海魔女
月明かりなど、ないはずなのに。眩しく感じたユイトから、目を逸らした。ただ、単に目を合わせるのが苦手だとか、そういう理由の他に何かがある気がして。それは、ただの私の性なのかなんて、わかりやしない。
「な、なんでここが……」
「……転移魔法で、魔王城まで行く予定が、俺だけ座標ズレちゃったみたいなんだよね」
そう、ユイトは笑いながら言うけれど。私は何が何やら分からなくて、首を傾げた。私の様子を見た彼はというと、かわいー…、と呟いている。ただ単に私が言われ慣れてないからか。心の奥がムズムズする感じがして。なんか癪だな、なんて。
代わりに、と言っては何だけれど。ムッと頬を膨らませて、ユイトの足を少しだけ踏みつけておいた。ただの意趣返しだから、お互い様だもん、なんて理由を内心で添えて。
「……えーっと…今の状況は?」
案外、ダメージが入っていなかったらしい。もうちょっと威力上げてもよかったかもな、なんて反省。それから、ユイトの質問に返せるような回答を即座に用意した。……でも、"魔物化"の話だけは、まだ伏せておいて。まだ、ラファールの者には知られてはいけない、と分かっているからこそ、現状を正しく伝えきれない歯痒さに蝕まれる。
「最近から発生しだした病のようなものに罹った者の理性がなくなり、人々を襲う……今はその対処をしているのだ」
「なるほど」
ほぼ、雑な説明でも粗方理解はしてくれたらしい。それは、勇者のそもそものポテンシャルが高いのか、何なのかなんて。ただの私には知る由もない。
そもそも、こんな茶番をしている間なんて、あるはずないのに。
そう思って、サラに視線を移せば。ニヤニヤとした笑みに疲労を滲ませるとかいう、芸当を見せながらも、拘束魔法で"魔物化"の患者と、字のまま煙に巻かれてしまった騎士一名を捕縛してくれているようだった。これは、ニヤニヤした笑みに怒るべきか、捕縛に対して褒め称えればいいのか、わかんないな、と悩みながら、小さく親指を立ててみた。
「……それなら」
そう、ユイトが口にしたのが耳に入り、振り向いた。そこには、騎士を傀儡とさせた煙が塊となって、停滞していた。ぞわり、と悪寒が走る。
「……っ!」
じり、と片足だけ後ずさる。それが、何を意味する心理かなんて、とっくにわかっている。ただ、この勇者に守られるのも、父様から仮にとは言え、お借りしている魔王の地位を廃れさせる気がして。チッ、と小さく舌打ちして、前へと飛び出した。
「アリサ様!?」
サラの叫びを背中に受けて、ユイトの腕を引く。私の腕力ごときじゃ、後ろに投げ飛ばすことすらできないのはわかっているから、手にかけるだけ。
馬鹿か、なんて小さく呟いてやれば、へらり、とユイトは笑った。嵌められた、と思う間もない。それもこれも、ただの塊だった煙が人型を成し始めてしまったからで。それに私たちがおかしい、と思う間もなく、人型を形成した煙が嗤った気がした。
「……っ昏睡!!」
「おやおや…野蛮ですねぇ」
咄嗟に、唱えた魔法は空振りしてしまった。当たった感覚はあったのに、なんて思わずにはいられない。もしかしたら、と先程のぞわりとした悪寒の正体がこの煙なのではないだろうか、とよぎってしまった。
「……下がって」
今度は勇者に。返した、と思ったはずの借りを返納されてしまった。私は望んでいないのに、だ。……誰か私に拒否権ください。
ユイトは、物語の勇者よろしく、盾を構えるとギリ…と歯噛みした。身長が勝てるわけじゃないから、全ては見えないけれど、酷く顔を歪めている気がする。
「勇者と魔王の共闘ですか……いいですねぇ…。いえ、まだ魔王ではなく、姫君でしたか」
「は……?」
「あぁ、そんなに怒らないでください。ワタシは強いて言うならば、アナタ方の敵になるんでしょうけど、今のアナタ方の攻撃はワタシには効きませんよ?」
ころころと、楽しそうに嗤う煙――男の声を持っている――はにやり、と一層笑みを深くした。食えない、と思う。わざわざ敵対するようなことをしておいて、自身は高みの見物。それのせいで、さっきの魔法が不発に終わったのだろうから。
取り繕うのだけが、私の取り柄だとするならば、今の私のキャラはきっとブレブレで。いつ、ボロを出すかなんてわからない。早く、はやくはやく――煙の男だけは倒さねば、と気が急く。
「あぁ、申し遅れました。ワタシは……いえ、やめておきましょう。我が主の望みから、一層遠のいてしまうでしょうし」
名乗ろうとして、辞めるとか。
「勇者は我々の思惑通りに動いているみたいですねぇ。いや、我々としても求婚騒動自体は予測していませんでしたが」
ペラペラ、とよく喋る口だと。
「…………黙りなさい」
凛と、私の声だけが場に残された。その声に、ユイトも煙の男も。ここにいる全ての人が耳を奪われた、なんて知らない。セイレーンの歌声のようだ、と誰かが揶揄したのだった。
「海魔女」はセイレーンと読みます。どうやら、セイレーン自体は船乗りを惑わせて船を沈めるなどという伝承があるみたいですね。策士策におぼれる…。




