第4話 一つ目の試し
宿の主人にいくつか仕事の口を聞いてから、俺は改めて街を歩き回ることにした。
路地から路地へ、目に映るものを片っ端から頭に入れていく。どこに人が多く集まるか、どこに武器を持った男が立っているか、どこに金の匂いがするか。前世で染みついた癖が、この身体でもそのまま動いていた。土地が変わろうと世界が変わろうと、金と力の流れを読む目は腐らず残るらしい。
市場らしき広場では、干からびた野菜や素性の分からない肉が、値切り合戦の末に売られていた。その隅で賭博らしきものに興じる男たちがいる。木箱を賭台にして、骨を削ったような賽子を転がしていた。あちこちに似たような小さな金の流れが、いくつも存在している。
こういう場所には必ず、それを取りまとめる上の人間がいる。前世で嫌というほど見てきた構図だ。この街にも同じ構図が、そのまま存在しているのだろう。この手の小さな金の流れは、いずれ俺自身の資金源として利用できる。今はまだ値踏みの段階だった。
問題は、その構図の中にどうやって食い込むか、あるいは外側から利用するかだ。今はまだ判断する材料が足りない。
*
日が落ちる頃、裏路地の一本に入った時視線を感じた。
背後、そして左右。三人分の気配。数はさほど問題ではないが、身のこなしからして素人ではなかった。
「兄さん、この辺じゃ、見ねえ顔だな」
前に一人が回り込んできた。長身の男だった。腰に粗雑な作りの短剣を差している。
「金、置いていってくれるか。命までは取らねえよ」
その口ぶりに俺は少し呆れた。前世で相手にしてきた連中と比べれば、随分と甘い。この程度の脅しで萎縮する人間を想定しているのだろう。獲物としての価値は薄そうだが、ちょうどいい。何かを試すには、失っても惜しくない相手が一番都合がいい。
それでも、この世界の人間がどういう力を持っているのか、まだ何も測れていない。腕力だけの雑魚か、それとも隠れたスキルを持つ玄人か。今のところ判断する材料がなかった。だからこそ少し試してみる価値がある。この三人が、そのためのちょうどいい実験体になる。
「悪いが、持ってねえ」
「嘘つくなよ」
男の合図で背後の二人が同時に動いた。
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一人目の拳が俺の顔面を狙ってきた。防御する暇はなかった。というより俺はあえて防御しなかった。
どうなるのか確かめてみたかった。この身体で初めて受ける本物の暴力だ。痛みそのものより、その先に何が起きるかの方に興味があった。
拳が頬に当たった――はずだった。
だがその瞬間、俺の視界に映ったのは、殴ってきた男自身が突然、後方に吹き飛ぶ光景だった。
「な、なんだ……!?」
男が地面に転がり、頬を押さえながら呻いている。まるで自分の拳で、自分の顔を殴りつけたような、そんな軌道だった。
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俺の頬には痛みが確かに一瞬走った。だがそれも、すぐに消えた。指で触れても傷らしきものは何もない。
――これが、あのスキルか。
あの空間で詳細を教えられなかった、「特殊:攻撃ダメージ反射」。実際に食らって初めて、その正体の一端が見えた。
どうやら直接受けた攻撃が、相手自身にそのまま返っているらしい。理屈は分からない。だが目の前の結果は疑いようがなかった。
前世では、こういう力に頼ったことは一度もなかった。腕力と知恵と、他人の弱みを突く狡さ。それだけでここまで生き延びてきた。それが今、生まれ変わった身体には、まるで違う武器が備わっている。素直に喜ぶべきなのか、それとも別の面倒事の種なのか、まだ判断がつかなかった。強力な道具ほど、使い方を間違えれば逆に、こちらの首を絞める羽目になる。それも前世で嫌というほど学んだことだった。
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「なんだ、お前……!」
残った二人が明らかに戸惑いながら、それでも俺との距離を詰めてきた。もう一人が短剣を抜いて突き出してくる。
俺は今度はあえて、その刃を腕で受けた。
金属が皮膚に触れる感触。だが痛みは瞬間だけだった。次の瞬間、短剣を握っていた男が、まるで自分の腹を刺したかのように悶絶して、その場に崩れ落ちた。
「化け物か……!」
残った長身の男が後ずさりながら、そう吐き捨てた。
「化け物じゃない。ただ、運が悪かっただけだ、お前らの」
俺はそう言って笑った。前世でも、こういう時あえて余裕を見せることで、相手の戦意を挫くのが効果的だった。人間は理解できないものに恐怖する。理解できないまま自分より強いと思い込ませれば、それで十分だった。恐怖を刷り込んでおけば、この程度の連中は二度とまともに向かってこない。それだけで、この一件の価値は十分だった。
長身の男は、それ以上戦う気を失ったのか、倒れた仲間を置いて逃げていった。
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残された二人の男を俺は、しばらく観察した。一人は頬を押さえたまま、まだ呻いている。もう一人は腹を抱えて動けなくなっていた。
どちらも致命傷ではないようだった。だが、この状況をどう処理するかは、少し考える必要があった。
殺すか、放っておくか。前世の癖なら、余計な目撃者は消すという判断が自然に頭に浮かぶ。だがこの世界で、その手の"処理"がどう扱われるのか、まだ何も分かっていない。今、目立った行動を取るのは得策ではなかった。命の値段は状況によって変わる。今この場では、この二人を消す価値の方が、生かして噂を撒かせる価値より低かった。
それに、この二人は俺のことを正しく理解できていない。自分たちが勝手に自滅したように見えているはずだ。この街のような場所で、「殴ったら自分が倒れた」などという話をまともに信じる人間が、どれだけいるだろうか。むしろ酔っていた、あるいは何かの見間違いだったという程度の話で収まる可能性が高い。
だとすれば今は、消す必要すらない。無駄な血を流さず、それでいてこの街の連中に、俺という存在の"厄介さ"だけをうっすらと印象づける。悪くない結果だ。手を汚さずに恐怖という成果だけを手に入れられるなら、それに越したことはない。
結局、俺は二人を、そのまま放置することにした。
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路地を離れながら、俺は頭の中で、今の出来事を整理していた。
拳を受けた。反射された。刃を受けた。反射された。
だが、まだ分からないことが多すぎる。あの拳の痛みは本当に一瞬だけだったのか。もっと強い攻撃なら、どうなる。飛び道具のようなものなら。魔法があると聞いているが、その魔法のようなものを使われたら、どうなる。
そして何より――あの二人は、殴られた、刺されたという感覚を明確に持っていた。つまり外部からは、俺が何かをしたというより、彼ら自身が自滅したように見えているはずだ。
これは使い方次第で、かなり有用な武器になる。相手に手の内を晒さず事故のように片付けられるなら、この先どれだけの人間を、無駄な後始末なしに始末できることか。
だが同時に危険でもある。もし、この仕組みを相手に見抜かれたら――対策されれば途端に、無力になる可能性がある。
まだ確証はない。だがそういう予感が、はっきりと頭の中にあった。
考えてみれば当然のことだ。前世でも、どれだけ強力な武器でも手口が読まれれば、簡単に対策される。拳銃だろうと脅迫の手口だろうと同じだった。相手が知らない初見の時だけ、絶大な効果を発揮する。それが分かった時点で、この力の扱い方の方向性はすでに見えていた。
誰にも正体を明かさない。使う相手は初見であることが望ましい。そして正体を知られた瞬間、それはもう隠し玉ではなくなる。手の内を知った相手を生かしておく理由も、その時にはもうないだろう。
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宿への帰り道、俺は自分の手を何度か見返した。
この手でこれから何をするべきなのか。まだ明確な道筋は見えていない。ただ確かなことが一つあった。
このスキルはまだ、俺自身にも全貌が分かっていない。もっと検証が必要だ。拳を受けた時、刃を受けた時それぞれ、痛みの感触に微妙な違いがあったような気がする。あるいは単なる気のせいかもしれない。だが前世で身につけた習性が、こういう些細な違いを決して見逃すなと、頭の奥で囁いていた。
仮に、この力に何らかの条件や制約があるとすれば、それを知らずに戦い続けるのは危険極まりない。強力な武器ほど、その使い方を誤れば命を落とす。前世でも、そういう人間を何人も見てきた。過信は身を滅ぼす一番の近道だ。
幸い、この街には俺を試す相手がいくらでもいそうだった。あの手の連中は、この程度の裏路地にいくらでも湧いてくるだろう。今日のようなやり方で少しずつ、確かめていけばいい。誰かを踏み台にすることに、いちいち躊躇う必要はない。ここはそういう街だ。
急ぐ必要はどこにもない。時間なら、まだたっぷりある。




