第30話 書記官
セラフィナが調べを進めた結果、台帳を管理する書記官の身元が数日で判明した。
「名前はオーウェン・ハスケル。四十代半ば、グラハム家に十年以上仕えている、古参の書記官です」
セラフィナはそう報告した。
「人となりは」
「真面目で几帳面な性格だと聞きます。ただ、家庭に少し事情があるようです」
「事情、というのは」
「妻を早くに亡くし、一人娘を男手一つで育てているそうです。娘は生まれつき身体が弱く、定期的に高価な薬を必要としているとか」
その情報に俺は内心、算段を立て始めた。金に困っている人間ほど扱いやすい。それはこの世界でも前世でも変わらない理屈だった。人の弱みというのは大抵、家族という形で現れる。前世でも、そうやって何人もの人間を動かしてきた。
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「その娘の薬、今、誰から買ってる」
「詳しくは分かりません。ただ、この街でまともな薬を扱っている店は限られています」
「その店を、俺たちが押さえられれば話が早くなる」
俺は頭の中で計画を組み立てていった。オーウェンという男の弱みに、直接金をちらつかせるだけでは警戒されるだけだ。だが、娘の薬という生活に直結する部分に、こちらが関与できれば話は違ってくる。相手に選択肢そのものを与えないという状況を、先に作ってしまえばいい。
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数日かけて、俺はオーウェンが娘の薬を買っている店を突き止めた。小さな薬種店だった。店主は初老の女で、真面目に商売をしているようだった。
俺はその店に足を運び、店主に、ある提案を持ちかけた。
「オーウェンという客が定期的に来てるはずだ。次に来た時、この金を使って、いつもより多めに薬を持たせてやってくれ」
俺は店主に、多めの金を渡した。
「あんた、何のつもりだい」
「善意だ。それだけで受け取ってくれ」
店主は怪訝な顔をしたが、金を突き返すほど、この街で余裕のある人間でもなかった。
「その娘さん、随分と、器量よく育ってるって噂だよ。父親一人で、よく頑張ってる」
店主は、そう付け加えた。俺にとっては、どうでもいい情報だった。ただ、この街の狭さを、改めて実感させる話だった。誰がどんな事情を抱えているか、この規模の街では、探れば、大抵、誰かが知っている。それだけ、この街で"秘密"を持ち続けることは、難しいということでもある。
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数日後、俺はオーウェンに直接、接触することにした。彼の帰宅途中、人通りの少ない道で声をかけた。
仕事帰りらしい、疲れた足取りだった。書類仕事に一日中向き合っている人間特有の、猫背気味の姿勢。この街で、暴力とは無縁の生活を送ってきたことが、その歩き方だけで分かった。
「オーウェン・ハスケル、で間違いないな」
男は警戒するように俺を見た。
「誰だ、あんたは」
「あんたの娘の薬、最近、多めに手に入ってるんじゃないか」
その一言に、オーウェンの表情が明らかに強張った。
「……それが、どうした」
「あれは、俺が手を回した」
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「何のつもりだ」
「あんたに一つ頼みたいことがある。その代わり、あんたの娘には、これからも困らない程度の薬を用意し続ける」
オーウェンはしばらく黙っていた。
「頼み、というのは」
「台帳の中の、ある契約書を確認したいだけだ。数年前、バルドが格下の貴族と結んだ契約だ。写しを取ってきてくれれば、それでいい」
「そんなことをすれば、俺は……」
「バレなければ問題ない。バレないようにするための最善の方法も、一緒に考える」
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「なぜ、俺がそんな危険を冒すと思う」
オーウェンの声には僅かな反抗の色があった。俺はそれを、あえて静かに受け止めた。
「危険は承知してる。だが、あんたの娘の命綱は、もう俺が握ってる。今ここで断ったところで、次に、その薬がいつまで手に入るか、あんた自身にも分からないだろう」
その言葉に、オーウェンは拳を固く握りしめた。
「……脅しか」
「取引だ。あんたが動けば娘の生活は、これからも保証される。動かなければ俺は別の手段を探すだけだ。あんたにとって、どちらが得か考えるまでもないはずだ」
子を持つ人間は大抵、この手の取引に弱い。前世で何度も見てきた反応だった。理屈では抵抗しようとしても、最後には家族の命が、全ての判断を上書きする。
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オーウェンは長い沈黙の後、小さく頷いた。
「……分かった。写しを取ってくる」
「賢明な判断だ」
俺はそう言って、その場を離れた。
前世でも、こういう交渉は何度もやってきた。相手の弱みを見つけ、そこに静かに手を伸ばす。暴力よりも確実で、後腐れのない方法だった。オーウェンのような、まっとうに生きようとしてきた人間ほど、一度弱みを握られれば抵抗できない。
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セラフィナに、この結果を報告した。
「上手くいきましたか」
「ああ。数日中に、契約書の写しが手に入る」
「暴力を使わずに、ここまで話を進められるとは、思っていませんでした」
「使い分けだと言っただろう。相手によって有効な手段は変わる」
セラフィナはその言葉に、少し複雑な表情を見せた。
「デズモンドの時とは、随分、違うやり方ですね」
「デズモンドは、それに見合う理由があった。オーウェンには、ない。ただそれだけの話だ」
その説明に、セラフィナは小さく頷いた。だが、その表情には、まだ何か、消化しきれていない色が残っていた。同じ人間が、これほど違うやり方を、平然と使い分けることに、僅かな戸惑いを覚えているのかもしれない。俺にとっては、単に、目的に対して、最も効率のいい手段を選んでいるだけだった。
人によって力が効く相手もいれば、金や情が効く相手もいる。使い分けができない人間は、いずれどこかで無駄な血を流すことになる。前世で、そういう不器用な連中を何人も見てきた。無駄な犠牲は結局、自分自身の首を絞めるだけだった。
あとは、契約書の写しが手に入るのを待つだけだった。バルドという男の、契約絶対主義という城壁に、ようやく最初のひびを入れる材料が、手の中に収まりつつあった。




