6.酔いと高まり
ザクスが銀エビとの戦闘で愉悦に浸っていたころ、タルバは筏の上でオールを漕ぎ、ゲルニーツァに向かっていた。
真ん中にぶっ刺さっている支柱の最上部を凹状に斬り、オールの持ち手を差し込んだ。大きめの木を支柱に選んだことで魚の尾びれのように漕ぐには丁度いい差込口の幅になっていた。
オールを左右に漕ぐたびに、支柱の差込口とオールの持ち手が錐揉み式火起こしのように木と木が擦れる。オールに大して直角に立ち、前後にオールを動かして進む。
今日の海は高波が激しく、自家製筏ではあっという間に波に飲まれてしまう。オールを漕いでいたのは最初だけだ。上下に揺られ空中から落下するかのような浮遊感に内臓を刺激される。
胃の内容物を戻しそうになるほど酷い酔い方をしているタルバは、顔を青くしながらもオールを手放さず、支柱にしがみついて耐えていた。その姿はナマケモノに似ている。
「なんでこんなに波が高いんだよぉ……うっ……くぁあ……吐きそう……」
船に乗ったことはあるが、これだけ荒れた海に出港した覚えはない。船乗りでさえもこんな海に行くなど自殺行為だ。ましてや自分で作ったお手製の筏でなんて考えただけで気分が悪い。胃液がチャポチャポ音をたて、吐かないように必死だ。うめき声だけをこぼす。
荒い呼吸を整えようとしても畳み掛ける海波が冷静さを奪う。水飛沫で視界が悪いため、保管庫から盗んだ羅針盤をポケットから取り出す。
敵の資料から見て北東に向かえばゲルニーツァがあるはずだ。しかし自力で進めないあたり水溜りに浮かんだ葉と遜色ない。
「なんとか収まってくれないかな……ゴホゴホ……喉までゲロがこみ上げてきやがった……」
バーテンダーにシェイクされているカクテルの気分ってこんな感じなのかなと思考が飛び始める。違いは出来上がるものがカクテルかゲロかくらいのもんだ。
日の出から出発し、海を彷徨っていたタルバだったが20分ほど経過した時、事態が急変した。タルバを苦しめていた波が収まり始めていたのだ。
「あああぁああぁあぁぁぁぁあ~やっと収まったぁぁああぁあ~」
心の底からの安堵と吐き気の終息で筏上で脱力する。海に落ちまいと支柱に抱きついていたタルバは大の字で仰向けになる。依然として海上だが目的地まで行く好機だ。
「まだ気持ち悪いけど、そうも言ってられないか。無理にでも進まなきゃいつまでも帰れない」
改めてオールを握りしめ、筏を前進させる。海に漂っていた白い泡が薄れ、自分が動かした海水が穏やかな海に小波を作り出す。
海にポツンと取り残されたタルバは手元の羅針盤だけを頼りに航海を始めた。遭難者とも要救助者にも見える彼はただただ羅針盤の指し示す水平線に愚直に前進を開始した。
――――――――――――――
「こいつ面倒な力を持っているな。何度破壊しても再生する力なんて聞いたことがないぞ」
30分ほど銀エビと格闘を続けているザクスは銀エビの異質さを体感していた。先の3色は軽く捻るだけで倒せた。しかし銀エビを同様に攻撃しても体の一部がどこかに残り続ける限り再生するのだ。ハサミ一つから全身が再生するほどだ。
明らかに能力を持っている。魔物が能力を持っているなど聞いたことがないが、眼前に実在している。
「そりゃそうだ、ザクス=ルード。なんたってそいつは俺が作った特別製だからな」
海から聞こえる声にちらりと見ると魔族の男がこちらを見ていた。
「お前は誰だ」
「元魔王軍南部方面第3部隊隊長マフィ=ジッシュ。お前みたいな素体が手に入るなんて俺は運がいい」
「素体?てことはこいつにもベースにした生物がいるってことだな」
「まぁな。無から生命の誕生なんて神じゃなきゃ無理さ」
銀エビが再生を終えてこちらへ泳いでくる。潜水と浮上を繰り返し位置を誤魔化すこざかしさまで備えている。
「ちっ。海じゃ殺せそうにないな。肉片が残る」
「やーっと気づいたか。そらー肉片を隠しときゃー復活するからな。お前にはとっておきを使ってやろう」
啖呵を切ったマフィは海中から両手でようやく持てる大きめの石を掲げる。
「さぁシリーMS!お前に水の力を与えてやろうっ!」
マフィの掲げる石が光り輝く。宙に浮き、ふよふよと銀エビが改め、シリーMSに近づいていく。
「お前は馬鹿なのか?敵が強くなることを許容するやつはいないぞ?」
マフィの石が発行した段階でシリーMSから石の破壊に標的を変えたザクスは即座に風属性中級魔法【ウィンドペネトレート】を発動していた。ザクスは戦うことはバトルジャンキーと言えるほど戦うことは好きだが、今の目的はタルバの勇名を轟かせることだ。タルバが関与した事件で大きな被害を止められなかったとあれば彼の名に傷がつく。
自分の目先の欲で、自分のミスで彼の名誉を損なうなど断じて許せる話ではない。
ザクスの正面に現れた風の渦が螺旋状に真っすぐ飛んでいく。可視化された風が石とぶつかり、遥か彼方へと吹き飛ばす。視界から消えていく石を見てマフィは激昂した。
「お前は戦闘狂だろうが!敵が強くなることをなんで邪魔するんだ!」
「今と昔では立場も目的も違う。今はさっさとお前たちを倒すことが肝要だ」
「くそがっっっ!シリーMS!全力でこいつを殺せぇぇぇえぇぇえぇええ!」
マフィの言葉でシリーMSの姿が赤く変貌していく。全身が赤褐色に変色し、シリーMSの周囲には水蒸気が立ち昇る。
魔力の高まりを感知したザクスは接近するシリーMSから距離を取る。いつもなら先ほどのマフィの石に攻撃したように魔法で迎撃するが、攻撃をすることで発動するカウンターの魔法の可能性を捨てきれなかった。
ザクスが敵の攻撃を相殺するにしても距離がなければ攻撃の選択肢は著しく狭まる。ザクスの戦闘経験から反射的に導き出された結論は距離を取って迎撃だった。
「何をする気だ、あの銀エビ……」
シリーMSに対抗するため、ザクスはいつでも魔法を発動できる体制で待つ。赤橙色に染まると徐々に白くなるシリーMS。停泊所の罅にうまく足をかけて陸へと上がる。シリーMSの通る場所はいたるところが赤く高温になっていく。耐えきれずに溶け出す足場もある。
白くなったかと思えば、次第に黒ずんでいき、赤褐色になるころには巨大な魔力のうねりを感じ取れた。
「ザクス=ルードッ!こいつで終いだ!やれっシリーMS!!」
シリーMSの魔力の収束によって存在感を失っていたマフィはここぞとばかりに怒声を上げて、シリーMSに命令する。命令を聞き取ったシリーMSは大きく口を開け、ため込んだ魔力の解放を始めた。
実はタルバに見せた白い溶岩の噴火が煩わしい羽虫を消すための軽い魔法だったのだ。そもそもシリーMSはマフィの命令で全力を解放することが禁止されていた。
他のエビたちも同じように全力を禁止され、その結果として3色のエビたちは塵になったのだが、それもこれもマフィが調子に乗ってシリーMSを回収に向かっていたからだ。
シリーMSの口元に太陽のような火球が生成されていく。魔力が込められていく程密度が上がりシリーMSの周囲はマグマの海かと錯覚するレベルに赤く見え、気温が上昇していた。もはや生物が近寄ることも敵わない焦熱地獄が顕現していた。一方ザクスは狼狽することもなく、泰然自若として、そのときを待っていた。
シリーMSが魔力を込め終わった瞬間、小さな太陽から光線がザクスへと伸びる。日が昇り始め、明るくなってきた世界に超高温の白線が迸る。常人の目には光の速さで放たれたとしか思えない魔力の大砲。それを正面から迎え撃つザクス。ザクスは自身の魔力を練り上げ、右腕にのみ集中させていた。
「4属性混合魔法【四陣墻壁】!」
ザクスは右ストレートを打つように前に右腕を出し、腕に込められていた高密度の魔力を解き放った。ザクスとシリーMSの溶岩光線の間にそそり立つ金色の壁が光輝く。王都タンジバルの城門を模した巨大な壁は薄く透けている。
【四陣墻壁】と溶岩光線が衝突した。ドリルで岩を削るように火花が散り、壁と光線が接触している箇所の足元が徐々に消滅をはじめていた。
濃密な魔力のぶつかり合いはただの純粋な力比べとなっていた。衝突の衝撃が突風となってゲルニーツァ周辺に吹き荒れる。海水と砂埃を含んだ強風によって家が土台ごと吹き飛ばされていく。石畳の道や階段が塵に変わり、風に乗ってどこかへ飛ばされる。
力と力の衝突は1分ほど続き、衝突地を中心に塵となった石畳を纏った竜巻が巻き起こっていた。
衝突地にはザクスの放った壁が残され、壁が守り切れなかった後方部分が消し飛んでいた。扇状に残った停泊所の跡地にザクスは仁王立ちしていた。ザクスが見つめる先に佇むシリーMSは煙を上げ後退していた。
「なにをしているんだッ!シリーMS、戦えッ!」
マフィの檄が飛ぶもシリーMSは後退を続けていた。シリーMSの全力の一撃はザクスに余裕をもって防がれた。
シリーMSに残された魔力からザクスには勝てないことがわかってしまった。改造された魔物であっても生物だ。生物としての恐怖を感じることはシリーMSであっても例外ではない。マフィの声すら脳内で処理できず、恐怖心が全身を支配して動けずにいた。
「久方ぶりの災害級だったから身構えたが……肩透かしだったか。魔力の練り方が甘い。それに一発しか撃てないならもっと工夫すべきだ」
ザクスは残された足場を身軽に飛んでシリーMSの元へと飛び移っていく。
「こうなっては仕方あるまい!俺が相手をしてやろうッ」
マフィがシリーMSから気を逸らそうとザクスに向かって水属性初級魔法ウォーターカッターや水球で攻撃を仕掛ける。加えて、マフィの一族固有の魔法で水の触手を4本生み出し、ザクスを叩き潰そうと触手を伸ばした。
「うっとおしい。風属性中級魔法【風迅】」
マフィの方向すら見向きもせず、マフィの居る方向へと魔法を放つ。一陣の風がマフィの横を通り過ぎたかと思うと、マフィの魔法は全て真っ二つに切り裂かれた。
マフィも同様に体を上下に切り離され、血飛沫を上げながら海に沈んでいった。【風迅】の衝撃が海面に直撃し、大きな津波に変わってゲルニーツァから流れていった。
唯一ザクスの誤算としてマフィが死亡したことでシリーMSは生命活動を終え、死亡したことだ。どうやらシリーMSが生きるにはマフィが生存していることが条件だったようだ。
微小に残された魔力すらもシリーMSの死骸から感じ取れなくなったザクスはようやく災害級の魔物およびその黒幕の討伐を完了したこと認識した。
――――――――――――――
時はマフィの石をザクスが弾き飛ばした瞬間に遡る。筏に揺られゲルニーツァをひたすら目指していたタルバに高速で飛来する物体があった。
そうマフィの所持していた黒い水の魔石だ。魔石とは本来その属性の色をしている。火だったら赤、風だったら緑という形だ。マフィの持っていた水魔石は度重なる強化の儀式によって生物の血で黒く変色していたのだった。
ザクスの風属性中級魔法【ウィンドペネトレート】でも破壊できなかったため、高速で海上を飛ぶ石になっていた。おまけにザクスの放った【ウィンドペネトレート】を纏ったままだ。そんな石がタルバの元に飛来した場合、どうなるか。
「うっそだろ、おいおいおいおい!」
タルバは逃げ場のない海上で焦っていた。螺旋状の風を纏って一直線にこちらに向かう物体。あまりの風圧に海は凹っとへこみ、押しのけられた海水が風によってU字状の水飛沫となる。水飛沫は風に引きずり込まれて【ウォーターカッター】を纏った竜巻が出来上がっていた。
「こんなときにザクスがいれば……」
タルバの言い分はもっともだ。しかし悲しいことにこの事態を引き起こした張本人こそザクスだったりする。ないものねだりはしてもしょうがない。タルバは腰に刺さった愛剣に手を当て、居合斬りの態勢に入る。
(できるのかわからないが、まだ目で捉えられている以上、タイミングさえ合えばチャンスはある)
黒い水魔石がタルバの攻撃圏内に入った瞬間、タルバは剣を抜き放ち、見事な居合斬りを成功させる。
「やれば意外とできるもんだな……おっ?」
タルバは徐々に肉体が魔人化していたため気づいてないが、彼の肉体は人間の頃よりも格段に進化していた。
動体視力や反射神経、単純な耐久力、体を動かす速度。どれをとってもすでに人間の域を突出し、ザクスのような化け物たちと同じ領域へと足を踏み入れていた。気づかなかったのは今までの道中で全力で体を使うほどの危機に陥っていなかったからだ。
そして綺麗に切り落とした黒い水魔石はタルバの剣に魔力の触手を伸ばすとタルバの剣に融合してしまった。
「おいおい、色が変わっちまったよ。それに最後の触手はなんだ?」
タルバの様々な鉱石を圧縮してできた剣は漆黒の剣へと変わった。マフィの作成した黒い水魔石はその魔力を受け取った存在を強化する能力がある。強化と一口に言っても水の魔法に関する能力を強化するものだ。本来は生物を対象に使用する想定だったが、タルバが剣で切ったため、タルバの剣が強化された。
自分の剣を注意深く観察していると大きな水の音が聞こえてくる。海上にいるにしてもせりあがるような音。日も出てきたにもかかわらず、タルバは突然影に隠れる。見上げるほどの津波がこちらに向かって押し寄せてきていたのだ。
「はぁああぁあ!?なんで大津波が発生してんだぁ?」
タルバは運が悪いようだ。度重なる不幸の連続。一難去ってまた一難。
(くそがっ普通の方法じゃ大津波を回避はできない。筏と共に回避はできないとするなら選択肢は一つ)
タルバは魔女が箒に跨って空を飛ぶように剣に跨る。刃先を後方に向け、剣の持ち手を両手で握り、『圧縮』して固定する。《均衡のチョーカー》を起動し、魔女が空を飛ぶ姿をイメージして体を固定する。さらに《変水の中敷き》を起動して海水を操作して筏を出来る限り高い場所へと移動させようとする。
「ヴぇっ!?なんで海水を操れないんだこの中敷き!?」
不幸の連続はまだ続いていたようだ。この《変水の中敷き》、淡水しか操作することができないのだ。タルバが試した時は飲料水だった。操作できたのは淡水だったからであって、海水では試していなかった。
(海水無理なのかよッくそッ)
タルバは焦燥感に駆られるも、淡水なら可能であることに即座に気づいた。そして別の方法を試みる。
「水魔法【水刃】起動ッ!」
タルバの剣が水を纏い始め、高速で動き始める。さらに《変水の中敷き》を起動して魔法で生成された水を操作する。水魔法で生成される水は淡水で海水ではない。そのため操作できるという寸法だ。『水刃』で使用する以上に水を生成する。
操作して剣を中心に水の竜巻を作成する。《変水の中敷き》の効果で水が茶色く変色する。
「よしっいくぞっ!」
タルバは剣に貯めた水をダウンバーストのように筏に放出。加えて《エアシッターF》を起動しブパッブパッと連続で汚い音を響かせながら推進力を上乗せする。《変水の中敷き》のおかげで無駄なく射出方向を決め、茶色い水のジェット噴射によって体が空へ飛び上がる。魔人化したことで人間の肉体では耐えきれない衝撃も問題ない。
押し寄せる大津波を軽々と飛び越え、空からゲルニーツァを視認する。《変水の中敷き》で水の出力方向を微調整し、《均衡のチョーカー》の姿勢イメージで剣の刃先を海面と平行よりも少しだけ下げる。
「ブパッブパッ」
(にしてもこの脱糞したような音、気持ち悪いな)
汚い音を大空に響かせ、太陽光を背中に浴びながら凄まじい勢いを殺しきれずに、ゲルニーツァの少し先へと帰還したのだった。
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