第387話 豚骨の思い出
「クレア様は絶対、魚介系のラーメンだと思うんだよなぁ〜」
一方その頃、幹太は掃除の終わった旧食堂の店内で、新しいラーメンの構想を練っていた。
「あ、やっぱり違うラーメンにしたいんだ?」
幹太にそう聞いた由紀は、なぜかレストランのウェイトレスの格好をしていた。
「まぁそうだなんだけど…って、由紀、その格好は?」
「あぁ、これ♪」
由紀は幹太の前で、クルッと一周まわって見せる。
「なんか奥にあるロッカーに入ってたの♪着替えがないから借りちゃったんだけど…どうかな、似合う?」
「うん。似合ってる。っていうか、昔もそんな格好で働いてたよな?」
「あ、ジョナミラね♪澪とやってたやつ♪」
由紀は高校時代に可愛い制服で有名なファミレスでバイトしていた。
「そうそう。駅前の通りのとこにあったやつ。よく行ったよなぁ〜」
「幹ちゃんのジム、近かったしね♪」
その頃の幹太は今のようにラーメン馬鹿ではなく、学校とボクシングに精を出す、普通の学生だった。
「あぁそっか。それ、いいかも…」
「いいって…ラーメンのアイデアにってこと?」
「そう」
「ジョナミラが?」
そう言って、由紀はエプロンの肩紐をつまんで持ち上げる。
「いいや、そうじゃなくて。あの頃食べたかったラーメンって、どんなだったかなって…」
「つまり、幹ちゃんが学生時代に食べたかったラーメンってこと?」
「うん。あの頃はオヤジがいたから、好きなラーメンを食べれなかったりしてたし…」
「あぁ…幹ちゃんちはそうだったね…」
と、その頃の芹沢家の事情を知っている由紀は苦笑する。
「あれって、どうしてダメだったんだっけ?」
「すごくくだらない理由だったんたけど、確か…由紀が親父に聞いたんじゃなかったっけ?」
「えっ!そうだっけ…」
「うん、たぶん。あの頃の俺じゃ聞けなかったと思う…」
それは、由紀と幹太がまだ中学生だった頃の話だ。
「幹ちゃん、私、ラーメン食べたい!」
「えっ!由紀、さっきお昼食べてなかった?」
「でも、お腹へっちゃったんだもん!」
「そりゃまぁ俺もそうだけど…」
育ちざかりだった二人は、いつも空腹を感じながら下校していた。
「俺も夕飯までガマンは無理だな…」
さらにこの日は昼までの授業で、まだ夕飯までは時間があった。
「あ!そういえば、駅向こうのラーメン屋が土曜日に学割ラーメンしてたな…」
「えっ!じゃあ行こうよ、幹ちゃん♪」
「だな♪」
そう決めた二人は一度家に戻り、吉祥寺駅北口のラーメン店に向かった。
「あ、でも、あそこって豚骨ラーメンじゃなかった?」
「う、うん。そうだけど…豚骨じゃないラーメンもあるだろ」
幹太はなぜかオドオドしながらそう言う。
「えっ?幹ちゃん、豚骨ラーメン食べないの?」
この頃の幹太は、育ち盛りの男の子らしく濃いめのラーメンが好きだった。
「た、食べる…」
「でも、それだと正蔵おじさんに怒られない?」
「怒られる。けど…」
とそこで、幹太は拳を握りしめて由紀の方を見た。
「お、おれはいつでも食べたいラーメンを食べるっ!」
そして、覚悟を決めた顔で由紀にそう宣言する。
「えー!いいの?」
「うん。いいんだ。だいたい、家のルールで大人になるまでは豚骨ラーメン禁止っておかしいだろ?」
そうなのだ。
この頃の芹沢家では、なぜか豚骨ラーメンを食べることが禁止されていた。
「それは私もそう思うけど…正蔵おじさん、なんでそんなルールを作ったの?」
「いや、理由は聞いてない…」
「ふ〜ん、そうなんだ…」
理屈はわからないが、ラーメン屋の正蔵が言うのなら、何かしらの理由があるのだろうと由紀は納得する。
「けど、ゆーちゃんと二人なら大丈夫♪」
幹太はドヤ顔で胸を張る。
「ほぇ?なんで?」
「ゆーちゃんはぜったい内緒にしてくれるだろうし、父さんに何食べたか聞かれても、普通のラーメンを食べたって言ってくれるだろ?」
幹太は満面の笑みで由紀の顔を見た。
「ごめんね、幹ちゃん。内緒にはするけど、私、おじさんにウソはつけない…」
「えっ!そうなのっ!?」
幹太は一転して情けない顔で由紀にそう聞く。
「うん。そうだよ…」
「そ、そっか〜、確かにいくら食べたいからって、ゆーちゃんにウソつかせるのはよくないな…」
「うん。ごめんね、幹ちゃん」
「いや、俺の方こそごめんだった。お詫びに今日はごちそうするぜ!」
そう言って、幹太はポケットから千円札をだして由紀に見せつける。
この頃は、学生であればまだ五百円でラーメンが食べられる時代だった。
「うん♪ありがと、幹ちゃん♪」
そうして二人はこの後、お互いに食べたいラーメンを食べ、先ほどの宣言通り、幹太が会計をして一緒に芹沢家に戻った。
「おう。おかえり」
そして、満腹の二人を芹沢家で出迎えたのは正蔵だった。
「こ、こんばんわ。おじさん…」
「あぁ、おかえり、ゆーちゃん」
と、正蔵は笑顔で由紀の頭を撫でる。
「ただいま、父さん」
「あぁ、おかえり」
そして由紀と同じく、幹太の頭も撫でた。
「あ…お前…」
「な、なに?」
「なんかラーメン屋の匂いがするな…」
ラーメン屋はラーメン屋に行った人間の匂いが百パーわかる。
これはラーメン業界の常識である。
「う、うん。ゆーちゃんと駅向こうのとこに…」
「駅向こう…カミナリ屋か?」
「う、うん…」
「……」
とそこで、正蔵は幹太の唇が脂でテカテカなことに気がついた。
「幹太…お前、豚骨食べたな…?」
「えっ!あ、うん…」
幹太は一瞬迷ったものの、正直にそう言う。
「前に豚骨ラーメン禁止って言ったのは覚えてるか?」
「お、覚えてるよ!けど、俺、食べたくて…」
「まぁ食っちまったもんはしょうがねぇから今回はいいが、次はなしだぞ」
正蔵は、幹太と目線を合わせてそう言う。
「う、うん。わかった」
「ねぇおじさん、なんで幹ちゃんちは豚骨ラーメンを食べちゃダメなの?」
とそこで、幹太の隣にいた由紀が不機嫌そうに頬を膨らませながらそう聞いた。
「食べたいラーメンが食べられないなんて、幹ちゃんがかわいそうだよ!」
この頃すでに幹太至上主義だった由紀としては、芹沢家のルールがとても理不尽なものに思えたのだ。
「そ、それは、なぁ…」
由紀の純粋な目に気押された正蔵は、振り返って仏壇に置かれた妻の写真を見た。
「か、体に悪いからだ…」
そして由紀の方を見ず、目を泳がせながらそう言う。
「あ、正蔵おじさん、ウソついてる…」
そんな正蔵を見た由紀は、ボソッとそう呟く。
「お、おい!ゆーちゃん、ホントだぞ!」
「ウソ…おじさん、幹ちゃんがウソつく時と同じ顔してる…」
そう言うにつれて、由紀の顔はどんどんかなしげになっていく。
「わかった。おじさんが本当のこと言ってくれないなら…私、お母さんに言いつける…」
「いやいやっ!ゆーちゃん、それは困る!」
この頃、片親だった芹沢家はなにかと由紀の母、春乃の世話になっており、正蔵にとって彼女は頭の上がらない存在だったのだ。
「う、うぅ…じゃあ本当のこと教えて?」
と、由紀は目をウルウルさせながら正蔵に迫る。
「し、仕方ないか…」
「えぇっ!父さん、話してくれるの!?」
幹太はまさか芹沢家の絶対権力者である父が、小さな女の子に負けるとは思っていなかったのだ。
「まぁな…」
「じゃ、じゃあ、どうして食べちゃいけないのさ?」
幹太は今にも泣きそうな由紀と手を繋いでそう聞いた。
「それはな…」
「「うん…」」
「俺が嫌いなラーメンだからだ…」
正蔵は頬を掻きながら、恥ずかしそうにそう言う。
「「……」」
その言葉を聞いた幹太と由紀は、しばらくの間言葉を失った。
「お、おじさん…?」
「と、父さん…?」
「あぁ…なんだ?」
「そ、そんなことで豚骨ラーメン禁止って言ってたの?」
「だから、そうだって言ってるだろ!だいたい、なんだあのラーメンは!?環七沿いの店に俺も行ったが、あんなのはラーメンの匂いじゃねぇぞ!」
正蔵は顔を真っ赤にしながら、一気にそうまくしたてる。
つまり正蔵は、単に自分が気にくわないという理由で、幹太に豚骨ラーメンを食べることを禁止していたのだ。
「いやー、あの時の親父の顔は忘れないよ」
「え〜?そんな理由だったっけ…?」
ウェイトレス姿で首を傾げる由紀は、すっかりその時のことを忘れていた。
「まぁな。今になって考えてみれば、あの頃は急に豚骨のラーメン屋が東京に出店しだして、東京ラーメン一本でやってきた親父としては、本気で気に食わなかったんだろうけどな…」
「おじさん、頑固だったもんねぇ♪」
「そうだよ。あの後だって、しばらくは本当に豚骨ラーメン禁止だったし…」
「フフッ♪幹ちゃん、高校の時も挙動不審になりながら豚骨ラーメン屋さんに行ってたよね♪」
由紀はその頃を思い出し、クスクス笑う。
「だって、親父に見つかったら大変だったし。さて、そろそろやるかな…」
幹太ははそう言いながら立ち上がり、由紀と共にピカピカに掃除されたキッチンに入った。




