第40話 巡花
あの倉庫を、俺は数日かけて見張ることにした。
巡花という名前の由来を俺はまだ知らなかった。花を巡る者、というような意味だろうか。この世界の組織名には時折、実態とはかけ離れた美しい響きがつけられることがある。前世でも麻薬密売の組織が、あえて優しげな名前を名乗ることがあった。名前の響きと実際の仕事内容が食い違っているほど、裏に潜む後ろめたさは深いものだろう。
出入りする人間の数は思っていたより少なかった。多くて三人、少ない日は一人だけということもあった。時間帯は決まって夕方から夜にかけて。日中に人が出入りする様子は一度も見なかった。この偏りだけでも何か、正規の仕事とは異なる裏の顔があることを示していた。
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三日目の夜、一人の若い女が倉庫から出てきた。以前見た男とは別人だった。手には小さな麻袋を提げている。
俺はその女の後を、慎重に追った。
女はスラムの奥にある粗末な小屋に入っていった。しばらく待っていると明かりが灯り人の話し声が聞こえてきた。俺は壁際に身を寄せ耳を澄ませた。
「今日の分、これで全部よ」
「ありがとう。この時期はいつも量が足りなくて助かる」
「乾かして粉にするだけでも結構時間がかかるのよ。無理な注文はやめてね」
「分かってる。ただ、上からの指示だから仕方ない。急いで仕上げてくれ」
その会話から、この小屋自体が何かの加工拠点になっている、可能性が見えてきた。
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翌日、俺はセラフィナに、この状況を報告した。
「倉庫から小屋へ薬草を運ぶ流れがあるらしい。小屋では何かしらの加工をしているようだ」
「恐らく緑葉や深紅の、原料の精製作業でしょう」
セラフィナは、そう分析した。
「薬として売る前段階、あるいは麻薬として仕上げる前段階の工程が、この街のあちこちに分散しているのでしょう。一箇所に集約すれば目立ちますから、意図的に分けているのかもしれません」
「そこまで用心深くやってるということか」
「ファーレン家は王家の祭祀を司る由緒ある家系です。それだけに表向きの体裁を保つことに、他の家よりさらに気を使っているはずです。グラハム家のように力で押し通す家風とは、少し違うのでしょう」
その説明に俺は頷いた。前世でも似たような分散型の生産体制を何度も見てきた。摘発された時の被害を最小限に抑えるための常套手段だった。慎重な相手ほど根を深く広く張る。それだけこの一件を崩すのにも時間がかかる。
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「その女、直接接触してみる価値はありそうだ」
俺がそう言うと、セラフィナは少し考えた。
「危険はあります。ただ末端の作業員なら、上位の情報を多くは知らないでしょう。無理に締め上げても得られる成果は限られるかもしれません」
「それでも、糸口の一本は掴める」
俺はそう判断した。この街に来た当初から変わらない方針だった。小さな情報を積み上げ、やがて全体の構図を見通せるようにする。焦って大物に近づくより、この地道な積み重ねの方が確実だ。
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数日後、俺はその女が一人で買い物に出る瞬間を見計らって、声をかけた。
「少し話がある」
女は驚いた様子で俺を見た。
「な、なに、あんた」
「あの倉庫と小屋のこと、知ってる」
その一言に女の顔が明らかに強張った。
「……何が、目的なの」
「危害を加える気はない。ただ、あの仕事について聞きたいことがある」
「なんで私のことを知ってるの。ずっと見張ってたの」
女の声には明確な恐怖が滲んでいた。俺はあえてそれを否定しなかった。恐怖は時に、こちらの言葉を重く受け止めさせる材料になる。
女はしばらく黙り込んでいた。それから周囲を何度も、確認するように見渡した。
「ここじゃ話せない。誰かに見られたら私が困る」
その反応に俺は、この一団の統制が思っていたより厳しいことを理解した。単なる末端の作業員でも迂闊な会話一つで、自分の立場が危うくなると分かっている。よほど強い監視の目が内部にあるのだろう。
前世でも、こういう組織を何度も見てきた。裏切り者を出さない仕組みは、外部から見張るより内部同士に、互いを監視させる方が効果的だった。誰かが誰かの動向を常に気にする。そういう空気を作れば命令一つ出さずとも、組織は自律的に統制されていく。この巡花という一団も、恐らく同じ仕組みの中にあるのだろう。
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「場所はあんたが決めてくれ」
「……分かった。三日後、この時間にまた、同じ場所に来て。それまでに話せることを考えておく」
女はそう言って、その場を離れていった。強引に締め上げるより相手の警戒を、少しずつ解いていく方が正しい判断だった。前世でも、こういう組織に深く組み込まれた人間には時間をかけて、心の隙間を開かせる方が確実に情報を引き出せた。急いで押し切れば相手は口を閉ざすか、上位の誰かに報告するかもしれない。それでは糸口が無駄になる。
三日後の接触が、この一団の実態にもう一歩近づく機会になるはずだった。あの倉庫、そして小屋。その先にいずれ、ファーレン家という本体が見えてくるだろう。




