第二章 五百メートルの対決
男は、撃つたびに同じことをした。
銃口を下ろし、着弾した場所を確かめる。
それから、また構える。
源蔵は照準器から目を離さず、その動作を見ていた。
拳銃の弾は、こちらまで届いていない。少なくとも、今のところはそうだった。
だが、男は諦めなかった。
銃を構える姿勢に、迷いがない。肩に当てた木製のストック。両手で支えられた銃身。スライドの上に立つ、細長い照準器。
拳銃を扱っているというより、小さな狙撃銃を扱っているように見えた。
源蔵は、男の顔を観察した。
若い。
自分と、それほど変わらない年齢かもしれない。
頬はこけ、軍服は汚れていた。疲労の色は隠せない。それでも、その目だけは妙に落ち着いていた。
男は撃つことに焦っていなかった。
外れたことに腹を立てる様子もない。
ただ、結果を見て、次の一発を準備している。
源蔵は、ふと考えた。
あの男は、何をしているのだろう。
命中させることだけが目的なら、あんな撃ち方を続ける意味はない。相手が狙撃手だとわかっているなら、身を隠すべきだ。
それなのに、男はそこにいる。
こちらの弾が届くかもしれない場所に。
まるで、何かを確かめるために。
弾丸は源蔵の潜む土嚢の脇に着弾した。
そして乾いた発砲音。
土の粒が頬に当たった。
源蔵は反射的に身を縮めた。
「佐伯!」
伍長が小声で呼んだ。
「大丈夫です」
そう答えながら、源蔵は自分の心臓が速く打っていることに気づいた。
当たらないと思っていた。
その考えが、今、揺らいでいた。
男が次の一発を撃つ。
着弾はまた外れた。
しかし、さっきより近い。
偶然なのか。
源蔵は、男の動きを追った。
照準器をのぞく。撃つ。着弾を確かめる。そして、また照準器をのぞく。
その繰り返しだった。
男の顔に、喜びも怒りもなかった。
源蔵は、自分がいつの間にか、男の撃つ弾を待っていることに気づいた。
次はどこに落ちるのか。
どこまで近づくのか。
そんなことを考えている自分が、ひどく不愉快だった。
こちらには三八式改狙撃銃がある。
訓練も受けてきた。
相手は拳銃だ。
それなのに、主導権を握っているのがどちらなのか、わからなくなりつつあった。
「撃てるか、佐伯」
伍長が尋ねた。
「撃てます」
「なら、撃て」
源蔵は答えなかった。
撃つことはできる。
ただ、撃つべき瞬間を見極めようとしていた。
男は、まだこちらを見ている。
そのとき、男が初めて、わずかに顔を傾けた。
何かを聞こうとするような仕草だった。
風の音か。
遠くの銃声か。
それとも、源蔵のいる場所を探るためだったのか。
男の視線が、こちらの隠れている土嚢のあたりに止まった。
源蔵は息を止めた。
男は、見つけたのだろうか。
こちらの位置を。
いや、そんなはずはない。
そう考えた瞬間、源蔵は自分が何度も同じ言葉を繰り返していることに気づいた。
そんなはずはない。
拳銃が届くはずはない。
こちらを見つけられるはずはない。
相手になるはずはない。
その一つ一つが、目の前の男によって、少しずつ崩されていた。
男は銃を構え直した。
細長い照準器の上に、午後の光がかすかに反射した。
源蔵には、その照準器が、男の顔の一部のように見え始めていた。
男は、あれを信じている。
少なくとも、源蔵にはそう思えた。
何を信じているのかは、わからない。
銃の性能か。
自分の腕か。
それとも、ほかに何かあるのか。
男が引き金を引いた。
弾丸は、また土嚢の近くに落ちた。
源蔵は、照準を男の胸に合わせた。
もう、迷っている場合ではない。
しかし、その指が動く直前、男の銃口がわずかに持ち上がった。
源蔵は、そこで初めて理解した。
男は、ただ撃っているのではない。
こちらを撃つために、何かを学んでいるのだ。
そして、その学習が終わる前に、自分が男を撃たなければならない。
源蔵は息を吐いた。
照準の中で、男の姿が静止した。
引き金にかけた指が、ゆっくりと力を増していった。




