9.魔人大戦
カナンの別荘にある露天風呂は格別なものだった。展望デッキのように景色を一望出来る贅沢さは王侯貴族であっても所有していないだろう。
カラルでは温泉の湯気と人々の営みによる煙りが空へと伸びて、のどかさを演出している。露店で買い食いしながら楽しげに道行く人々を高所から眺める。楽しげに見えるのは実際に見えるからだ。
魔人になったことで必要に応じて視力も強化されるようだ。便利な肉体になったことを喜んでいいのか、見つめる先にある生活から疎外されたことに悲しくなればいいのか複雑だ。
俺は露天風呂に浸かりながらただただ美しい世界を見ていた。普通の人間だったころには見られなかった景色。得られなかった経験だ。感謝はしているが人間も魔人も一長一短だ。
人間社会で生きている時は空でも飛べたら楽だなと思うことは多々あった。実際に飛べるようになって思うことは世界が小さく見えるようになったってことだ。何日もかかる場所に数時間で行ける。
自分の行動範囲と行動速度が上昇したことで苦労して辿り着く場所から近所くらいに格下げされた。容易に行き来できるからこそ場所に対する愛着もなくなる。
届かないからこそ価値がある物もあるのだ。
だからといって魔人になったことが嫌だとも思わない。人間生活を送るには人間関係に気を遣わなければならない。俺の場合は貴族や他の冒険者だな。どこまでいっても切り離せないことだから、煩わしく感じる。
命を懸けた依頼に向かっても得られるのはちょっといい生活。その日暮らしの冒険者も多い中で安定した人生を求めるのは矛盾していた。
人生紆余曲折を経るものだとしみじみ思うよ。ただの引きこもり系冒険者が12人しかいない魔人の1人だ。しかも従者が3人いる。働かなくても大抵のことをやってもらえる。俺は主としてどっしり構えているだけで役目を果たしているのだから世の中は不思議に出来ているものだ。
「タルバ様、お邪魔します」
「どうぞどうぞ。カナンさん――カナンの別荘だからな」
目のやり場に困るため景色を見つめ続ける俺は気配で露天風呂のスペースをずれる。やっぱ距離って大切だと思うんだ、心も体も。少し離れているくらいが丁度いい距離感だ。
「いずれタルバ様の家にもなりますので、お気になさらず。やっと2人っきりになれましたね。集いと違い、私たちを邪魔する者はおりません」
「何の話だ?君には何やら企みがありそうだけど」
「ふふふ。警戒するほどのことでもありません。タルバ様は魔人とはどのような存在かを全く知らないかと思いまして、親切心でこのような場を設けただけです」
一面にヒマワリが咲いているような華やかさと美しさがあるのだが、目の奥に深淵が広がっている。目は口程に物を言うと言うが、ことわざは馬鹿にならないな。悪意とまではいかないまでも邪念がありそうだ。
「そうか。じゃさっそく聞くが、魔人に与えられる使命とはなんだ?」
「使命は各神の意向によります。ただ共通していることは神が下界において行ってほしい役割を与えています。私の場合は破壊神様の意向を体現する形になります」
「その使命ってのは直接教えて貰えたのか?あとカナンの使命を教えてもらうことは出来るのか?」
「その問いをするということはタルバ様は使命を教えられていないようですね。お教えしない方が都合がいいのでしょう。直接お言葉を頂戴します。それは全ての魔人がそうでした。曖昧にでしたらお伝えできますがどうしますか?」
「参考までに教えてもらいたい」
「わかりました。私の使命は行き過ぎた世界を破壊することでリセットすることです。元に戻すとも言えますね」
手のひらで温泉のお湯を掬い、さらさらと手から滴らせる彼女は悲し気な表情で流れ落ちる雫を見つめていた。
「だから魔人大戦も終わらせたのですか?」
俺は意を決して核心を突くことにした。《魔人入門書》に書かれていた魔人大戦。詳細が不明だったことを当事者本人に聞けば知ることが出来る。
虚を突かれたカナンは鳩が豆鉄砲を食ったように固まってしまった
「そのことをどこで知ったのですか!」
カナンは俺の両肩を掴み、真に迫った表情でにじり寄る。顔が近いから照れるな。なんかいいにおいするし。
「本があったよ。詳細はよく知らないけど。セントラム大陸にはそのせいでエルフや獣人がいないんだってな?」
肩に指が食い込むほど力を入れていたカナンはパッと手を放すと、ホッと一息ついた。
「話によっては酷い脚色や虚実が織り交ぜられてます。当時の出来事を知るものはイフィンティブやイグニストゥス、ヘクターしかおりません。そのような書物が残されていたとは……」
「詳細は本当に書いてなかった。でも魔人の王を決める戦争だったって書いてあった。魔人には王はいないのか?」
「少し長い話になってしまいますが、タルバ様には知っておいて頂かねばならないでしょう。ヘクターに脚色されるくらいでしたら私の口からお伝えさせてください。ことの起こりは――」
そしてカナンは魔人大戦の真実を語った。
きっかけは些細な意見の食い違いだった。当時のカナンは完全な中立であり両者の意見に耳を傾けていた。魔人にはテリトリーがあり、その干渉状況と使命が原因だった。
まず魔人のテリトリーについて。魔人は領地のように大まかに自分のテリトリーを持っている。持っていない例外もいるが、ほぼ持っている。例えばイグニストゥスがベゼル王国、アステールがヴェルフ帝国といった感じだ。
魔人は神の使徒でもあるため地上を監視して必要な場合介入するために監視領域=テリトリーというわけだ。
魔人大戦のきっかけは口論を始めた魔人2名がテリトリーとしていた国同士が戦争を行った。それ自体は問題がなかった。問題は戦争後のことだ。
戦争の場所になった地では『収縮生誕』が発生。災害級の魔物が誕生した。人類は協力してこの魔物を討伐することとなった。しかし討伐には長い年月を要した。この魔物が活発に移動する魔物ではなく、同じ場所に留まる要塞のような性質を持っていたからだ。
魔人たちは成り行きを静観していたのだが、年月が経過したことで魔物が討伐された後どこの国もその土地を所有しなかった。それは魔物の置き土産で土地が汚染されていたからだった。
時期に汚染も薄れると魔人たちも気にもしていなかったが、問題はここからだった。汚染地でも生活できる防護服を作成した人間がいた。彼はいわゆるマッドサイエンティストというやつだった。
彼の研究は自分自身が神になること。荒唐無稽な話に聞こえるが彼はどうしてか魔人の肉片を所有していた。魔人は神の使徒であることも知っていた。だから彼は魔人を研究すれば神に至る道筋を作れると考えたのだ。
常人にはそのようなことは不可能だ。だが彼は天才だった。少なくとも自分を魔人と同質の存在に格上げ出来てしまったのだ。
彼は直接介入したカナンによって処刑されたが、その責任問題が勃発したのだ。魔人としての使命には世界の理を歪めることを防ぐという大原則があった後に各神の使命が設けられている。
今回の件は魔人としての使命を果たしていない重大事件だった。責任を取るといっても未然に防げていることから厳しい追求にはならないはずだった。
しかしそれを把握しているのはカナンやイグニストゥスといった古参の魔人だけだった。2人以外の魔人はそれぞれ親交のある魔人やテリトリーの国を率いて戦争を始めてしまった。
ヘクターとイフィンティブは中立を宣言して参加しなかったが、魔人が先陣切って戦う世界は混沌と化し秩序が崩壊した。
神との交信が常に出来るわけではない魔人を直接止める存在はもはやカナンしかいなかった。魔人の中でも神と直接交信が出来るのは創造神か破壊神より力を与えられた魔人のみらしい。
魔人たちは権能を用いて戦ったことで不毛の大地が誕生した。魔力を使用したわけではないため、『収縮生誕』も発生しない。『収縮生誕』の場合、魔力がないだけなのでそこに息づく生命は存在する。だからこそ、将来的に再生できる。
つまり主戦場になったセントラム大陸はもはや人類すらも生存できない大陸へと荒廃したのだった。
カナン達も中立であったこと、途中までは国同士の代理戦争をしていたことから介入していなかった。だが魔人が参戦したタイミングで危機感を抱いた。
そして戦場を直接見に行った時、手遅れであることがわかった。
人間たちは大人子供問わず戦地へと駆り出され、食料生産などの生きていくための仕事を放り出していた。戦争が終わっても飢餓で死んでしまう。
エルフや獣人たちも狂ったように戦っていた。戦争に使用するために森が次々と切り倒され燃やされたことでエルフの箍が外れてしまった。獣人たちも激しい戦争の中で獣化を乱用していった。
理性のない世界が広がり、社会の終焉を見た。屍の大地が果てしなく続き、安全な場所はどこにもなかった。
カナンはこれ以上の世界への狼藉は神への冒涜に当たると判断。カナンの使命の元、世界をリセットすることを決定。破壊神には報告をしてセントラム大陸の浄化が行われた。
浄化といっても狂った生物を種族問わず皆殺しにして回った。権能を全力で使用してカナンが大戦を終結させるまでに要した時間はわずか2時間。2時間で大陸中の不必要な生物を殺し終わったのだ。
生き残った生物や魔物が大陸を修復していき、今のセントラム大陸になったそうだ。エルフと獣人がいないのは元々そこまで数が多かったわけじゃないこと、魔人や国王に忠誠を誓い捨て身で戦いつづけた結果セントラム大陸から絶滅したそうだ。
セントラム大陸から人間もほとんど死滅したのだが、戦争に参加していない人間たちが生存したことで徐々に大陸中に人間が移動して現在の様相を作り上げたそうだ。
「魔人たちは神と交信できるもんじゃないんだな。それに狂気の連鎖は止まらないことがよくわかる」
「当時の私は楽観視していました。まさか魔人同士で戦うことになるとは思ってもみなかったのです」
「でもきっかけは些細なことだったんだろ?途中で戦争の理由がぶれそうだけど」
「両者の魔人たちは魔人の王がいないからこのようなことが起きるのだと指摘しました。よって自らが王になりこのようなことがないように務めると言っていたようです」
寂しげな表情でカラルを見下ろす彼女はこの景色に何を幻視しているのだろうか。自分が止めるべき立場で止められなかった事件を悔いているみたいだ。
「魔人の王ってのはいないのか?」
「いません。というより出来ないのです。王としてしまうと神にも上下ができてしまいます。魔人は神の使徒ですから。そのため私でさえ王になる資格はないのです。これを知るのは私くらいでしょうけど……」
「……そうか。他の魔人は王を作ればいいのにと思っているかもしれないってことか」
「そうかもしれませんね。ですがタルバ様がおりますのでこの問題も解決いたします」
嬉しそうに語るカナンは俺のことをじっと見つめていた。鈍い俺はなんのことやら理解できないでいた。むしろ彼女と目が合ってつい目線を逸らしてしまい、胸元を凝視してしまったことを申し訳なく思っていた。
「どうゆうことかい?」
「先ほど申し上げた通り、王を決めてしまうと神に上下関係が生じます。しかし神にも最低限の上下はあります。それが創造神様です。創造神様が他の神も生み出しているため、全ての神の頂点にあたります。それゆえ、タルバ様が自動的に王になるわけです。他の魔人ですら異論は唱えられません」
「王様ってそんな柄じゃないし、第一何をしていいかわからんよ」
「大抵のことは私が処理できる雑事ですのでご心配はありません。しいていうならば最終決定権を有している立場にいていただくことで遺恨を残さないようにことをすすめられますので」
ここでもまた俺はお飾りなのか?何やったらいいか知らんから、ここはカナンに任せたいところだけどさ。上に立つのは柄じゃないんだよね。だって廃城での生活はダメ人間そのものだろ?いきなり王様やれってのは無理だって。
「君の企みは俺を王様にしようってことかい?」
「するのではありません。勝手にタルバ様になるのです。これは変えようがない事実であり未来です」
俺の手を取って真っすぐ見つめる瞳は真剣そのものだった。固い覚悟と意思を感じる。
「少し長風呂をしてしまいましたね。のぼせてしまいますので、一度食事にしましょう」
彼女は露天風呂を後にする。脱衣場へと向かうカナンの背中にちらりと見える月の紋章が頭に残り続けた。
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