第82話 怒濤と土塊
サガンは乱戦から少し離れた場所で、一人の男と対峙していた。
男は、この場に似つかわしくないほど整った顔立ちをしていた。柔らかそうな金色の髪。血の匂いが漂う中でも、汚れの一つもない上等な身なり。まるでどこかの貴族の子息が迷い込んできたかのような佇まいだった。
「お前が土魔法使いか」
サガンはそう声をかけた。
「ああ、そうだよ。ずいぶん大きな図体だね」
男はそう言って、にたりと笑った。その笑みにはどこか常人とは違う歪んだ明るさがあった。
「名前は」
「ゲイルだ。あんたは」
「サガンだ」
「サガンね。悪いけどこれからじっくり可愛がらせてもらうよ」
その一言にサガンは内心、僅かに寒気を覚えた。
*
次の瞬間、ゲイルの周囲の地面が隆起し始めた。土と岩が次々と盛り上がっていく。
「これがあんたのスキルか」
「そうさ。じわじわと締め上げて、ゆっくり味わうのが僕のやり方でね」
隆起した土の腕がサガンに向かって伸びてきた。サガンはそれを素早く躱した。
「避けがいいね。でも、いつまで続くかな」
ゲイルはそう言いながら、次々と新たな土の腕を繰り出してきた。数が多い。避け続けるだけでは、いずれ限界が来る。
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「くそ、鬱陶しいな」
サガンはそう吐き捨てながら、一つの土の腕を正面から受け止めた。サガンのスキル"怒濤"。腕力を大幅に強化する、彼のスキルだった。
土の腕はその圧倒的な力の前に、あっさりと砕け散った。
「おお、力自慢か。面白い」
ゲイルはそう言って、さらに笑みを深めた。
「じゃあ、これはどうかな」
今度は一本ではなく、複数の土の腕が同時にサガンを取り囲むように迫ってきた。
「同時に来るか」
サガンはそう呟きながら、それぞれを力任せに砕いていった。だが、数があまりに多い。左から迫る腕を拳で砕いたと思えば、今度は右から別の腕が迫ってくる。休む間もない連続した攻撃に、腕が徐々に疲労を感じ始めていた。
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「へえ、よく粘るね」
ゲイルはそう言って、感心したような声を上げた。それでいて、その目には獲物をじっくりと観察するような嗜虐的な色があった。
「あんた、随分と楽しそうだな」
「そりゃそうさ。人間をじっくりを時間をかけて、締め上げるのがたまらないんだよ、僕はね」
歪んだ笑顔を浮かべて、ゲイルは続ける。
「この間なんか、粛清対象の女、丸一日かけてじっくり僕が可愛がってやったっけ。最後は命乞いの声すら掠れちまってさ」
ゲイルはそう言って、うっとりとした表情を浮かべた。
その答えにサガンは内心、強い不快感を覚えた。かつての部下たちの中にも、こういう類の暴力を楽しむ人間がいた。ドレットがまさにそうだった。
*
「君達は、この組織がどんな組織なのか分かって攻めてきたのかい」
ゲイルはサガンへそう尋ねた。
「当然だ。五大貴族家の粛清機関だろ」
「よく調べてきたね。どうやって辿り着いたのか分からないが、大したものだ」
「あんたはこんな組織に、自分で望んでいるのか」
「当たり前だろう。五大貴族家を隠れ蓑にすれば、仕事として堂々と僕は人が殺せる。こんな楽しい仕事はそうそうないよ」
ゲイルはそう言って、心底楽しそうに笑った。
「そうか。俺はあんたみたいな奴が一番嫌いなんだ」
サガンはそう低い声で言った。
「おや、何か思うところがあるみたいだね」
「あんたの同類を始末し損ねたことがある。俺の代わりに他人がそいつをやってくれたがな」
「ふうん、そりゃ残念だ。会ってみたかったのに」
ドレットのことを思い出しながら、サガンは内心、苦い記憶を噛み締めた。
あの日、部下だと思っていた男が粛清された。それでもあれは正しい決断だったと、今なら分かる。ゲイルというこの男も、野放しにしておくと同じ道を辿ることになるはず。いや、ドレットよりも質が悪いかもしれない。
もしここで自分が後れを取るようなことがあれば、波影の連中にも示しがつかない。部下たちを率いる立場である以上、失敗は許されなかった。
*
その会話の間にも、ゲイルは次々と土の腕を繰り出し続けていた。サガンはそれを砕きながら、少しずつ距離を詰めていった。
「人間を締め続けるとどうなるか知ってるかい」
「聞きたくねえな」
ゲイルは自身の趣味を優先し、土の腕を出すことに固執しているようだ。
サガンは徐々に土の腕の対処に慣れてきていた。
「君自身で見せてあげるよ」
「俺がお前を締め上げてやる」
「そう簡単にはいかせないよ」
ゲイルはそう言うと、地面全体を大きく隆起させ、サガンの足元を丸ごと掬い上げようとした。
サガンはそれを察知し、大きく跳んで躱した。着地と同時に一気に距離を詰める。
「捕まえた」
サガンはそう言うと、ゲイルの胸ぐらを掴み上げた。
「な、なんで、そんなに速く」
「怒濤は腕力だけじゃない。瞬発力も上がる」
サガンはここまで、自身のスキルを腕力のみのように見せかけて凌いでいた。一足で近づける距離まで詰めた、ここぞという場面で種明かしをして見せた。
サガンはそのまま、ゲイルを力任せに地面に叩きつけた。鈍い音と共に、ゲイルの身体が大きく跳ねる。
「ぐぁ……!」
「お前の負けだ」
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決着したと思った。サガンはゲイルにとどめを刺すために近寄る。
"怒濤"の力で叩きつけられたゲイルは、まだ笑っていた。
「まだ終わってないよ」
そう言うと、最後の力を振り絞るように、地面から鋭い土の刃を突き出そうとした。だがサガンは、それより先に拳を振り下ろしていた。
「くく……君、僕を殺す気かい。まあいいさ。どうせ頭にも、切り捨てられる身だったんだ」
ゲイルはそう言って、最後まで崩れた笑みを崩さなかった。
一撃でゲイルは完全に意識を失った。サガンはその様子を確認すると、大きく息を吐いた。
「終わったか」
サガンはそう独り言のように呟いた。ゲイルが初めからこういう魔法で来られたら、もしかしたら負けていたかもしれない。自身の嗜虐趣味が身を滅ぼした、とも言える。
しかし、トーアから任された初めての仕事。それを確実に成し遂げられたことに、内心僅かな達成感を覚えていた。かつては部下への義理に囚われて貴族の言いなりのまま、他種族を苦しめてきた。今は以前とは違う、戦う理由がそこにある気がした。
*
周囲を見渡すと、まだあちこちで戦いが続いていた。
「俺の方は片付いた」
サガンはそう声を張り上げた。
*
怒濤という力。それは単純な腕力の強化に留まらない。瞬発力、そして粘り強さ。全てが噛み合ってこの勝利を掴めた。トーアの下で初めて任された仕事。その重みを噛み締めながら、サガンは自分の仕事を終えた。




