」
「は、はいぃ」
お客さんと共に、一つ一つ値段を確認して打ち直す。やはり俺の計算の方が正しかった。こんなに高くなるならいらない、とお客さんは野菜を全て置いて去って行った。無駄な労力を消費させられた俺は、泣いた。
「うっうっ、那須くん、うぐ」
「なんだよキメェな」
コーヒーを二つ持って戻ってきた那須くんは、薄気味悪そうな顔をした。マーケットに出店している珈琲屋さんから試飲をもらったそうだ。香りの良いエチオピア産コーヒーをすすっても、心はくたびれたままだ。
「俺、販売向いてない。全然駄目だ。那須くんが休憩行ってから一円も稼いでないし」
「うっざ。うじうじしてる奴とか生理的に受け付けねーわ。泣き言いう暇あったら働けウジ虫」
那須くんはコーヒーを飲み終えると、在庫のチェックを始めた。俺は暗い顔で頷き、のそのそと接客にうつった。ちょうど眼鏡をかけたお姉さんが人参に目を止めていたので、近づいて話しかけた。
「こんにちは。そちらの赤人参、生でも人参臭くなくてとても食べやすいですよ」
「ふうん。ねえお兄さん、この人参と雪下人参って、どう味が違うの?」
雪下人参――赤根さんたちが美味しいと話していたけど、俺はまだ食べたことがない。俺の地元の新潟でも雪の下人参は有名だけど、ブランド野菜だからやはり味わったことがなかった。
「すみません、俺雪下人参食べたことないから分かりません……」
「あらそう、じゃあもういいです」
お客さんはどこかイライラした様子で、手にしていた人参を置いて去って行った。なんだよ、俺が何の罪を犯したっていうんだ……『雪下人参食べたことない罪』で処刑されるのかよ……。
「天見、笑顔」
見かねた那須くんに注意されるほど、げっそりした顔をしていたらしい。このままでは接客どころか、俺のどんよりオーラでお客様が逃げて行ってしまうだろう。だからといって、一度急落下したモチベーションがそう簡単に上がるわけがない。
いやだ、もういやだ。人と会話なんてしたくない。俺みたいなゴミ人間がこんなきらびやかな大都会に出てくること自体間違いだったんだ。商店街の中央にそびえ立つ、リア充の象徴たる絢爛豪華なクリスマスツリーが俺を嘲笑っているような気がした。
ああ、悪口が聞こえる。皆どうせ俺のこと馬鹿にしてるんだろ、「仕事のできない役立たずだ」って。赤根さんたちが真心こめて大切に育てた野菜が、俺のせいで山のように売れ残っていくんだ。
「おい、そろそろ休憩いけよ」
「いい、働く……今までの分稼がないと、赤根さんに顔向けできない」
俺の精神状態が悪化していることを察したのか、那須くんは気遣わしげに口を開け閉めしている。やっぱり良い人だなあ。迷惑かけないように、もっとしっかりしないと。
人に見せられる顔を作るために表情筋を指でほぐしていると、早足で急接近してくるお客さんがいた。
「ちょっとあんた、さっき買った野菜腐ってたんですけど! 気持ち悪い!」
顔を赤くして怒る女性の手には、今朝俺が詰めたミニパプリカの袋が握られていた。
たしかに、白パプリカの下半分に茶色の斑点がある。完全に俺の見落としが原因だった。
結果として俺はそのお客様に平身低頭して謝り、ありとあらゆる非難の声を真正面から受け止めた。まただ、また俺のせいで赤根農園の評判を落としてしまった。
取り返しのつかない失敗をしてしまった絶望感から、俺はお客様が商品を叩きつけて去るのを見送った後、テントから抜け出してあてもなく歩き出した。
気力も体力も尽き果て、幽鬼のごとく徘徊する。
こんなに華やかなアーケード街を歩くのは初めてだ。宝石のような街灯の輝きに照らされた煉瓦敷きの地面には、ごみ一つ落ちていない。ひっきりなしに人々が行き交っているが、田舎生まれの俺の目には全員が上流階級の住人に見えた。
途中、カメラを持ったテレビクルーの一団に遭遇する。
「はい、今回の『旅して東北』は、ここ宮城県仙台市ムーンモール商店街を中心にぶらぶらしていきたいと思います! ちょうど今『伊達味マーケット』というイベントを開催しているようなのですが……あ、そこの奥様! 買い物袋の中身を拝見してもよろしいですか?」
若さあふれる地元局の女子アナウンサーが張り切って取材している。カメラに緊張した俺は、話しかけられたわけでもないのにこそこそ隠れてその場を過ぎ去った。
いざ持ち場のテントから離れてみると、他の出店者はわりと暇そうにしていることが分かった。明らかに客足が赤根農園に集中している。
そりゃあ、50種類もの珍しい野菜を所狭しと並べてる八百屋なんて他にないもんな。那須くんの懇切丁寧な対応のおかげで、常連客だけでなく新規のお客さんも満足げに買い物をしているようだった。
へっ、どうせうちは金儲けに貪欲だからガツガツ接客してますよ。なんて無意味に自虐的になってしまったが、改めて赤根農園のもつパワーはすごいんだと思い知らされた。
赤根さん、芹沢さん、九条さん、そして今まさに野菜を販売している那須くん。皆今日のために頑張って準備してきたんだ。俺一人のミスのせいで赤根農園の名に泥を塗るわけにはいかない。
……でも、怖い。次は先ほどの失敗を上回る大失態を犯してしまうのではないかと、臆病になっている自分がいる。気を抜くと「戻りたくねーよぉ……」と声に出してしまいそうだ。
俺はいつの間にか、先ほどトラックを駐車したパーキングまで戻って車の傍にしゃがみこんでいた。何してんだ、早く戻らないと。那須くん一人に仕事を押し付けて申し訳ない。
そうは思っても中々重い腰を上げることができず、俺は自信喪失したままそこでうなだれていた。
なので、近づいてくる人影の気配にぎりぎりまで気付かなかった。
「君、何をしてるんだ? もしかして不審者かな?」
「はっ、え、ち、違います!」
突然話しかけられたせいで動揺しまくり、引っくり返って尻餅をついた。
さすが大都会、治安維持にも力を入れているらしい。那須くんが連れ戻しに来たのかと思いきや、どうやらポリスマンの職務質問だったようだ。
「お、俺本当に怪しい者じゃありませんから! ただちょっと自分の存在意義について自問自答して、哲学の小径に迷い込んで足元が揺らいでいた悩める青少年なだけですから!」
「ははは、変な子だな君は。いかにも優作と波長が合いそうだ」
早口で弁明すると、ポリスマンは快活な笑い声を上げた。おそらく二十代後半だろう。
仕立ての良い黒いコートを嫌味なく着こなして、赤茶色の髪をワックスで後ろに流している。どこか腹に一物抱えていそうな油断ならない印象を受けた。というか、制服姿じゃない以上ポリスじゃないよな、うん。その男は車の側面を軽くノックした。
「見覚えのあるナンバーの車があると思って引き返してきたら、やはり赤根農園だったか。君は見ない顔だね、新しい研修生かな」
「あ、赤根さんのお知り合いだったんですか? 天見と言います、どうも」
よそよそしく会釈しつつ相手を観察したが、とても農家の人には見えなかった。
綺麗な手には生傷一つないし、爪の間に泥が入っていない。極めつけは左手首に鎮座する高級腕時計だ。どちらかといえば九条さんみたく、どこかの企業のトップに君臨していそうな人だった。
「知り合いも何も、私はあいつの兄貴だ。株式会社『スイートハート』代表、赤根豊作。一応名刺もあげよう」
光沢のある茜色の名刺をスマートに差し出され、困惑しながら両手で受け取った。
あ、兄貴だと。赤根さんは自分のことを長男だと自称していたはずなのに。独立起業とか勘当とか、他人が触れてはいけないような兄弟間のいざこざがあったのだろうか。
「うちは主に水耕栽培でトマトを栽培していてね。ハウスはいいぞ。初期投資さえ怠らなければ、一年で生産性も安定して初心者でも楽に収益を上げることができる。これからは土耕より水耕の時代だよ。君も植物工場の存在くらいは知っているだろう?」
「は、はあ。お、俺が通ってた農業高校でも、水耕栽培のメロンとか作って結構評判だったみたいですけど。でも正直仕組みとかまではよく知らなくて……」
話すスピードが速くて追いつくのが精いっぱいだ。テニスのラリーで振り回される素人のように、俺は豊作さんとの会話中に息切れしそうになった。
「なら、明日にでもうちのハウスを見学しに来なさい。七時に迎えに行くから、そのつもりで」
「え!? いや、そ、それはちょっと」
ノンストップで強引に話を進める豊作さんに拒否反応が出る。
遠慮ではなくて本気で断りたい。水耕栽培には興味があるが、農園で赤根兄弟が鉢合わせになったら昼ドラなみの修羅場が幕を開けそうだからだ。
有機栽培と水耕栽培の血で血を洗うデスマッチ……弟の方の赤根さんはかなりトリッキーな性格なので、きっと包丁やゴルフクラブを持ち出してくるに違いない。すでに俺の脳内にいる赤根さんは、クワを素振りしてウォーミングアップをしている。
「優作は元気にしているかな。まあ声は毎日聴いているから心配ないが、血圧や体重の変化が気になるな。やつれてはいないだろうか。かわいそうに、あんな古臭い農園見限って私の会社に就職すれば安泰なのに……まあいい、じきに家ごと潰してやろう」
豊作さんは長い独り言を零して俺の元から離れ、靴音を響かせて裏通りへと消えて行った。
正体不明の怪物に話しかけられたような、得体の知れない怖さだけが残った。俺はどうしたらいいか分からず、立ち上がってその場から逃げるようにテントに戻った。
気まずい感じで無言のままスペースに入ったが、那須くんは特に反応するわけでもなく平常通り接客していた。
鬱々とした気持ちがわずかにリセットされた気がして、俺は緩んだエプロンの紐を縛り直して販売の仕事に復帰した。




