第6話 スラムの縄張り
スキルの検証が一通り済んだ頃、俺は次の段階に移ることにした。
金だ。この世界でも、金がなければ何もできない。宿代を稼ぐだけの日雇い仕事では、いつまでも足踏みするだけだ。もっと効率のいい稼ぎ方が必要だった。前世でも、最初の資金作りが最も面倒で、最も重要な段階だった。種銭がなければどんな知恵も、絵に描いた餅にしかならない。
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目をつけたのは、あの裏路地の賭博場だった。
木箱を賭台にした、粗末な賽子賭博。仕切っているのは四十絡みの男だった。名はゴブと呼ばれていた。
「兄さん、また来たのか」
ゴブは俺の顔を見て、少し警戒するような目をした。以前、いかさまを指摘してやった時のことを、まだ覚えているらしい。
「稼ぎの相談に来た」
「相談?」
「この賭博場、正直、儲かってねえだろ」
ゴブは一瞬黙った。図星だったのだろう。客が絶えず入れ替わり、賭け金も大きく動く様子はない。金の流れが細く頼りなかった。こういう経営の下手な人間は、前世でもいくらでも見てきた。付け入る隙は常に、こういう場所に落ちている。
「いかさまがバレて、常連が減った。それだけの話だ」
ゴブは苦々しい顔で、そう吐き出した。以前使っていた仕込みの賽子が、常連の一人に見抜かれ、それ以来客足が遠のいたという。前世で見てきた、小さな賭場の末路と、よく似た話だった。稚拙な手口は、いずれ必ず見抜かれる。
「だったら、俺が客を呼んでやる」
俺はそう提案した。もちろん善意ではない。この男の賭場が立ち直れば、それだけ俺が利用できる金の流れも太くなる。
「なんの見返りに」
「取り分は、後で話す。まずは結果を見てから決めればいい」
ゴブはしばらく、俺の顔を睨むように見ていた。信用に足るかどうかを値踏みしているのだろう。だが今のままでは、この賭場自体がじきに立ち行かなくなる。そんな焦りも目の奥に見えた。追い詰められた人間ほど、目先の提案に飛びつきやすい。それも前世で学んだ理屈の一つだった。
「……分かった。やってみろ」
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方法は単純だった。
まず、俺自身が客として何度か勝って見せる。当然、実際には負ける振りと勝つ振りを、こちらで調整している。手先の技術は、前世で何度も使ってきたものだ。相手に気づかれない程度に、賽子の出方を操るのは造作もなかった。
勝つ客が出れば噂は広まる。人が集まれば賭け金も増える。増えた分の一部を俺が取る。ゴブにとっても悪い話ではなかった。もっとも、こちらが取る分の割合はこの男が気づかない程度に、少しずつ調整していくつもりだった。
「兄さん、あんた、何者だ」
数日後、賭博場が明らかに活気を取り戻した頃、ゴブがそう聞いてきた。
「何者でもない。ただの流れ者だ」
俺はそう答えて、それ以上は語らなかった。詳しい素性を明かす必要はない。ただ、使える男だと思わせれば、それで十分だった。
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賭博場で得た伝手を通じて、俺はこの街の裏側について、少しずつ話を聞くようになった。
「この辺りのシマは、二つの組織が、大体押さえてる」
ゴブは酒を飲みながら、そう教えてくれた。
「一つは、グラナイト。古くからある連中で、義理と縄張りにやたら厳しい。もう一つはシンダーズ。こっちは新しい方で、義理も何もねえ、金次第で動く連中だ」
「どっちが強い」
「一概には言えねえな。グラナイトの方が組織としては大きいが、シンダーズの方が勢いはある。ここ数年で、シマをかなり食い込まれてる」
ゴブはそう言ってから、少し声を落とした。
「この賭場も、元々はグラナイトの縄張り内だ。だが、あいつら、最近、目が届かなくなってきてる。だからシンダーズの若い連中が、隙あらば、こういう小さな場所に鼻を突っ込んでくるようになった」
「今のところ、揉め事にはなってねえのか」
「なってねえのは、単にこの賭場が小さすぎて、相手にされてねえだけだ。いつまでも、そうとは限らねえけどな」
その説明を聞きながら、俺は内心既視感を覚えていた。古い義理を重んじる組織と、利益優先の新興組織。前世でも似たような対立を何度も見てきた。組織が縄張りを守れなくなった時、末端の小さな場所からじわじわと食い荒らされていく。その構図はどの世界でも同じらしい。組織の名前や扱う商品が変わっても、力の抜け目には必ず、次に強い者が入り込んでくる。
「兄さんは、どっちにも属してねえだろ」
「今のところは」
俺は慎重に答えた。どちらかに属せば、当然義理や上下関係が発生する。今の段階で、そんな枷を自分に課すつもりはなかった。組織の駒として使われるのはごめんだ。使うのはいつも、こちら側でなければならない。
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この賭博場の一件は、思っていたよりも早く、街の一部で噂になった。
「あの流れ者、賽子の腕が立つらしい」
「いや、あれは腕じゃねえ。何かやってるって話だ」
そんな噂話が耳に入ってくるようになった。半分は正しく、半分は誤解だった。都合が良かった。実態を正確に見抜かれる方が、よほど厄介だ。
ある日、酒場で、俺のことを知らない男が、隣の客にそう話しているのを聞いた。
「あの黒髪の男、なんか裏でつるんでる組織があるんじゃねえかって話だぜ」
「グラナイトか、シンダーズか」
「さあな。どっちにも、そんな話は届いてねえらしいが」
どちらの組織にも属していない。それだけで、勝手に何かの後ろ盾があるように見られているらしい。実態は、ただの身元不明の流れ者だ。だが、その誤解こそが今の俺には、都合の良い"鎧"になっていた。実力を見せる前から勝手に格上げしてくれるのだから、こんなに安上がりな評判の作り方はない。
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賭博場以外にも、俺は小さな揉め事の"処理"を、いくつか請け負うようになった。
借金の取り立て、揉め事の仲裁、時には、ちょっとした荷物の運搬。どれも法に触れるかどうかの、際を歩くような仕事だった。
ある時は、露天商同士の場所争いに仲裁として入った。片方が明らかに無理な言い分を通そうとしていた。事情を聞き、双方の顔を潰さない形で境界線を引き直してやった。揉めた側も丸く収まった側も、俺に小銭を握らせてきた。金額は大した額ではなかった。だが、こういう小さな積み重ねが、この街での立場を確かなものにしていく。誰かの争いを公平に見えるように収める。それだけで両方から感謝され、なおかつ金も入る。手間に対する見返りとしては悪くない仕事だった。
前世で言えば、下っ端の仕事の延長でしかない。だが、この街で素性の分からない流れ者が、一足飛びに大きな仕事にありつけるはずもなかった。
地道に信用を積む。それが今、一番確実な道だった。
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ある夜、宿に戻る途中、俺は路地の隅で、見覚えのある顔を見かけた。
以前、俺を襲って逃げていった、長身の男だった。
男は俺の顔を見て、明らかに怯えた表情を浮かべ、慌てて路地の奥へ逃げていった。追う気はなかった。もう、この街での俺の評判はある程度固まりつつある。逃げていく背中を見ながら、俺はただ、この街での立ち位置が着実に固まっていることを確認しただけだった。
――化け物、か。
悪い評判ではなかった。むしろ都合が良い。誰も正体を知らないまま、俺という存在に勝手な畏怖を抱いてくれる。それこそが、今の俺にとって、最も使いやすい"武器"だった。
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資金源と多少の信用。それが、この数週間で俺が積み上げたものだった。
懐には、まだ大した額ではないが、宿代を心配する必要のない程度の金が、確実に残るようになっていた。前世で言えば、駆け出しの新人が、ようやく自分の飯代を稼げるようになった程度の段階だ。それでも、何もなかったところから、ここまで来た。悪くない足取りだった。
まだ、大きな動きを起こす段階ではない。だが、この街の構造――貴族、裏社会、そして、その間で搾取される大勢の人間たちの姿は、少しずつ輪郭を帯びてきていた。この構図をどう利用するか。それが、次の課題になる。
この国全体の"歪み"を知るには、もっと視野を広げる必要がある。スラムの中だけを見ていても、この国が、なぜこんな有様になっているのか、その根本までは見えてこない。
俺は、王都の中心部――貴族の住む区域の方向へ、初めて足を向けることにした。




