第70話 全てには値段がある
波影、花翳、石棺、揺籠。全て俺の管理下に置いた翌日。オーレリア家に感付かれる前に決着をつける必要がある。
「準備は整いました」
セラフィナがそう報告した。彼女の顔にはまだ、疲労の色が残っていた。昨日の揺籠での一件があるからだろう。だが、今そのことに言及してはいられない。
「ガロ、ルーシャ、サガンも既に待機してる。セラフィナも頼む。行くぞ」
俺はそう答えた。今回はこれまでで最大規模の戦力を揃えていた。
*
オーレリア家の本邸に、俺たちは堂々と乗り込んだ。門番は俺たちの姿を見て、明らかに動揺していた。
「ロレンツォ様に話がある。大至急だ」
波影の長であるサガンからこう告げられ、有無を言わさずロレンツォへ取り次ぎさせた。
*
サガンの案内で、ロレンツォの部屋の前に到着した。
ガロ、ルーシャ、サガンは、邪魔が入らないようにするためと、万が一の場合に備えて、部屋の外に待機してもらう。俺とセラフィナだけで部屋に入った。
部屋には恰幅の良い、初老の男が椅子に腰掛けていた。ロレンツォ・オーレリアだった。指先には、幾つもの金の指輪が光っている。この街の商業の頂点に長年君臨してきた者らしい、堂々とした佇まいだった。
「見ない顔だな、サガンはどうした、お前たちは誰だ」
「あんたの裏稼業について話がある」
「裏稼業、とはいきなり何だ」
ロレンツォはしらを切るように、そう返した。だがその目には既に、僅かな動揺の色が見えていた。
*
「波影、花翳、石棺、揺籠。全て俺が乗っ取らせてもらった」
俺はそう単刀直入に告げた。
「……何を馬鹿なことを」
「サガンを呼んでもいい。本人に確認すれば分かる」
ロレンツォの顔色がみるみる変わっていった。
「お前、何のつもりだ」
「あんたの裏の商売を俺の管理下に置く。それだけだ」
俺はセラフィナへ目で合図すると、セラフィナから花翳、石棺、揺籠それぞれの契約がグラナイトか俺に上書きされた契約書を取り出し、ロレンツォへ渡す。
それを眺めたロレンツォの顔が、明らかに歪みだした。
「お前の望みは、金か」
「金じゃない。この国の歪みを正すことだ」
「綺麗事を抜かすな」
ロレンツォはそう吐き捨てた。それでもその声には既に余裕が失われていた。
「あんただけじゃない。グラハム家、ファーレン家。両方とも既に俺の傘下だ。次はあんたの番だ」
その一言に、ロレンツォの表情が完全に凍りついた。
「馬鹿な……そんなことが」
「疑うなら確かめればいい。ただ時間の無駄だ」
ロレンツォはしばらく黙り込んでいた。それから震える声で、そう絞り出した。
「お前、一体何者だ」
「今はそれを話す必要はない。あんたが選ぶべきことは、一つだけだ」
*
「俺への事業譲渡の契約に応じるか。それとも力ずくで契約させるか」
俺はそう突きつけた。
「力ずくで、というのは」
「そのままだ。素直に従わないなら痛い目にあってもらうだけだ」
「誰か! サガン! いないのか!」
「無駄だ。波影は俺が乗っ取ったと言っただろう。そのサガンがお前の護衛を押さえている。今ここでお前を守るものは何もない」
「ふざけるな!」
ロレンツォはそう叫びながら、隠し持っていたナイフを握って俺に向かってきた。
ここで反抗してきた当主は初めてだ。戦闘スキルを持たないと聞いているし、このまま何もしなくても反射されるだけだが、こいつには表向きには無傷で居てもらわなければいけない。
俺はロレンツォを躱し、腹に拳を叩きこむ。
「ぐうっ……!」
「悪あがきだな。普段からもっと訓練しておくべきだったな」
*
「答えは」
蹲るロレンツォへ、俺はそう促した。
ロレンツォはしばらく考え込んでいた。それから静かに口を開いた。
「……分かった。契約に応じる」
その一言がようやく、絞り出された。
*
「一つ聞かせろ。俺のこれまでの立場は」
「表向きの当主の座はそのまま残してやる。バルドもイグナーツも同じ形だ」
俺はそう答えた。
「裏稼業の実権は俺が握る。あんたはこれまで通り、表舞台に立ち続けていい」
「それが、お前なりの慈悲か」
「慈悲じゃない。その方が都合がいいだけだ」
ロレンツォはその答えに、力なく笑った。
「全てには値段がある。俺のその信条は正しかったわけだ。ただ今回は、値札をつけられたのが俺自身だった、というだけの話だな」
「高い値段を付けてやる。せいぜい、今後もまっとうな表の商売に励むといい」
*
「セラフィナ、契約書を」
俺はそう指示した。セラフィナが懐から書類を取り出し、机の上に広げた。
「内容は以下の通りです。波影、花翳、石棺、揺籠。全ての実質的な運営権を譲渡すること。奴隷契約に縛られている者たちの契約解除に応じること」
ロレンツォはその書面をじっくりと、読み込んだ。それから震える手で署名した。
「これでいいんだな」
「ああ。これで決着だ」
俺はそう言って、その紙を懐にしまった。
*
「一つ聞いていいか」
ロレンツォがそう切り出した。
「お前はこれからどうする気だ。お前の言っていることが本当なら、五大貴族家の三つを支配下に置いたことになる。他の二つも狙うつもりか」
「そうなるだろうな」
「アーヴィング家、セドリック家。両方とも俺よりも遥かに厄介な相手だ。軍事と司法、それぞれを司る家だ。俺のような商人風情とは、暴力の格が違う」
ロレンツォはそう忠告するように言った。
「忠告、感謝する」
「忠告じゃない。ただの事実だ。お前がどうなろうと俺には関係ない。無様に殺されることを祈っている」
その言葉に俺は少し笑った。まだ僅かな反骨心が残っているらしい。それでもこの男は既に、俺の傀儡に過ぎなかった。
この街の裏稼業、その最後の大物を、俺は確実に屈服させた。残るは被害者たちの解放。そして、この街全体への影響を見極める段階だった。
*
部屋を出るとサガンやガロが待っていた。
「終わったのか」
「ああ。オーレリア家も俺たちの下についた」
「これで五大貴族家のうち、三つか。あんた本当に大したもんだな」
ガロはそう言って、感嘆したような表情を見せた。
「俺達はこれで自由なのか」
サガンからもこう尋ねられる。
「ああ。今後も表向きは波影として動いてもらうが、これまでのような人を苦しめるような仕事では無くなる」
「半信半疑だったが、あんた凄いな。それでこそ俺達を使う人間だ」
サガンにも直接成果を見せることができた。これでサガンという実力者も、ガロのような有能な駒として今後動かせるだろう。
*
この街に来てまだ、それほど経っていない。それでも、五大貴族家のうち三つを確実に、手中に収めた。前世でも想像もしなかった規模の支配だった。
残るはアーヴィング家、セドリック家。ロレンツォが言う通り、それぞれ軍事と司法を司る、厄介な相手だ。それでも今はまず、目の前のこの一件を確実に終わらせることが先決だった。




