第46話 神域
エドの検証を終えた数日後、俺はセラフィナに、次の方針を伝えた。
「ファーレン家も、グラハム家と同じやり方で、押さえる」
「同じやり方、というのは」
「イグナーツを、契約で縛る。麻薬市場ごと、こちらの管理下に置く」
セラフィナは、少し、驚いたような表情を見せた。
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「バルドの時のように瑕疵を突くのですか」
「いや今回は違う。バルドの時は、たまたま瑕疵を見つけられたから、それを盾にできた。ファーレン家に、同じような穴があるとは限らない」
「では、どうやって」
「力ずくで、本人と直接、新しい契約を結ばせる。既にグラハム家という土台がある。同じ手を、今度はもっと強引に使うだけだ」
その説明にセラフィナは、しばらく考え込んでいた。
「これまでの一件と、目的が少し違うように聞こえます」
「違う。今回は救済が目的じゃない。麻薬という市場そのものを、俺の管理下に置く。それが目的だ」
その言葉にセラフィナは何も言わなかった。ただ静かに頷いた。
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「イグナーツ本人を直接、締め上げる必要がある。そのためには、まず本拠地の様子を見ておきたい」
俺はそう続けた。
「カインに、案内を頼む」
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カインの案内で俺は、ファーレン家の本拠地周辺を下見することにした。
建物は王都の中でも一際、荘厳な造りをしていた。白い石壁、彫刻の施された柱。神殿を思わせる佇まいだった。
周囲には警備の兵が規則正しく巡回している。他の貴族家とは明らかに違う緊張感が、この一帯には漂っていた。財力にものを言わせるグラハム家とは、また別種の宗教的な威圧感があった。
「ルーシャ様は、普段あの奥の塔にいるって話だ」
カインが小声でそう教えてくれた。塔の最上階には明かりが灯っている。あそこにあの女がいるのだろう。
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俺たちは慎重に建物の裏手へ回った。警備の隙間を縫って少しでも近づき、内部の様子を確認するつもりだった。
だが裏手の庭に差し掛かった時、俺は明確な気配を感じた。
「誰か、いるな」
振り返るとそこに、一人の女が立っていた。
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白に近い色の衣装を纏った若い女だった。目には、この街のどんな人間とも違う静かな鋭さがある。彼女が纏う空気そのものが、これまで対峙してきた誰とも明確に違っていた。
「侵入者ですね」
「ルーシャ、か」
「私をご存知ですか」
「噂程度にはな」
カインが俺の背後で、僅かに息を呑む音が聞こえた。
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「立ち去るなら今のうちです」
ルーシャはそう言った。だがその口調に敵意は薄かった。
「悪いが、そのつもりはない」
「では仕方ありません」
その言葉と同時にルーシャの姿が消えた。一瞬で俺の目前に詰め寄っていた。
拳が俺の顔面に迫っていた。速度は、これまで相手にしてきた誰よりも速かった。それでも、俺はそれをあえて受けた。
だが拳が触れるその寸前、ルーシャの動きが僅かに変わった。まるで何かを察知したかのように拳の軌道が逸れた。完全な回避ではない。だが直撃を避け、掠める程度の一撃に留まっていた。
俺の頬に痛みが走った。だがそれはいつもの反射の感触とは違っていた。反射されたのは確かだった。だがその量はあまりに僅かだった。
「……今のは、何をしたの」
「さあな」
俺はそう答えながら、内心驚愕していた。この女は拳を放ったその瞬間に何かを察知し、力を抜いた。
カインの言葉が頭の中で蘇った。相手の動きや攻撃の結果を、直感的に先読みできる。完全に見切られたわけではない。だが初見の相手にしか確実には効かないはずの反射が、ここまで精度を落とされたのは初めてだった。
「もう一度」
ルーシャは今度は蹴りだった。ただ先ほどの拳とは違い、大きく踏み込んでの力任せの一撃だった。恐らく様子見ではなく、こちらの反応そのものを確かめるための、大振りな牽制だったのだろう。
俺はあえて、その場を避けた。無理に受けて正体をこれ以上、見切られる必要はない。
蹴りは俺のいた場所を僅かに逸れた。壁が大きく砕け散った。その威力に俺は内心、舌を巻いた。牽制程度の一撃に見えた。それでいて、この破壊力。まともに受ければ反射があっても無事では済まないかもしれない。
ルーシャの強さと危険さは大体、測れた。これ以上この場に留まって、無理に押し通す理由はない。ここは退くべきだった。
「退くのですか」
「今日のところは、な」
俺はそう言って後方に跳んだ。カインが既に物陰へ身を隠している。
「あなたは何者ですか」
ルーシャの問いに俺は答えなかった。その目には敵意よりも、むしろ微かな興味の色があった。
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俺たちはその場を離れた。追ってくる様子はなかった。
カインの家に戻り、俺は頭の中で今の戦いを整理した。
反射は確かに機能した。だが完全ではなかった。あの女の予知は、俺のスキルそのものを初見である程度、見切る力を持っている。
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「正直、あんたが見つかった時は、もう終わりだと思った」
カインがそう切り出した。まだ僅かに声が震えている。
「ルーシャ様相手に無傷で戻ってくるなんて思ってもみなかった。あんた何のスキルを持ってる」
「言えない」
俺はそう答えて、それ以上詳しくは語らなかった。カインは少し不満そうな顔をしたが、それ以上深くは聞いてこなかった。
「今日戦ってみて、はっきりした。あの女を相手にする時は、俺一人で対峙する必要がある」
「なんでだ」
「あんたも他の誰も、あの女の攻撃をまともに受けられない。巻き込まれればただ死ぬだけだ。一対一の状況を確実に作らないといけない」
カインはその言葉に頷いた。
「あんたに頼みたいことがある」
「何だ」
「あんたともう一人で、イグナーツとルーシャ以外の護衛の、抑えを頼む」
「もう一人ってのは誰だ」
「ガロという男だ。以前別の一件で世話になった。今回も力を貸してもらう」
カインは少し意外そうな顔をした。
「イグナーツだけじゃ、ないのか」
「あの規模の屋敷に護衛が一人だけとは思えない。誰が出てくるか分からない以上、複数人で押さえておく必要がある」
「俺は何をすればいい」
「あんたにはイグナーツ本人の妨害を頼む。戦えとは言わない。ただ、あの男が余計な動きをしないよう牽制してくれればいい」
「俺はそんな何人も相手に戦えないぞ」
「ガロという男は、グラハム家の紋官隊の隊長格だ。かなり戦えるし、強いスキルを持っている。他の護衛は任せられるはずだ」
カインは少し考えた後、小さく頷いた。
「……分かった。俺のスキルは"逸らし矢"だ。大した威力はないが、相手の注意を逸らすことはできる。あんたの役に立てるかもしれない」
その言葉に俺は内心、頷いた。ちょうど頭の中で組み立て始めていた計画に、正確に当てはまる力だった。
*
俺は、すぐに動くべきだと判断した。
今日ルーシャに正体の一端を見られた。あの女がこの件をイグナーツに報告すれば向こうの警戒が強まる可能性がある。時間を置くほど、こちらの動きが読まれやすくなる。
カインとガロという駒も揃った。カインの"逸らし矢"、ガロの"縛鎖"。この二つを、イグナーツと護衛の抑えに使う算段は、既に頭の中で組み立てていた。準備は決して万全ではない。それでも材料は揃い始めている。
躊躇う理由より動く理由の方が多かった。
ルーシャという壁は思っていた以上に高い。それでも崩せない壁ではないはずだった。イグナーツをこの手で縛る。麻薬市場を俺の管理下に置く。その計画を実行に移す時が来ていた。




