第32話 対峙の準備
証拠は揃った。あとは、バルドにどう接触するか。その具体的な段取りを詰める必要があった。
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「本拠地に、正面から乗り込むのか」
ガロがそう尋ねてきた。裏路地での密談も、もう何度目かになっている。
「その方が話が早い。裏からこそこそ動くより、堂々と本人の前に出た方が、こちらの余裕も伝わる」
「危険すぎる。地上には紋官隊の隊員も、常に何人かいる」
「分かってる。だからこそ、あんたの協力が必要だ」
「正直、まだ信じられねえ。あんたがたった一人で、バルド様に正面から挑もうとしてるってことが」
ガロはそう吐き出すように言った。長年、絶対的な存在として見上げてきた相手だ。それを揺るがそうとする人間を目の前にして、まだ現実感が持てていないのだろう。
「信じなくていい。あんたは、あんたの役目を果たしてくれればいい」
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「そんな契約書一枚だけで、そこまでバルド様を追い込めるものなのか」
ガロが、そう疑問を口にした。俺は、セラフィナから聞いた説明を、簡単にまとめて伝えた。
「バルドが結んだ契約書には、二つの条項が、互いに矛盾する形で入ってる。それだけで、この契約は無効だ。あの男は、これまで契約こそが絶対だと言い続けてきた。その本人が自分の結んだ契約に、そんな杜撰な欠陥を作っていた。そうなれば、誰もあの男の作る契約を信用しなくなる」
「信用がなくなると、どうなる」
「バルドの商売は、契約という道具の上に立ってる。誰も信用しない道具は、紙屑と同じだ。取引そのものが成り立たなくなる。あの男にとっては、腕の一本を失うよりよほど痛い傷になるはずだ」
それだけではない。他の五大貴族家や貴族院そのものも、グラハム家が作る契約魔法を、これまで当然のように信用して使ってきたはずだ。財務を預かる家の契約が根本から信用を失うとなれば、それはグラハム家一つの問題では済まない。この国の契約という仕組み全体が、揺らぎかねない話だ。
前世でも、大手の金融機関が一件の不正で、業界全体の信用を落としたことがあった。土台になる存在が崩れれば、その上に乗っている全員が一緒に傾く。バルドがこれほど契約の絶対性にこだわってきたのも、それだけの重みを自分の立場が、背負っていると自覚していたからだろう。
「ようは、こんな杜撰な契約魔法を他の貴族家も使っていることが明るみに出ると、グラハム家は終わりだと脅す」
ガロはその説明に、なるほどという顔をした。
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「俺に、何をさせる気だ」
ガロの声には緊張が滲んでいた。
「バルドとの面会を取り次いでほしい。隊長格のあんたが動けば、不自然には見えない」
「面会の理由は、どうする」
「"重要な報告がある"、それで十分だ。実際に重要な話ではあるからな」
ガロはしばらく考え込んだ。
「もし、これが失敗したら、俺の家族は……」
「それも想定してる。もし従わない場合、バルドには消えてもらうだけだ。奴、グラハム家が蓄積してきた契約魔法の技術はこれから利用させてもらうつもりだから、それはあくまで最終手段だが」
その言葉に、ガロはまだ完全には拭えない不安を、僅かに目の奥に残していた。それでも、もう引く場所はない。ここまで踏み込んだ以上、あとは進むしかなかった。
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セラフィナにも、この計画を詳しく伝えた。
「私も、その場に同行するべきでしょうか」
「今回は待機してくれ。契約書の解析結果は既に頭に入ってる。あんたが、その場にいなくても俺一人で十分に使える」
「危険は変わらず、あります」
「分かってる。それでも、あんたを危険な場所に連れて行く理由がない。今は後方で、次の一手の準備をしておいてほしい」
セラフィナは少し不満そうな表情を見せたが、最終的には頷いた。
「分かりました。ただ、無事に戻ってきてください」
その一言に、俺は少し意外な感覚を覚えた。単なる利害関係の相手から、こういう言葉が出てくることに、まだ慣れていなかった。
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「本拠地の内部の配置について、もう一度確認しておきたい」
俺はガロに、そう頼んだ。
「地上部分は、どうなってる」
「一階が受付と事務作業の場だ。二階がバルド様の執務室。三階は来客用の応接間だ」
「バルドは、普段どこにいる」
「大抵、二階の執務室にいる。面会の場も、そこになるはずだ」
「執務室の警備は」
「専属の護衛が常に二人。それと、何かあれば、すぐに他の隊員も駆けつけてくる距離だ」
その情報を俺は頭の中で整理していった。護衛二人。もし話がこじれた場合、この二人をまず無力化する必要がある。
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「バルド自身の戦闘力は、どの程度だ」
俺がそう尋ねると、ガロは少し考えてから答えた。
「本人は戦えない。契約と金の力で、全てを動かすタイプだ。護衛も、そのために雇ってる」
「護衛の実力は」
「並の紋官隊員より腕は立つ。ただ、あんたがデズモンドを、あれだけあっさり片付けたのを見る限り、脅威にはならないだろう」
「その二人、名前は分かるか」
「片方は知らねえ。もう片方は、確か、レオンって名前だったはずだ」
名前が分かるだけでも収穫だ。事前に相手の名前と経歴を掴んでおくことが、交渉や対峙の場での僅かな優位に繋がることを、前世でも何度も実感してきた。
その評価に俺は内心、頷いた。この街で俺の敵になり得るほどの実力者は、まだ一人も現れていない。
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「面会の日取りは、いつにする」
「早い方がいい。三日後で、どうだ」
ガロはその提案に頷いた。
「分かった。俺の方で話を通しておく」
「頼む。あと一つ聞いておきたい。あんた自身の"縛鎖"、どの程度使えるものなんだ」
ガロは少し、意外そうな顔をした。
「相手を一時的に拘束する力だ。ただ範囲は狭い。一対一なら確実に効くが、複数を同時に縛るのは無理だ」
「十分だ。あんたがその場で、一人でも足止めしてくれれば、こちらの動きが楽になる」
その言葉を最後に、俺たちはそれぞれ、次の準備に向けて別れた。
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宿に戻る道すがら、俺はこれまでの経緯を、改めて頭の中で確認した。
ミラの解放、ガロの取り込み、デズモンドの排除、そしてバルド自身の弱みの入手。この街に来てまだそう長くない期間で、ここまで駒を揃えられたことに俺は内心、満足していた。
前世でも、こういう地道な下準備の積み重ねが、最終的に大きな成果を生むことを、何度も経験してきた。焦らず一つ一つ確実に潰していく。それが俺の変わらないやり方だった。
三日後。バルド・グラハムという、この国の歪みの最初の一角と、正面から向き合うことになる。あの男が、これまで積み上げてきた"契約絶対主義"の看板が、自らの手で作った瑕疵によって、崩れ落ちる瞬間を、俺は、少しだけ楽しみにしていた。




