8.噂話と逃亡
災害級の魔物と魔王軍の残党による侵攻を跳ね除けたゲルニーツァではカジノだった建物を使用した避難生活が始まっていた。
町人たちは協力し合い、炊き出しや緊急用の避難道具を準備して一夜明けた。ゲルニーツァの人々はこのような窮地であっても誰一人落ち込んでいなかった。むしろ本当に町を破壊されたのか疑わしいほど活気に満ち溢れていた。人々は前向きに復興作業に勤め、事件の翌日の夜には最低限の生活が営めるまで回復していた。
魔物や魔族に襲撃されることはこの世界では特別なことではない。だが従来ならば生活拠点が破壊され、明日の生活もままならない状態では不安や恐れで気分が沈み込む。
しかし今回の場合はザクスの寄付やベゼル王国からの手厚い支援など今後の復興が約束されていた。ゲルニーツァにとって都合の良すぎる展開であり、当初は町人たちも疑念があった。それも冒険者ギルドからの通達によってザクスの寄付が事実であったことや王都との緊急通信で確約されたことが明かされた。その結果、当面の心配がなくなりゲルニーツァの人々は束の間の安息を得ていた。
「それにしてもさっすが1等級冒険者!『怪物』の異名は伊達じゃないな~」
「あっちゅーまに魔物も殺しちまったしな~夜中なのにピカピカ眩しかったなぁー」
「そうそう!光ったと思ったらすんごい風が吹いてさー」
「家も吹き飛んじまったわい。アッハッハッハ」
「見たときは乾いた笑いが出ちまったがな~」
「おめぇら停泊所見に行ったか?すんげー穴ぼこだらけやったぞ」
「ひぇ~ギルドの忠告を聞いといてよかった~俺最初避難しないつもりやったわ」
「おまえはあほか!1等級が暴れたらこの町は消し炭になるわい」
「だってさ~生まれた町を捨てる気にはなれんかったよ、おれ」
避難所で炊き出しのスープ片手に繰り広げられる事件の感想は誰が聞いても当事者とは思えない他人事さだった。避難勧告が出され、すぐ避難が開始されたため気づいたときには終わっていた。そのためザクスがどのように戦っていたかは誰も知る由もなかった。
胡坐をかいていた青年がスープをかきこんだ後、思い出したかのように質問をした。
「そういえば最後の茶色い雨?あれなんだったんだろうな」
「やめろ飯時にきったねぇ話蒸し返すのは」
「そうじゃそうじゃ!あんなの思い出したくもないッ」
「でも気になるだろ?あの匂いはやばかった」
「ちっ食欲が失せた。まぁ気にならないかと言われれば嘘になるな」
「だろ!?やっぱあの雨降らした奴の目的はなんだったんだろうな」
「意図はとんとわからんわな。にしても後にも先にも下痢とおならで空を飛ぶなど誰も信じらないじゃろうな」
「双眼鏡で見た奴いたはずだろ?顔見てるんじゃね?」
「たしか今炊き出しの手伝いしている奴だろ?俺ちょっくら聞いてくるわ」
三人の中で一番最初にスープを完食した青年は炊き出しの手伝いをしている男性に聞きに行ってしまった。残された老人と青年の友人はまだまだ下痢の雨の話題が終わらないことを察してスープを食べきることにした。
「それにしてもよ、爺さん。なんで1等級冒険者がこの町に来てたんだ?わざわざ1等級がくる理由がないだろ。まだ魔物が出てないってのにさ」
「ギルドの職員が話していたのじゃがな、どうにも『怪物』ザクス=ルードが王都を捨ててでも同行したい冒険者がいるようじゃ。その者についてきたらしいぞ」
「へぇ~1等級が同行したいなんてどんなやつなんだ?」
「見てくれは普通の男らしい。町に来てからも特別なことはしとらん。だが彼の『怪物』は彼を慕っているみたいだ」
「なんかその男の有名な話とかないのか?爺さん」
「冒険者の中では最近有名になった話があるのだが、先日の帝国が裏で糸を引いていた事件を解決した英雄らしい。それにザクス=ルードに対して唯一命令できる男でもあるって専らの噂じゃ」
「じゃあなんで『怪物』と一緒に戦わなかっただろうな?かなり強いんだろ?その男」
「まだまだ若いのぉ。強いと十把一絡げにするでない。強さは単純な戦闘力では決まらんのじゃよ。理由でもあったんじゃないかのぉ。戦えない理由が」
「でも『怪物』が従うんだから強いよな。だって『怪物』は昔、自分より格上でなければ誰の下にも付かないって言ってたの有名な話じゃん。それで貴族や権力者に歯向かってたし」
「そうじゃな。その男が『怪物』よりも強いことは明白じゃな。それに『怪物』の動向は各国家単位で監視されておる。その『怪物』を容易に動される男など危険人物としか扱われんよ」
カーペットが敷かれた元カジノの床で足を崩して座っていた青年の友人は胡坐をかいて後方に両の手をつき、腕を支えに上半身を後ろにそらす。
爺さんは手に持っていたスープの器を床に置き、唇を舌で湿らせてから再度口を開いた。
「『怪物』を従えている以上、その男は二度と平穏な生活には戻れないだろうな。国すら滅ぼせる力を持った『怪物』を自由に扱えるんだ。その男の目的が何であれ命の危険が常に付きまとうじゃろうな」
「爺さん、誇張しすぎだって。別にそこまで危険でもないだろ?どこかに喧嘩売らなけりゃ問題ないじゃん」
「甘いのぉ。貴族や権力者というのはな、自分の思い通りにならない存在は排除しようとするのじゃよ。今まで『怪物』はただの一個人の冒険者だった。じゃが今は命令できる存在がいる。『怪物』は殺せずともその男は殺せると思うのが道理じゃろ。それにその男が純粋な戦闘力が高いかも未知数じゃからな」
「その男はどんな男なんだろうな。一目見てみたい気もする」
「それは儂もおんなじじゃ。『怪物』と一緒にいる男がいればそれが噂の男じゃろう。すぐに見つかりそうじゃな」
そんな折に炊き出しの男に話を聞いた青年が戻ってきた。それからも彼ら三人はああでもないこうでもないと謎の下痢で空を飛ぶ男について話し合っていた。
その話し合いには町にいた町人たちが次々に情報を出し合い、妙に議論が白熱していくのだった。
――――――――――――――
タルバはキャンプ道具でテントを建て終わり、冒険者ギルドに一旦ファンタズマを預けにきていた。ファンタズマとキャンプすることは悪いことではない。だが先の下痢の雨事件の際は緊急時ということで認められていたが、町中で常に馬を帯同させることは非推奨の行動だ。
事故で人を蹴り上げてしまった例や馬が何者かに傷つけられた例などお互いのために預けることが推奨されているのだ。
冒険者ギルドにファンタズマを預けたタルバはもしかしたらゲルニーツァの人々に自分の顔を見られてしまい、本日の下痢の雨事件の犯人だと気づいてしまうんではないかという心配で元カジノの避難所に向かった。ゲルニーツァの人々の多くが滞在している避難所で話を盗み聞きすることで客観的な情報収集をしようと試みたのだ。
(顔を見られてなければ大丈夫……!それにザクスも庇ってくれているんだ。なにも問題はないはずだ)
タルバの期待を裏切る形で避難所から聞こえた話にタルバは絶句してしまった。下痢の雨事件に関しては犯人とはばれていなかった。だが双眼鏡で見た人がいることでばれるのも時間の問題だった。
一人の青年がその男性に話を聞きに行っていた。それに関してタルバは早々に町を出発すればいいと高を括っていた。問題はそのあとの会話だった。
(!?俺が……ザクスに命令できる男だって!?意味わからん何を言ってるんだこのくそ爺)
タルバは盛大な勘違いがされていることに驚き、打ち震えていた。不安、焦り、恐怖に起因する悪感情が全身を巡る。それと同時になぜこのような噂話が流布されているのかというやりばのない怒りと逃げ場のない自分への嘆きが心で暴れまわっている。
(しかも国家レベルで危険視って俺の旅どころの話じゃないぞ!?それに噂だとザクスよりも強いことになっているのかよ!?やばいやばいこれはやばいって!)
タルバは人生で最も気配を消し平静を装って彼らのすぐそばから離れることにした。避難所から出たタルバは全力で走り始めた。
目指すはキャンプ地。今ザクスは冒険者ギルドに協力して停泊所やその周囲で魔物の死骸や魔族の遺体を回収しようとしていた。事件の翌日の夜、町は暗闇のベールに包まれていた。ザクスが押し流したことで街灯すらなくなったからだ。
俺は無属性初級魔法【夜目】を発動し、迷うことなくキャンプ地へと帰還する。建てたばかりのテントを乱雑に折り畳み、ザクスの荷物だけ置いて冒険者ギルドへと向かった。
息を切らしながらも立ち止まることなく走った。今日この時だけは自分が風にでもなったかのように感じた。心なしか海から吹く潮風も自分の追い風になっている気がした。
冒険者ギルドでファンタズマの返却を申し出た後、最速で手続きを終える。ここ最近でギルドにはよく預けていたからこそ無駄なく手続きが完了した。
ファンタズマを引いてゲルニーツァの門へと向かう。今は門番も大した検閲をしないことはわかっていた。だからこそ用があって外に出たいと言えば、冒険者という肩書の後押しもあって問題なく外出できる。
案の定門番は簡単な確認だけを行い、俺をゲルニーツァから出してくれた。
門を出た瞬間にファンタズマに飛び乗り駆けだす。今俺のやるべきことはザクスと離れること、そしてこの国から脱出することだ。
この国で俺がザクスと同行していたことはもう有名になっている。だからこそ他国に行かなければ監視の目が途切れることはない。
一旦王都方面へと走り、そこからどうするか考えよう。今は可及的速やかにゲルニーツァを離脱することが先決だ。ザクスが気づいてしまえば振り切ることは無理だ。ザクスが俺に気づかないことを祈りながら走っていると街道の先がゆがみ始める。
視界がグニャグニャと曲がったと思ったら知らない部屋にいた。正方形で部屋に木製の椅子が一つ。俺とファンタズマは開かれた木製のドアから部屋に自然と足を進めた。
なぜ警戒もなく前に進んだのかはわからなかった。だがこの場所が危険ではないと本能的に認識したのだ。
「よぉ~こそぉ~僕の部屋ぇ~」
ちょうど入ってきたドアがバタンと閉まり、誰もいなかったはずの椅子にイフィンティブが片膝を立てて座っていた。立てた膝に肘を乗せ、肘に顎を乗せてこちらを見てくる。
ファンタズマはその場に腰を下ろし、戸惑っているのは俺だけだった。
「ちょっとぉ~かんどぉーの再会なんだからさぁ~なんか言ったらどうだいぃ~」
焦れたようにイフィンティブは話しかけてくる。口を尖らせる不満げな顔をしているが、顔が整っている分不快さがない。イケメンの役得具合に嫉妬しそうだ。
「あっ、、あぁ。驚いて声が出なかっただけだ。それよりなんだここ?」
「ここは僕の部屋さ。変な場所じゃぁーないよぉ~。それにしても逃げるなんてまた面白いことしてるねぇ~」
「面白いわけがないだろ。俺は今すぐ他国に逃亡しなければ平穏な生活と一生お別れするんだぞ」
「君さぁ~自分自身が問題起こしてばっかりだって自覚ないのぉ~?」
「成り行きでそうなっただけだ。俺は悪くない。しいて言うなら運が悪いだけだ」
ばつの悪い顔で自己弁護を行った俺をイフィンティブは楽しそうにケタケタ笑う。その姿は無邪気な子供のようでいてちらりとこちらを見た鋭い眼光に驚く。
「まぁ~そういうことにしておくかぁ~タルバ、面白いから逃がしてあげるよぉ~」
「????逃がすってどこにだ?」
「そりゃー行ってからのお楽しみぃ~」
イフィンティブはけだるそうに左手をあげて指を鳴らす。パチンと鳴った直後、俺は砂漠と森の間に立っていた。見渡せば綺麗な境目と大きな塔が建てられた町を見つけた。
ファンタズマも俺の後ろに無事にいることから、イフィンティブは俺たちを空間転移させたようだ。
本や絵でしかみたことがなかった砂漠にいる時点で他国であることは間違いない。ベゼル王国に砂漠はないからだ。風に砂が混じって口に入る。じゃりじゃりとした不快な口触りに空想でも幻想でもなく現実であることを自覚した。
「行こうか、ファンタズマ」
イフィンティブの悪戯が成功したような悪意のない笑みが脳裏に浮かぶ。考えるよりも前に前に進むことを優先したのだった。
――――――――――
後世に長く言い伝えられるベゼル王国動乱期に囁かれれた空飛ぶ下痢男事件。この事件はベゼル王国の書物には怪奇現象や都市伝説として分類され、災害級の魔物の襲来による集団パニックで幻覚を見たと分析されている。当時の人々の証言が残されていないことや不明瞭な内容から実在したとはだれも信じなかった。
帝国の暗躍に端を発し、王都で魔人襲撃事件と《海誓山盟》汚損事件に引き続き、ゲルニーツァでの魔王軍残党による襲撃と災害級魔物の作成事件。加えて下痢の雨事件と空飛ぶ下痢男。当時のベゼル王国では前代未聞の事件が頻発し、世情は不安定になっていた。
今回のゲルニーツァの一件がベゼル王国内で広くまり、『怪物』ザクス=ルードの名とその惜しみない金遣いに人々は彼の評価を改めることとなった。
それだけにとどまらず、彼は弱者の味方だと認識されるようになった。ゲルニーツァで人的被害を限りなく抑え、たった一人も殺害されることなく守り抜いたことが選民思想の強い悪名高い貴族と比較され、民の英雄と受け入れられた。
王都にいた公明正大なことで民からも親しまれているロード公爵家や王族の後押しもあり、ザクスの評判は瞬く間に伝播していった。当の本人は面倒に感じていたが、自分がよく思われていけば自分の慕うタルバはより賞賛されると考え、甘んじて受け入れていた。
ザクスの回収した魔物の死骸は王命で秘密裏に組織されたヴェラゴ=ジャラガがトップを務める機関に引き渡され、解剖が進められることとなった。
当然、今回の詳細な経緯を知ることとなったヴェラゴやとある王族、ロード公爵家の長女なんかは報告書に記載されていた『不死』『光芒』のタルバの名前に笑みを浮かべたのだった。
しかし良い評判だけが都合よく広まるわけではなかった。下痢の雨事件と空飛ぶ下痢男の件が怪奇現象としてベゼル王国内に伝播していってしまった。その結果ゲルニーツァは下痢ニーツァという不名誉な呼称が広まってしまうのだった。
古の勇者始まりの地にして彼の悪評を流布し彼を乏しめた土地が古の勇者を慕うタルバによって評判をガタ落ちにさせられたことは全くの偶然だが、因果応報ということは往々にしてあるのかもしれない。
関係のない今を生きる人々にとっては不名誉なことでしかないが。これ以降ゲルニーツァの海産品の検査基準が跳ね上がり、厳しい眼に晒されることにもなったのだった。
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