第50話 積み重ね
数日後、セラフィナがイグナーツとの正式な契約をまとめてきた。
「これでファーレン家の麻薬事業の全てが、あなたの管理下に入りました」
セラフィナはそう報告した。
「緑葉も深紅の流通も、表向きはイグナーツの名前のまま、実質的にはこちらの意向で動くようになります」
「あの後、イグナーツの様子はどうだった」
「震えながらもこちらの要求通りに動いていました。もう反抗する気力すら残っていないようです」
「バルドの時と同じ形か」
「はい。同じ型を二回目でも迷わず使えたのは大きいです。相手が変わっても根本の仕組みが同じなら、手順を使い回せます」
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「セラフィナ」
俺はそう呼びかけた。
「あんたの一族の件は、もう片付いてる。だが、あんた自身はこれからも俺の下で働き続けるつもりか」
その問いに、セラフィナは少し驚いたような顔をした。
「今更、何を聞くのですか」
「一応、確認しておきたかった」
「私は最初からあなたと共に、この国の歪みを正す道を選びました。今更退くつもりはありません」
「理由は変わったか」
「変わりました。最初は一族の解放が目的でした。今は少し違います」
「どう違う」
「上手く言葉にはできません。ただ、この街の裏側が変わっていく様子を間近で見てきたことに意味を感じ始めています」
その返答に俺は内心、頷いた。彼女の中で何かが確かに、変化しているらしい。理由を深く問い詰めるつもりはなかった。使える駒が以前より自発的に動いてくれるなら、それだけで十分だった。
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「トーア、一つ聞いてもいいですか」
セラフィナがそう切り出した。
「あなたのことを善悪で測るつもりはありません。ただ、あなたがどういう考えで動いているのかを知りたいのです」
「そうか……少し長くなるが、構わないか」
「構いません」
俺は頭の中を整理しながら話し始めた。
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「まず、麻薬市場についてだ。緑葉は基本、これまで通りでいい。深紅は流通量を抑えるが、廃止はしない」
「廃止しない、というのは」
「金はいくらあっても困らない。麻薬は俺たちの資金源になる。金で取り込める人間や組織はこの先いくらでも出てくるだろうし、スラムの改善資金にも回せる」
「それだけですか」
「もう一つ理由がある。締め付けすぎれば、こちらの管理できない新しいものが生まれる可能性が出てくる」
「新しいもの、というのは」
「俺の前世には、もっと多くの種類の麻薬があった。それぞれを、いくつもの巨大な組織が別々に管理してた。そうなると結局、一般への流通が進んで誰にも手に負えなくなる。俺一人が全体を押さえられる今の方が、まだ制御しやすい」
「なるほど。管理できる余地をあえて残すということですね」
「それに、仕事のないスラムの住民にとって、麻薬の生産や流通はある種の仕事になる。合法じゃなくても、一つの流通網として機能させられる」
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「他には、使う側にも選択肢を残しておきたい」
「使う側にも、理由があるということですか」
「そうだ。緑葉じゃ癒されない精神的な苦痛を抱えてる人間もいるだろう。強い薬でしか得られない快楽もある。それを頭ごなしに、全部禁止するのが本当に正しいのかは分からない」
「分からないとは。トーアの前世でも、そういう議論があったのですか」
「あった。違法薬物を厳罰化すれば社会が良くなるかといえば、そうとも限らない。むしろ裏の違法市場そのものが活性化して、暴力や汚職に繋がるという理論もあった」
「だから、あなたが管理する」
「そうだ。俺が市場を押さえておけば、無秩序に肥大化することを防げる。過剰な取り締まりより確実な管理の方が、結果としてこの街の均衡を保てる」
その説明にセラフィナは、しばらく黙って考え込んでいた。
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「冒険者ギルドについては、どうするつもりですか」
「深紅の原料を採ってた連中は、他の素材採取や地方の魔物討伐に回す。巡花も同じだ」
「ルーシャ様は」
「この女は、表向きは現人神としての体裁を保たせながらも、強力な魔物討伐の専門としてギルドに置く。無用な怪我人や死人を出さずに、冒険者にしか集められない素材を市場に流せるようになる」
「ギルド自体の扱いは」
「ファーレン家の支配から切り離す。独立した健全な組織として機能させる」
その説明にセラフィナは、小さく頷いた。
「よく分かりました。あなたの中には確かに、一貫した理屈があるのですね」
「善悪の話じゃない。ただの実利だ」
「それでも結果として、この街の多くの人間が救われることになります」
その言葉に俺は、それ以上何も言わなかった。
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ルーシャはセラフィナの家で療養を続けていた。深紅の効果が無いときはまだ身体を自由に動かせる状態には戻っていない。
「ルーシャの様子は」
「薬を少しずつ減らしています。エドの時と同じ手順です。ただルーシャ様の場合、身体への負担が遥かに大きいようです。時間は多少かかると思います」
「本人は何か言ってるか」
「あまり多くは語りません。ただ以前より、表情が柔らかくなった気がします。長年抱え続けてきた緊張が、少しずつ解けているのかもしれません」
俺はその言葉に頷いた。急いで答えを出す必要はない。
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その夜、頭の中であの数字を確認した。
788
904から大きく動いていた。ルーシャの解放、イグナーツの傀儡化、そしてこの街に流れていた深紅の危険性を大幅に抑え込んだことが反映されているのだろう。
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「これでファーレン家も片付いた」
俺はそう呟いた。
グラハム家、そしてファーレン家。五大貴族家のうち二つを既に手中に収めた。残るは三つ。オーレリア家、アーヴィング家、セドリック家。この街の歪みは着実に、その輪郭を削られ始めていた。
残り三家についても、これまで積み上げてきた手順は恐らく応用が利くはずだ。まず協力者を見つけ、証拠か弱みを掴み、確実に追い詰める。この型を繰り返し使えばいい。前世では、一度成功した手法をそのまま流用できる場面はそれほど多くなかった。この街の貴族家という限られた対象だからこそ、通用している型なのかもしれない。
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「カインは、これからどうする」
俺がそう尋ねると、ガロが答えた。
「あいつなら、しばらくは巡花の立て直しに専念するらしい。あの組織自体、悪い連中じゃない。ただ使われてただけだ」
「悪くない判断だ」
巡花という組織そのものを潰す必要はない。むしろまっとうな形で再編できれば、この街の新しい資金源にもなる。
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「そういえば、王家主催の祭祀がもうすぐあるそうです」
セラフィナがそう切り出した。
「祭祀、というのは」
「毎年決まった時期に、王家が主催する大規模な催事です。五大貴族家も揃って参列することになっています」
「どんな内容の催事だ」
「詳しくは私も知りません。ただ、国全体の安寧を祈願する、王家にとって重要な儀式だと聞いています。歴代の王が、代々続けてきた伝統だそうです」
「俺たちには関係ない話じゃないか」
「そうとも言い切れません。今のあなたは既に二つの家を、実質的に支配下に置いています。この規模になれば、いずれ表舞台にも関わらざるを得なくなるかもしれません」
「あとトーア、あなたはこの国の常識をまだ知らなさすぎる。こういった催事を見ておくことも、この国のことを知る重要な機会になると思います」
その言葉に俺は少し考え込んだ。
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この街に来て、まだそう長くない。それでも五大貴族家のうち二つを既に、手中に収めた。前世では想像もしなかった規模の力が少しずつ、この手に集まり始めている。裏社会の片隅で日々の縄張り争いに明け暮れていたあの頃とは比べ物にならない規模だった。
次に何を狙うべきか。まだ明確な計画はない。それでも、この歩みを止めるつもりはなかった。祭祀という催事についても今後、詳しく調べておく価値はありそうだった。
千のカルマをゼロに近づける。その道のりはまだ長い。それでも確実に前へ進んでいた。




