第54話 彼女の見た軌跡
私――セラフィナ・リンハートがあの男、トーアと出会ってからまだそう長くない。それでも振り返れば、随分と多くのことが変わったように思う。
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最初は正直、胡散臭い人物が訪ねてきたとしか思えなかった。
この国では決して見ることのない、黒髪と黒目。異質な色彩を持つ素性の知れない男。それだけでも警戒するには十分な理由だった。学者として数々の異形の存在を、文献の上でしか知らなかった私にとって、その色彩はそれだけで異物として映るものだった。
トーアは乱暴に私を従わせようとはしなかった。むしろ私に話を聞いてもらうために、あらかじめ様々な手を回していた。強引さの裏にある種の慎重さがあったことを、今ならはっきりと理解できる。
彼は私に協力を求める前に、まず成果を示した。私自身の一族の負債についても、自ら契約魔法を交わしてまで協力を確実なものにしようとした。
まだ彼の何も知らなかった、あの頃の私にはその姿勢が、誠実なものに映ったことは否定できない。今思えば、それすらも彼にとっては実利に基づく、一つの手段に過ぎなかったのだろう。それでも私にとっては初めて、対等に扱われた経験だった。
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彼の背景を詳しく知った時の、あの驚きを私は今も忘れられない。
前世では裏社会の長として悪行の限りを尽くしたこと。
神からこの国の均衡を戻すために遣わされた者であること。
そのために神から直接、強力な力を授けられていること。
彼の語る話が事実であるならば、神は一人の大罪人に贖罪のための、使命を託したことになる。にわかには信じ難い話だった。それでも、これまで目にしてきた彼の力と行動を思えば、それ以外に説明のつく理由は見当たらなかった。
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実際、彼はその語った通りの生き方をしていた。
善行によってではなく悪行によって、五大貴族家のうち二つを屈服させた。恐怖を植え付け弱みを突き、時には命さえ奪ってきた。その結果として、私の一族は彼に救われたことになる。
だがそれは同時に、私自身がその悪行の片棒を担いでいるということでもあった。
学者として、真実を明らかにすることを何より尊いと思って生きてきたはずの私が、拷問の末に処刑された男の存在をあえて見過ごし、その死体を晒すことにさえ加担してきた。その事実を私はどう受け止めればいいのか正直、今もはっきりとした答えを持てていない。
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それでも、私はトーアを信頼している。
この感情をうまく言葉にできない。それでも確かにそこにある。
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実は、私には彼に話していない秘密がある。
"真如"という私のスキル。あらゆるものの構造を知覚できる力。それは、契約書や薬物といった物質だけに留まるものではない。人の普段の振る舞いや話し方の構造と、その瑕疵も同じように読み取ることができる。
つまり私には、人の嘘を見抜く力がある。
この力を、これまで誰にも打ち明けたことはなかった。父にすら明かしたことのない秘密だった。もし、この力の存在が貴族院の誰かに知られれば、私自身が都合の良い道具として、利用され尽くしていただろう。真実を暴く力は時に、真実そのものよりも危険な代物だ。
この力があったからこそ、私はこれまで貴族社会の中で、目をつけられることなくうまく立ち回ってこられた。誰にも明かしていない、私だけの切り札だった。
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そして、その力を通して私は、はっきりと理解している。
トーアは、これまで一度も嘘をついていない。
その場を取り繕うような、おためごかしの言葉は用いない。救済すると言えば必ずそれを実現する。殺すと言えば必ずそれを実行する。有言実行を決して違えることがない。だからこそ前世でも、多くの人間から畏怖され、そして多くの人を率いるカリスマとして君臨していたのだろう。その一貫性こそが、彼という人間の最も恐ろしく、そして最も信頼に足る部分なのだと私は思っている。
人という生き物は大抵、都合の良い時にだけ優しさを口にし、都合が悪くなればあっさりとその言葉を翻す。そういう人間を私は、これまで貴族社会の中で数え切れないほど見てきた。だからこそ、トーアの揺るぎない一貫性が余計に際立って見える。恐怖であれ救済であれ彼が口にした言葉は、必ず現実になっている。それだけの重みを、彼の言葉は常に持っている。
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他にも、彼を見ていて感心させられることがある。
目的を達成するために、手元にある限られた材料だけで論理的に、筋道の通った説を組み立てていく、その思考の速さと確かさだ。
聞けば、彼の前世での最期は四十代だったという。私の倍ほどの歳月を生きてきたことになる。積み重ねた経験の中で会得したものだろう。
彼の場合その思考は大抵、誰かを追い詰めるための手口として使われている。それでも、限られた事実から確実な結論を導き出していくその組み立て方には、学者としての私も見習うべきものがあると、素直に思う。
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もう一つ、私が強く興味を惹かれていることがある。
神から与えられた試練――カルマ値についてだ。
この数値がゼロになった時、この国の均衡は中立に戻り、彼の試練は達成されると聞いている。今は七百六十ほどだと聞いている。それでもこの短い期間で街の様子は、目に見えて変わり始めていた。
この数字がゼロになった時、この国は一体どんな姿に変わっているのだろうか。想像するだけで僅かな高揚を覚える。
長年変わることのないまま腐り続けてきたこの国が、彼という一人の異物によって、根本から生まれ変わろうとしている。その過程を、間近で見届けられる立場にいることを、私は今、密かに誇らしく思っている。
願わくば私は、その瞬間を彼のすぐ傍らで見届けたいと思っている。




