第389話 出汁
「こりゃ海鮮なしってわけにゃいかないか…?」
「うん♪だって、これだよ♪」
と、由紀は持ち帰り用にヒモで縛られた先ほどの蟹を幹太に見せる。
「あれ?もう買ったのか?」
「うん。でも、これはラーメン用じゃなくてアルナさんちにお土産にね♪」
幹太はホクホク顔の由紀とアルナと共に、店を見て回る。
「しかし、そうなると一番やりやすいのは魚介ベースのスープなんだよな…」
「でも、魚介のスープって乾物が必要なんじゃないの?」
「そうだな。生の魚とか貝でダシを取るってのはあんまり聞かないな。生を使うとしてもアラを使うのが普通かも…」
「そっか。確かに、お料理でもお魚まるごとスープに入れるって、あんまりないか…」
と、由紀は市場中に並ぶ極彩色の魚を見ながらそう言う。
「まぁ、日本食だと切り身にして味噌汁ぐらいだよな」
「ん〜?それも東京だとあんまり見ない気がするけど…ね、アルナさん?」
「なに?」
「こっちのお料理でそういうのはないの?」
「お魚を丸ごとスープに入れるのは見たことないけど、丸ごと油で揚げるのなら見たことがある…」
「ふ〜ん、やっぱりそうなんだ」
「あ、それなら俺も中華料理でみたことあるな。けど、やっぱりスープに丸ごとってのはないか…」
「うん」
「で、幹ちゃんはやってみたいの?」
「どうかな…親父ならまだしも、俺にはそれほど魚料理の知識はないからさ」
幹太の父、正蔵は元和食の料理人だった。
「まぁでも、やるとなったら頑張ってみるよ」
幹太は市場の中を歩きながら、通りかかった店に置いてあった身の太い体長四十センチほどの魚を買った。
「なんかカツオみたい?」
と、紙に包まれた魚の口先をツンツンしながら由紀が聞く。
「うん。カツオならちょっとわかるからさ」
幹太の母、美樹の実家は、鹿児島で鰹節工場を営んでいる。
だけに幹太は、小さい頃にその工場で大量のカツオを捌く職人たちを見ていたのだ。
「あとは乾物だな…アルナさん、ここに乾物屋さんはある?」
「たぶん探せばある…」
「よし。やっぱりか」
これまでの幹太の経験上、海産物を干す文化は古今東西どこにでもある。
そうして三人は買い物を終え、帰路についた。
「市場で貸し出しの馬車があって良かったよ」
手綱を握る由紀と共に御者台に座りながら、幹太はそう言う。
先ほどの市場は、幹太たちのように馬車を持たない人のため、馬と馬車のレンタルしていた。
「幹ちゃん、アルナさんは?」
「そういや、さっき後ろで…」
幹太は後ろを向いて、馬車の幌の中を覗いた。
「あ、寝てるな」
アルナは馬車の荷台で、買い物袋に囲まれながら寝ていた。
「フフッ♪今日一日、がんばって色々教えてくれたもんね、アルナさん♪」
「うん。魚の種類もよく知ってたな」
「で、幹ちゃんは魚介スープのラーメンにするの?」
「あ〜、いや、まだ悩んでる…」
「幹ちゃん、あんまり魚介のラーメン得意じゃなそうだもんね♪」
由紀はニヤニヤしながら、幹太の顔を見る。
「まぁ…こっちに来るまであんまり作る機会がなかったからな」
「東京ラーメンに魚介類はつかわないっけ?」
「スープに乾物と…あとはナルトとわかめぐらいかなぁ〜」
「そういえば、幹ちゃんの東京の屋台でもにぼしは使ってたね」
「うん。あと昆布な…」
「正蔵おじさんも、同じのスープに入れてなかった?」
「使ってたぞ。あと、親父は鰹節も使ってた」
「美樹おばさんのとこの?」
「そうそう。なんかばあちゃんが送ってくれてたらしい」
「そっか…」
幹太の母、美樹は家出同然で東京に出てきた経緯があり、父親や弟とは微妙に距離があった。
しかし美樹の母、つまり幹太の祖母は、二人に隠れて正蔵と美樹を支援していたのだ。
「美樹おばさんの実家の鰹節ってことは、けっこう高級品なんじゃないの?」
「けっこうどころじゃないぞ。質と値段でいったら、日本一の高級品って言っても過言じゃないと思う」
美樹の実家のある鹿児島、枕崎は、日本一の鰹節の産地である。
「おじさん、そんなすごいのラーメンに使ってたんだ…」
「だな。たぶんあの時代でラーメンスープに枕崎の鰹節を使っていたのは、親父ぐらいだと思う」
幹太はそう言いながら、脇に置いた買い物袋の中をゴソゴソ漁る。
「たから俺も、今回はこれを買ってみた」
そしてその袋から、大きな鰹節を取り出した。
「わぁ〜すごい!ハルハナにも鰹節があったの?」
「それがあったんだよ。お店の人の言葉も鰹節って聞こえたから間違いないよ」
「ほぇ〜」
由紀は片手で手綱を握りながら、幹太から鰹節を受け取る。
「め、めちゃくちゃ軽くない?」
「うん。それだけ大きいのにその重さはすごいよな。ひょっとしたら、リーズの鰹節よりも良い品かもしれない…」
幹太はリーズのご当地ラーメンに現地の鰹節を使っていた。
『どうするかな…』
幹太は由紀の持つ鰹節を見ながら考える。
「よし。一丁、やってみるか…」
そしてそう呟いた。
「やってみるって、魚介のスープ?」
「うん」
そうして三人はその日の夜、アルナ村に戻ってきた。
「殿下、おやすみなさい…」
「じゃあ私はあとでね、幹ちゃん♪」
「あぁ…」
村に着いてすぐ、アルナは由紀と共に家に帰り、幹太は一人で店舗のキッチンに残った。
「クレア様とはカブるだろうけど、仕方ないか…」
そう言いながら、幹太はまずカツオを捌き始めた。
「さて、どんな味かな…」
そして、柵にした身をスライスして刺身で食べてみる。
「おー!こりゃうまい!」
と、驚いた幹太が一気に半身を食べてしまうほど、ハルハナのカツオは脂がのっていて美味しかった。
「んじゃ、このアラでダシを取るか…えっと、鍋は…」
このキッチンには、以前使われていた調理道具がそのまま残されており、幹太はその中あった大きめの片手鍋に水とアラを入れて火にかけた。
「しかし、アラってどのくらい煮出していいのかな?」
幹太はそう言いながら、さらにもう一つの片手鍋に水を入れて火にかけ、薄く削られた鰹節を山ほど中に入れた。
「水から入れて沸く寸前に出すんだっけか…」
そして、父親の見よう見まねでダシをとった。
「で、アラの方は…おっ!いい感じだな」
そうしてしばらく調理をしていると、アラの方からもダシの香りがしはじめる。
「どれどれ…まずは鰹節の方から…」
幹太は二つある鍋の片方を、小皿に移して味見する。
「…あ!これ美味いっ!」
見た目も完全に高級な鰹節だけあって、幹太が最初に味見したカツオのダシは、驚くほど美味しかった。
「ん〜?こりゃ少し手を加えるだけで味噌ラーメンはいけるな」
以前に山ほど味噌ラーメンを試作した幹太の経験上、美味しいダシとそれに合う味噌を使って作られた味噌汁は、そのまま味噌ラーメンのスープにも使える。
「で、アラの方か…」
次に幹太は、少しだけ魚の身が浮くアラの方のダシを口にした。
「おぉっ!めっちゃカツオだ!」
そして幹太はもう一口、アラのダシを飲む。
「うん。ちょっと臭みがあるけど、ラーメンに使うならこっちの方がいいかな…」
どちらかというと、色々な雑味を取り除いて洗練されたスープよりも、雑味があっても濃いめにエキスの出た力強いスープを好む幹太としては、アラのスープの方が美味しく感じられた。
「このぐらい強い味の方が麺にもしっかり味がつくし、他の具の味にも負けないんだよな…」
そう言いながら、幹太はアラの入った鍋を見る。
「っとなると、どうやってこのほんのり香る生臭さを消すかなんだけど…」
とそこで、幹太の脳裏にほくそ笑む赤髪の王女の顔が浮かんだ。
「あ、そーいやクレア様は、いろんな料理レシピが入ったタブレットを持ってるんだっけ…」
クレアは日本から戻ってくる時に、あちらの世界のありとあらゆる料理のレシピをタブレットに詰め込んで持ち帰り、どこに行く時も携帯している。
「ハハッ♪こりゃ勝負するとなったら強敵だぞ…」
幹太は苦笑しながら立ち上がり、再び調理を始めた。




