第31話 証拠
数日後、オーウェンから接触があった。指定された路地裏で、俺は彼と落ち合った。
この街に来て、これまでの案件のほとんどは拳と度胸で片付けられた。前世でも、契約書の類が絡む揉め事は大抵、暴力の一手で解決してきた。書類を燃やすなり相手を黙らせるなり、方法はいくらでもあった。
だが今回は、それが通用しない。ミラの契約紋も、ガロの家族を縛る契約も、暴力だけでは根本の縛りを解けなかった。この世界の契約というのは、前世で扱ってきたどんな書類よりも厄介な代物だった。だからこそ、契約者本人であるバルドに直接、話をつける必要がある。
約束の時間より少し早く、オーウェンはその場所に立っていた。落ち着かない様子で周囲に、何度も視線を配っている。まっとうに生きてきた人間が初めて、こういう影の取引をする時の典型的な仕草だった。
「これが、あの契約書の写しだ」
オーウェンは震える手で一枚の紙を差し出した。目の下には濃い隈ができていた。この数日、まともに眠れていないのだろう。
「よく、やり遂げた」
「娘の薬は、これからも頼む」
「約束は守る」
俺はその場で、追加の金貨を何枚か握らせた。目に見える見返りほど人を、安心させるものはない。オーウェンは小さく頷き、逃げるようにその場を去っていった。書類仕事だけをして生きてきた人間が初めて、踏み外した一線だ。この程度の後ろめたさなら時間が経てば、大抵の人間はうまく折り合いをつける。前世でも、そうやって"協力者"に変わっていった人間を何人も見てきた。
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セラフィナの家に、その写しを持ち込んだ。
「これが、例の契約書か」
「はい、見せてください」
セラフィナはその紙を受け取ると、一度じっくりと目を通した。それから真如を使い解析を始めた。目を閉じ指先を紙の上に滑らせる。しばらくの沈黙の後、彼女の表情が僅かに変わった。
「面白いことが分かりました」
「何が分かった」
「この契約書には、二つの条項が並んでいます。一つは土地の境界を定める条項。もう一つは、その土地から出る資源の権利を定める条項です」
「それが、どうした」
「本来、この二つは別々に定めるべき内容です。境界と権利。それぞれ独立した条項として、明記する必要があります。ですが、この契約書では両方が一つの条項に、まとめて詰め込まれています」
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「一つにまとめると、何が問題なんだ」
「まとめたことで、条項の内容が互いに矛盾しているのです。境界線の取り決めに従えば、資源の産出地は相手方の領地に入ります。ですが権利の取り決めでは、その資源はバルド側の所有物とされています。同じ契約書の中で、二つの取り決めが食い違っているのです」
その説明に俺は、状況を頭の中で整理した。要するに、急いで契約を結んだ結果、内容の整理が甘くなり、自己矛盾を含んだまま署名してしまったということだ。
「そんな契約書、そもそも成り立つものなのか」
「成り立ちません。契約魔法には、内容に矛盾があってはならないという基本原則があります。この契約書は、その原則に反しています。つまり法的には、最初から無効だったということです」
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「これを、バルドに突きつければ、どうなる」
「バルドの立場が大きく揺らぐはずです。あの人はこれまで、契約の絶対性を、自らの権威の土台にしてきました。その本人が、自分で結んだ契約にこんな杜撰な瑕疵を、作っていた。この事実が広まれば、誰もあの人が扱う契約を信用しなくなります」
「信用がなくなれば、どうなる」
「契約は信用があってこそ、初めて機能する道具です。信用のない契約書は紙切れと同じです。バルドの財務家としての商売そのものが、根本から成り立たなくなります」
セラフィナの説明は要点が整理されていて、分かりやすかった。急いで結んだ仕事はいつか必ず、どこかに歪みを残す。前世で何度も見てきた法則が、ここでも当てはまっていた。
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「これを、どう使うのですか」
セラフィナがそう尋ねてきた。
「バルドに直接、突きつける」
「危険は、承知していますか。相手は五大貴族家の当主です。証拠を突きつけたところで、素直に非を認めるとは思えません」
「認めなくても構わない。この事実を知っている、というだけで、十分な圧力になる」
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「もう一つ、伝えておくことがある」
俺は続けた。
「この一件が片付いたら、あんたの一族の負債についても、同じ手を使う。グラハム家との契約に、同じような瑕疵があれば、それも無効にできるはずだ」
その言葉に、セラフィナは少し驚いたような表情を見せた。
「私のことまで、考えてくれていたのですか」
「あんたを解放することは、最初から、この一件の目的の一つだった。忘れたのか」
「忘れてはいません。ただ、こうして改めて言葉にされると、少し意外に思っただけです」
その反応に、俺は少し笑った。
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そういえば、タンネルのことをしばらく、確認していなかった。まだ療養中のはずだ。あの男は台帳の在り処までは、知らなかった。証拠としては大した価値はない。デズモンドの拷問の実態なら証言させることもできるだろうが、あの手の話は他の貴族家も大方、承知している公然の事実だ。今更、材料として使うには弱い。それでも命を救った駒の一つとして、頭の隅には残しておく必要がある。
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「バルドに、いつ接触するのですか」
「早い方がいい。証拠がこちらの手にあることを、向こうが知らないうちに動く」
「ガロさんにも伝えておきますか」
「ああ。あの男にも覚悟を決めてもらう必要がある。バルドとの直接対峙は、紋官隊全体を敵に回すことにも繋がりかねない」
前世で言えば、これは一度船に乗せた人間に、途中下船を許さないやり方だった。冷たいと言えば冷たい。だが中途半端な覚悟の人間を要所要所で抱えるより、よほど確実だった。
だが、これで材料は揃った。この街に来てから積み上げてきた地道な駆け引きの全てが、いよいよ一つの結末に向かおうとしていた。




