18. 仙台のお菓子って全部うまいから大好き
そんな俺の元に、杖をついたおじいさんが近づいてきた。その手には赤かぶが握られている。
「お兄さん。この赤かぶ、丸ごと甘酢漬けにしたら何日くらいで食べ頃になるかな」
「えっ? ああ、えーと。ちょっと分から――」
「小さいものでしたら一日で漬かりますけど、このくらいの大きさだと三、四日で食べ頃になりますよ。砂糖はざらめをお使いください」
言葉に詰まる俺に代わって、横から入ってきた那須くんが笑顔で答える。俺はさっと身を引いてバトンタッチした。己の無知さが情けない。もっと勉強しなければ。
「そうか……昔女房がよく作ってくれたんだけど、ぼくには作り方が分からなくてねえ。久しぶりに食べたくなっても、死んだ人に聞くこともできないし困ったもんだよ」
おじいさんは、皺だらけのたるんだ口元を綻ばせて赤かぶを見つめていた。俺はますますどう返事していいか分からなくなった。すると那須くんは、控えめな声で提案した。
「……あの、もし良かったらオレの家でやってる漬け方をメモに書きましょうか。味は違いますけど、雰囲気は似ているかもしれないので……」
「おお、それはありがたいねえ。お願いするよ」
「奥様が漬けていたかぶって、もしかして庄内の温海かぶですか? オレの祖母も毎年冬になると漬けてくれるんですよ」
那須くんはメモ帳をポケットから取り出して、丁寧な文字で必要な材料と漬物の作り方を記した。切り離し、赤かぶを購入したおじいさんに手渡す。おじいさんはそれを大事そうに財布の中にしまい込んだ。
「どうもありがとう。家に帰ったら試してみるよ」
「こちらこそ、ありがとうございました。お気を付けて」
那須くんは頭を下げて、赤かぶの入った袋を手にゆっくりと歩いて行くおじいさんの背中を見送った。その後振り返り、いつもの凶悪犯みたいな極悪フェイスで俺を睨みつけてきた。
「おいテメー、お客様の前で『分かりません』は絶対に禁句だからな。次から分かんねーことがあったら『申し訳ありません、ただ今確認してまいります』って言ってからオレに聞きに来い。まあ教えなかったオレの方が悪いんだろうけどよ」
「そ、そんな。那須くんはひとつも悪くないよ。ごめん、要領悪くて……」
「いっぺんどっかで合宿するか? 販売合宿。オレが持ってる知識総動員して徹底的に鍛えてやるよ」
那須くんは先ほどまでとは打って変わって、悪魔みたいな笑みを浮かべた。
この誘いに乗ったら最後、きっと絶海の孤島に連れて行かれて朝から晩まで声出し特訓をさせられるんだろう。そして少しでも彼の機嫌を損ねれば、海に突き落とされ人喰いザメの餌食になるのだ。
アホな妄想に怯える俺を放って、那須くんは赤根さんに在庫の個数を報告するべく電話をかけた。完売した売れ筋の野菜を伝え、明日はもっと多く持ってこれるよう準備してもらうのだ。売れないものは、赤根さんの指示によって値下げしていく。
イベント終了までに少しでも売れ残りを減らそうと、俺は勇気を出して通りがかりの人に声をかけた。誰も足を止めてくれないときは落ち込んだが、それでも諦めずに声を張ると何人かのお客さんが値下げしたものを買って行ってくれた。
十七時が近づき、周りの店員が店じまいを始める。俺は店先に人がいなくなってきた頃合いを見計らい、意を決して先ほど迷惑をかけた文具店のお姉さんに声をかけた。
「あ、あの。ご相談があるんですけども」
「はい?」
「じ、実は俺、お世話になっている人がいて。その人に贈り物がしたいんですけど……センスがまったくないので、ぜひ選んでいただきたくて」
ずっと胸の中で組み立てていた長台詞を、つっかえつっかえ口にした。色鉛筆をぶちまけた罪が、これで少しは償えるといいのだが。彼女は親身になって、俺の依頼に付き合ってくれた。
「お相手のことを教えていただけますか? 年代とか、好みとか」
「えっと、ぎりぎり十代の男の人なんですけど、いつも豹柄の服を着ていてとてもカタギには見えないんです。黒い車に乗っていて、実家が米農家で、釣りが趣味で漬物作りに詳しい……」
言葉で説明しようとすればするほど、おかしな人物像が出来上がっていく。
「ひょっとしてその人物はこの世に実在しないのではないのでしょうか」
と、俺の脳内にいる精神科医の先生が告げてくる。でもいるんですよご本人が。俺の後ろで後片付けをしてくれてるんですけどね。
お姉さんは、千円の予算に収まるようにいくつか商品を選んで紙袋に入れて下さった。おまけまでしてくれたので恐縮してしまう。なんでも国内や海外からこだわりの品物を取り寄せている「旅する文具店」というコンセプトらしく、どれもこれも非常にハイセンスで使い心地が良さそうだ。
「あ、ありがとうございました!」
無事にオリジナルセレクトの文具セットを手にして感謝の気持ちを伝えると、お姉さんも「気に入っていただけるといいのですが」と人の良さそうな微笑みを浮かべた。
おっと、こうしちゃいられない。那須くんは「人が働いてる間になに女といちゃついてんだ」と言わんばかりの刺すような眼でこちらを睨んでいた。俺は慌てて撤収作業を手伝った。
野菜が売れたおかげで空になったコンテナを軽やかに運ぶのは、ちょっとした快感だ。俺たちの頑張りが反映されている。
気持ち悪くなるほどの疲労感でぐったりしながら車に道具一式を詰め込み、助手席に乗り込んだ。料金所で駐車料金を払ってきた那須くんも運転席に座り、山形の赤根農園に帰るべくエンジンをかける。
彼も疲れているだろうに、行きも帰りも運転させて申し訳ない。でも俺も疲れた。もう限界。走行中シートに身を沈めてうとうとしていると、いきなり横から紙袋が飛んできた。
「なっ、何?」
「さっき買ったパン。食えよ」
びっくりして袋を開けると、中にはこんがりキツネ色の丸いパンが入っていた。そういえば、先ほどのイベントではパン屋さんも出張店舗を開いていた。舌の肥えた仙台っ子たちを相手に商売しているのだから、おそらく安くはないリッチなパンのはずだ。
俺ごときのためにこんな大層な物を奢ってくれるなんて。とっさに遠慮しようとしたが、魂胆を見抜かれて静かに怒られた。
「いいから食えっつってんだろうが。働いたら食うんだよ。腹減ってんだろ」
「あ、う、うん。ありがとうございます……」
「そのイラつく喋り方どうにかなんねーのかよ。そんなに怖ェのか、オレと話すの」
「ち、違くて。ごめん、いただきます」
どもりを指摘されたが、どうやったら治るのかなんてこっちが聞きたいくらいだ。俺はびくびく縮こまってパンを口にした。
バターの香りとともにサクッと弾けるクロワッサン生地。中にはなめらかなこしあんとホイップクリームがたっぷり詰まっている。変化球だが美味すぎるあんパンに食欲を刺激され、俺は夢中になって食べた。疲れた身体に甘さがしみる。
マザコンみたいで恥ずかしいが、新潟の母親にも食べさせてあげたいと思うほど感動的な美味さだった。
「おいしい……」
「もっと食うか?」
「那須くんが構わないのなら、ぜひ頂きたいです……」
「やらねーよ。もっと食いたきゃ今度はてめーの給料で買え」
信号待ちの間、那須くんも自分の分のあんパンを取り出して食べた。何だか珍しく機嫌が良さそうに見えるのは気のせいだろうか。
この機を逃してなるものか。俺はすかさず鞄からとっておきの恩返しギフトを取り出した。
「那須くん、俺もさっきこれ買――」
「テメーで使え。お前メモ帳とか持ってねーんだろ」
ありゃ。何を買ったのかまでお見通しか。図星だったため、俺は那須くんの言う通り自分で文具セットを使うことにした。
しかし黒いメモ帳に豹柄のマスキングテープなんて明らかに俺の趣味ではない。そもそもマスキングテープの用途がよく分からない。車内の電気を点け、メモ帳の一ページ目に今日の日付を書きとめた。
「那須くんからあんパンもらって、おいしかった、と……」
「ふっ、園児の日記みてーだな。他に書くことねーのかよ」
なんだか今日の那須くんはよく笑うような気がする。馬鹿にされているのは分かっているが、打ち解けた雰囲気が少しばかり嬉しくて、俺もつい笑ってしまった。
二時間後。二十時に赤根農園に着いた俺たちは後片付けをし、夕食をとって風呂に入り速攻でベッドに倒れ込んだ。那須くんも家まで帰るのが面倒だったらしく、なし崩し的にまた俺の部屋に泊まることになった。
あー、肉体労働とは違う意味で疲れた。会話のキャッチボールや金銭の計算で頭をフル回転させたせいだろう。もう二度と起き上がりたくない。俺は目をつぶった瞬間に意識を飛ばしていた。




