第29話 バルドの弱み
ガロが完全にこちら側に付いた今、俺は彼から、もっと踏み込んだ情報を引き出せるはずだった。バルド自身の弱み。契約は絶対だと言い張る男の、その言葉自体を逆手に取るための材料だ。
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「バルドについて、知ってることを、できるだけ話してくれ」
俺がそう切り出すと、ガロは少し考え込んだ。
「あの人は契約書に異常なほどこだわる人だ。自分の結んだ契約は一つ残らず頭の中で管理してるって話も聞く」
「それだけ契約に詳しいなら、逆に自分自身が結んだ契約に穴を作ることもあるんじゃないか」
「どういう意味だ」
「完璧な契約を常に作り続けるのは、どんな達人でも無理な話だ。特に急いで結んだ契約、あるいは都合の悪い相手との取引には、無理な条件を押し込んでる可能性がある」
前世でも、こういう男を何人も見てきた。自分の仕事に絶対の自信を持つ人間ほど些細な油断を、見逃しやすくなる。過信は、いつだって一番の弱点だった。組織の中で、完璧を誇る帳簿係が、実は裏で誰よりも杜撰な処理をしていた、という例を俺は何度も見てきた。
ガロはその言葉に少し考える表情を見せた。
「……一つ、思い出したことがある」
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「数年前、バルド様が、ある貴族の分家と揉め事を起こしたことがあった。土地の境界の話だったと思う。その時、揉め事を早く収めるために、かなり急いで契約を結んだって噂を聞いた」
「その契約の内容は」
「詳しくは俺も知らねえ。ただ、当時、紋官隊の一部が、その契約の処理に忙しく動き回ってたのは覚えてる」
「揉め事の相手は、どこの家だ」
「はっきりとは分からねえが、確か、財力はさほどねえが、由緒だけは古い、そんな家だったって聞いた覚えがある。バルド様にしちゃ格下相手のはずなのに、随分と急いで話をまとめてたのが、印象に残ってる」
その情報に、俺は内心、興味を惹かれた。急いで結んだ契約。しかも格下の相手との、繊細な話題。格下相手に急いで折れるような契約を結んだのなら、そこには外に出せない事情があるはずだ。もし、そこに法的な瑕疵があれば、それを突くことで、バルド自身を契約という彼自身の武器で追い詰められる。相手の得意分野で相手を刺す。前世でも、最も効果的だった手口の一つだ。
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「その契約書、今、どこにある」
「本拠地の、台帳と同じ場所だろう。個別の契約書は種類ごとに分けて保管されてるって聞いた」
「台帳を手に入れる必要が、やっぱり出てくるわけか」
「そうなるな」
俺は頭の中で、これまでの情報を整理していった。台帳には、ミラのような被害者の記録だけでなく、バルド自身の"迂闇な契約"も、恐らく含まれている。この一冊を押さえることが、この章全体の決定的な一手になる。あの男が、自らの手で築いた契約絶対主義という城が、その一冊の書類によって、内側から崩れることになるとすれば、それは、なかなか皮肉な結末だった。
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セラフィナに、この話を報告した。
「バルド自身の、都合の悪い契約が、台帳の中にある可能性が高い。あんたの真如で、それを見つけ出せれば交渉の材料になる」
「台帳そのものへの、アクセス方法は」
「まだ決まってない。ただ、ガロが内部の情報を、もう少し引き出せそうだ」
セラフィナは少し考え込んだ。
「もう一つ案があります。台帳の管理をしている書記官に、直接接触する、という方法です」
「書記官、というのは」
「グラハム家直属の事務方の人間です。恐らく彼らも紋官隊のような暴力とは無縁の生活を送っているはずです。買収、あるいは弱みを突く方が、力で押し込むより確実かもしれません」
その提案に俺は少し感心した。人を痛めつけるだけが、俺の手法ではない。相手によっては、こういう静かな交渉の方がはるかに効率的だった。書記官という人種は大抵、家族との時間や静かな暮らしを、何よりも大事にする。そこを突けば暴力より、よほど安く済む。前世でも腕力に頼るより、こういう地味な交渉で望んだ結果を手にしたことの方が、実は多かった。派手さはないが後始末の手間もかからない、良い手だった。
「その書記官の、身元は分かるか」
「私の方で少し調べてみます。学者としての伝手も、多少は役に立つでしょう」
セラフィナはそう言って僅かに笑みを見せた。前回までとは、また違う種類の積極的な協力の姿勢だった。この学者も、いつの間にか、この一件に、単なる利害関係を超えた自分自身の目的を見出し始めているのかもしれない。それも悪くない変化だった。使える駒は動機が強いほど扱いやすくなる。
「頼む」
俺はそう言って、次の一手を頭の中で組み立て始めた。
台帳、書記官、そしてバルド自身の迂闇な契約。この三つの要素が少しずつ繋がり始めていた。あとは、それを確実に手に入れる方法を見つけるだけだった。
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その夜、俺は改めて、この一件の全体像を頭の中で組み立て直した。ミラの解放、ガロの家族の解放、そしてバルド自身の失脚。三つの目的が台帳という一冊の書類に、全て集約されていく。
前世でも、こういう瞬間があった。複数の案件が、一つの証拠、一つの弱みを通じて綺麗に繋がる時。手間をかけて集めた材料が、ようやく形になっていく感覚は悪くなかった。
同時に頭の隅で、別の考えも静かに動いていた。書記官への接触はセラフィナに任せるのが得策だろう。学者としての知識、そして貴族社会に多少通じている出自。俺よりも彼女の方が、この種の交渉に向いている。役割を適切に振り分けることも、前世で身についた組織運営の基本だった。全部を一人でやろうとする人間は、いずれどこかで綻びを見せる。
もし、この書記官との交渉が上手くいけば、力による強引な手段を使わずに、この一件を片付けられるかもしれない。デズモンドの一件のような、派手な決着は、街に恐怖を植え付けるという点では有効だった。だが、毎回同じ手を使えば、いずれ、こちらの手口そのものが読まれる。時には、静かに、誰にも気づかれないまま、目的を達成する手段も、用意しておく必要があった。
あとは、この一冊を、どうやって確実に手中に収めるか。それだけが残された課題だった。




