16.優秀な友
まだまだ暗い早朝。タルバは三人を起こさないようにこっそりと部屋を抜け出し、ファンタズマに跨って空を駆けていた。今日もファンタズマに翼が生えているが、今回の翼はいつもと一味違う。
何が違うかというと、出発直前に俺が翼を付けようとしたところファンタズマが俺の翼を齧ったのだ。俺の翼は爪や髪の毛と同じようなもので少しなくなったからといってどうということはない。
それ以上にファンタズマの背に翼が生え始めたことが衝撃的だった。《ウォラキアの指輪》で食べたものの力を得られるとは書いてあったが、まさか魔人の肉体も獲得できるとは思っていなかった。
毎度俺が翼をくっつける手間もなくなったことで俺以外の三人も空を飛んでどこかへ行かせるということができるようになった。帰ったらどんどん便利になってファンタズマなしでは生きて行けそうにない。
「ファンタズマ~今日の目標は海を越えたところにある未開の森だ。そこでスライムを捕獲して帰るぞ」
前だけを見るファンタズマは特に返事もせず、飛び続ける。地味に無口な仕事人のような風格を持っているだけに俺も気にせず前を向く。
海を渡る間は潮風が鼻腔をくすぐり、海特有の磯臭さを感じる。まだまだ暗い海では波音と何かしらの生物が飛び跳ねては着水する音だけが聞こえる。巨大な水棲魔物でもいそうで翼がある今となっちゃ船なんかで海を渡りたくないと思ってしまう。
「俺って強くなったというよりもどんどん体が便利になった感じだよな。空も飛べるし足も速いし肺活量も多くて毒や失血の危険性もない。思っている魔人じゃないけど生活する上ではいいものだ」
夜明け前の海と空の境界線もわからない水平線を眺めては魔改造されつつある自分自身を見つめなおす。欠片も楽しくはないが肌寒さがまだ生物として生きていると実感できる数少ない感覚だ。体を光の粒子にできても寒さは凌げない。
光って温かさをとってもいいのだが、それではいい的だ。視界不良で自分だけ見られる状況は不利だ。温かさと命の天秤ならば断然命に秤は傾く。
寒さに凍えながら1時間ほどで未開の森に辿り着くことが出来た。寒さの限界を感じて『圧縮』で土の横穴を掘って少しだけ温まっていた。ファンタズマも寒さが厳しいだろうと思って土を能力で動かしてファンタズマも入れるようにした。
雪の残る未開の森でいつでも逃げられるように警戒しながら木の枝の焚火で暖をとった。
――――――――――――――
暖を取り十分温まるころには日の出が近づいてきた。白みだした空を仰ぎながら焚火の火を消す。魔物が近寄ってきていることはわかるが最悪飛べばいいだろうという安直な意識が
俺はまたファンタズマに跨って飛び立つ。俺たちの居た場所に魔物たちの影が殺到して蠢きだす。どうやらお互いが牽制しあって睨み合いが勃発していた様子だ。
牙や毛皮がダイヤモンドで出来たダイヤモンドウルフや口腔内に全てを溶かすと言われるほどの猛毒を持つメルトスネーク、なんでも丸のみにするジャイアントフロッグが上空からでも目立つ。他にもゴブリンやスライムもいるが歯が立たないのがすぐさま逃げ出している。
師匠の下で連れまわされた時にもよく見た光景だ。昔と違うところはゴブリンやスライムと一緒に俺も走って逃げていたというところくらいだ。今は傍観者だが当時はあの逃走する魔物の輪の中にちゃっかり混ざっていた。
今思い出しても辛い思い出ではある。あの思い出があるからこそ今もこうしてしぶとく生きていられると思えば少しは報われるというものだ。
「さぁファンタズマ。森の中心部に向かって飛んでくれ」
森の中心部に小さな池があり、池の周りに掃除をしてくれるスライム君が当時はいた。師匠が飼っていたのか池の周囲に生息して俺や師匠の汚れを落としてくれたいいスライムがいた。俺は敬意と感謝と尊敬の気持ちを込めてスライム君と呼んでいた。
一日中駆けずり回り、命の危険を感じる場所で感じる唯一の癒しだった。最初はスライムだったから警戒もしていたが、世の中にはスライムでも友好的な魔物もいることを初めて知った。俺の数少ない友達でもあった。
「たしかこの辺に池があったはずなんだけど……」
俺は上空から未開の森を俯瞰して思い出の小さな池がある場所を探していた。体感では既に真上くらいの位置だが来ていなかった数年間で随分と様変わりしたようだ。
「今も生きていてくれぇ……頼むよ」
今後の衛生的で健康的な生活のためにはスライム君がいなければ見通しが立たない。石鹸以外にもヘアケアの商品を手に入れたとして定期的に仕入れらない。異世界転生者が作成したシャンプーやリンス、ヘアオイルやヘアミルクなど、今この世界には使用できる商品の選択肢は数多だ。
うちの三人の中ではラキのように人間の経済圏で裕福に生活していれば容易に入手できたはずだ。そう考えると俺の原始的な生活は少なくともラキには拒否感がありそうだ。イリムやアウローラはラキほどじゃないにしても艶やかで光沢のある素晴らしい髪の持ち主だ。ラキから話を聞いてそういった商品に興味を持つことは女性としてあり得る話だ。俺でさえ髪の軋み具合が気になるんだ。当然気になっていると想定したほうがいいだろう。
美容商品は手ごろな価格設定のものから高級、最高級と称されるほど高価な品々が当たり前のように並ぶジャンルだ。素材が高価だったり、ブランド代で儲けやすいのも要因の一つだ。
まさか袂を分かった人間社会でしか手に入らない物で頭を悩ませるとは思わなかった。社会という軛を狭苦しく感じ、ミッド大山脈の近くに引き籠っていたわけだが、解放されたら解放されたで困ってしまうあたり、誰もが社会という制度に依存して生きていることを無自覚に忘れ去ってしまっていると再確認した。
真緑の眼下の森に一か所不自然に木がない場所がある。もしかしたらという淡い期待を抱いてファンタズマにそこへ一直線に目指してもらう。
降下していくと思い出の池があった。草も木も伸びて自然豊かな光景が一面に広がっていた。腰くらいまで草が纏わりつき、地表を草が埋め、池の水面は緑色の藻が浮いていた。
池の水面を泳ぐ透明な姿。丸みを帯びた浮島がプルプルと震えながら流される。
「あ!?スライム君!」
俺の声に浮島が反応して大きくびくりと姿が歪む。
ふよふよと俺の方に近づき、陸に上がる。足元に忍び寄る柔らかな浮島はぴょんぴょん跳ねて飛びついてくる。右足にひっついたと思えば足元をぐるぐる回る姿が小動物のペットみたいでほほえましい。
「久し振りだね~スライム君。元気だったかい?」
懐かしの再会でついつい舞い上がってしまう。かがんでスライム君を捕まえて両手で掬う。
「スライム君、この森じゃなくて俺のお城に来ないかい?やってほしい仕事があるんだ」
スライム君は師匠が飼っていた?ため知能がけた外れに高い。俺の言葉もしっかり理解して意思表示をしてくれる。肯定するときはアルファベットのY、否定するときはアルファベットのNに形を変える。
今回はアルファベットのYだ。何年も会ってなかったがまだ俺のことを信頼してくれているのは胸が熱くなる。彼はここでひとりぼっちになっても俺と師匠を待っていてくれた。師匠は時々来ていたのかもしれないが、俺はもう何年も来ていなかった。
「そうか。来てくれるか。この森で生きるのも飽きたのかい?」
今回もY。YESだ。スライム君はこの森に飽きているらしい。危険な魔物も多い森だ。この池付近は師匠が細工をしているのか魔物がよってこない。スライム君の領域だ。ここでは彼がトップであり支配者だ。かわいらしい見た目をしているがスライムという魔物は組みつかれれば変幻自在のスライムを引き剥がす術はほとんどない。
「君に行かないと言われたら地味にショックだったから来てくれると言ってくれて良かったよ」
俺の心からの安心した声にスライム君は俺の胸元にタックルをかましてくる。昔から心外だという意思表示はタックルで示してきた。今も変わらず同じ姿で同じように接してくれるスライム君は貴重な友達だ。
「わかってるって。冗談だよ、冗談。怒るなって」
俺はちょっと笑いながらスライム君を肩に乗せる。成り行きを見守っていたファンタズマに乗って来た空を引き返すことにした。
スライム君は帰りの道中で俺の髪や肌についていた汚れを綺麗に食べてくれたことで段々としょぼくれた小汚いおっさんから清潔で身綺麗なおじさんへとブラッシュアップした。きっとスライム君だったら三人も喜んで受け入れてくれると信じたい。
――――――――――――――
廃城では三人がどこから持ってきたのか食材や資材の整理を行っていた。入り口に山盛りの布類、木材、釘やねじなどの建築資材、難解なタイトルの書籍類と城に足りない物が全部揃うと思わされる。
「なんだこれは……」
口から洩れた言葉が受け手を求めて玄関に残る。ファンタズマはいつもの位置に戻って休み始め、スライム君はファンタズマに追従する形で水溜りのごとくべたっと広がっている。透明な姿はよく見ないと踏んでしまいそうだ。
「おかえりなさい!タルバ様」
武器庫から出てきたアウローラが元気よく俺に声をかける。アウローラの尻尾が左右に揺れてついつい目を奪われる。獣人をまだ見慣れないからこそ人間やエルフにはない尻尾という獣由来の特徴が目を引く。
「おはようございます!ラキとイリムと一緒に物資?を奪ってきました!エヴェイユには一杯物資があったので盗っても大丈夫ってみんな言ってました!」
笑顔で窃盗を報告する女の子に俺は何て声をかけてればいいのだろう。年上として主として適切な言葉をかけることも上に立つ者の務めだが犯罪を美化していいものか。魔人としての生活が始まったばかりだからこそ、まだ人間社会の法律や倫理観というものがよぎる。
「それにしても多すぎないか?本当に大丈夫なのか?」
「ラキが大丈夫だって言ってたんだぞ!なんでも生贄代だー!って言ってたぞ。エルフも獣人も協力しているんだからちょっとくらい貰っても許してくれるって」
「エヴェイユの物資からどれくらい盗ってきたんだ?」
「使えそうなものはほとんど全部だぞ!」
よく理解していないアウローラの口から飛び出た言葉に隙間風のような音がタルバの口から漏れる。
「どうしたんですか?タルバ様。お顔が変だぞ!」
「ちょっとね……エヴェイユの人たちのことを考えると可哀そうで……」
「あたしたちを捨てた側の人間だぞ?どこも可哀そうじゃないぞ」
(確かにアウローラたちからすれば自分たちを捨てたやつらだからな。仕方ないか)
タルバはため息をつきながら現実を受け入れることにした。遠くからアウローラを呼びつける声がしてアウローラは去っていった。
俺はスライム君を掬ってアウローラが向かったキッチンや図書室方面へと歩き出す。歩き出した直後に大きな物音が響いた。心配になって早足で向かう。
音の発生源は図書室だった。俺が見た時には10冊くらいしかなかった本が今では本棚の3割くらい埋まっている。俺が一度も読んだことがない書籍ばかりだ。床にはたくさんの将棋倒しになった本に驚く。
「アウローラ!だから尻尾がぶつからないように気をつけなさいとあれほどいったでしょ!」
「アウローラ、ここは主様の城です。備品も全て主様の物。これをみだりに傷つけることは許されないのですよ?」
俺が図書室に入るとラキが鬼の形相でアウローラを叱責し、イリムが冷たく圧のある眼でアウローラを見つめていた。
「まぁまぁ、そのくらいにしていいよ。わざとじゃないんだろうし」
「タルバ様!ラキとイリムがいじめる!」
アウローラが俺に抱きついて顔をうずめている。ラキとイリムの顔がこわばった。俺はスライム君を肩に乗っけてアウローラを引きはがしにかかる。あくまでも俺たちは主従関係だ。家族とはちょっと違うからな。メリハリは大切だ。
「アウローラ、離れて。ラキとイリムもちょっと来てくれ」
真面目に声をかけると、感情剥き出しの表情が一瞬で無表情に変わる。それはアウローラも例外ではない。
「「「承知いたしました」」」
いつの間にかアウローラもちゃんとした受け答えを出来るようになっていた。アウローラのちょっとした成長を喜ばしくも思いながら、三人を引き連れて大浴場へと移動した。
「まず紹介をしようか。このスライムはスライム君という。彼は汚れだけを食べてくれる優秀なスライムだ。ほら、スライム君もお辞儀して」
俺の促され、スライム君がYの形になりながらお辞儀する。丸いフォルムではお辞儀ができないことを知っているため、賢さを見せつけながら礼儀も示す素晴らしいスライム君だ。
「彼は大浴場での清掃業務についてもらう予定だ。彼は人の汚れも食べることができる。髪の毛もこの通りだ。自分でケアをするにも限界があると思って来てもらった」
三人がスライム君の一挙手一投足に注視する。まぁ手も足もないんだけどね。
「主様、お心遣いは大変ありがたいのですが、主様と同じ待遇でいることはよくないと思うのですが……」
人生経験の長く三人の中で最も知識のあるイリムが身分の違いによる待遇差の必要性を主張する。ただしどこか控えめなその主張を聞くに、スライム君に掃除してもらうことを諦めたくない気持ちを垣間見る。
「主、私共は大浴場で湯船に浸かることが出来るだけでもありがたいのです。ですからイリムがいうようにスライム君様は主だけが掃除していただく方がよろしいかと……」
ラキの言葉にイリムが未練がましくスライム君を見ている。ラキはスライム君までが名前だと思っているのか、”君”のあとに”様”をつけるという変な敬称の付け方になっていた。ラキは既に感謝すべきほどの好待遇だからこそ、自分たちは控えるべきだという主張に同調した。
「あたしはスライム君に掃除してほしいけどな~」
アウローラはよくわかっていないのかシンプルに掃除を頼みたいという願望を口に出した。アウローラには身分というものがよくわかっていないのかもしれないが、髪の毛を綺麗に維持することは重要なようだ。
アウローラの言葉にラキは目を鋭く横目で見ている。イリムは嬉しいようで出過ぎた真似をしているという複雑な葛藤が表情に表れている。そんな目線で見られてもアウローラはどこ吹く風だ。
「イリムやラキがいう通り、同じ待遇に関して危惧することはもっともだ。だが君たちが清潔さに欠ける状態にすべきではないと思う。自分の配下がどのように見られるかという考えも大切だ。俺は魔人だからな。人間の身分や階級の当たり前は通用しない」
「それに配下の生活環境を整えることも主としての重要な役割だ。面倒事は任せるが俺もこの城に住んでいるわけだしな。誰が見ているわけでもないんだ、別にいいと思うぞ。むしろ出来る限り綺麗でいてくれ」
俺はさも当然のようにスライム君のお掃除を受け入れるように話す。これで俺は配下のことを気遣える主であり、スライム君にも仕事を割り振ることができる。恩を一杯売って反旗を翻されないようにしておく作戦だ。
女性にとって自分磨きや美しさを維持することは大切な価値観の一つだ。彼女たちは顔だちもスタイルも素晴らしいものを持っている。下心を示すことはよくないだろうが、配下の女性が綺麗にあり続けることは俺の精神衛生上の観点から考えてメリットがある。
それにいきなり主になったが、本来は田舎で引き籠ってまったりしていることに価値を感じていた精神の男だ。色んな力を得ても長年培った価値観までは完全になくなるものではない。力を得て出来ることが増えて、柄にもなく英雄気取りで戦争を止めても、本心では家に引き籠って惰眠を貪ることや本を読むことが一番いいんだ。
「主様がそうおっしゃるなら、受け入れないことも失礼ですよね?ラキ」
「そうですね。主の指示があった以上、スライム君様に綺麗にしていただくことは配下として受け入れる必要がありますね」
イリムが嬉しそうにラキに話しかけ、ラキも渋々受け入れた。アウローラはいつのまにか俺の肩に乗っているスライム君をつついてはプルプル震える姿にケタケタと笑っていた。そんなことをしているとラキにまた怒られるぞ。
「スライム君には髪を綺麗にしてもらおうと考えている。人の手では限界があるからな。体を洗うのは個々人で。それならそこまで気にしなくてもいいだろう」
俺はある意味最後の仕事をしたと感じていた。三人は優秀なので俺が何もしなくてもさっきみたいに物資を確保してくれるわけだ。つまり俺が城から出ずにニートになったとしても三人が働くことで俺は城にいるだけでいい。
俺は三人とスライム君を残して鼻歌交じりに自室で昼寝でもしようと階段を駆けて行った。
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