第14話 契約
「では、始めます」
セラフィナはそう言って、テーブルの上に一枚の羊皮紙を広げた。何本もの細い線と幾何学的な図形が複雑に組み合わされている。契約魔法の陣、というやつだろう。実際に目にするのは、これが初めてだった。
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「契約の内容を確認します」
セラフィナは羊皮紙にペンを走らせながら、言葉を続けた。
「一つ。私があなたに提供する知識、情報を、私の許可なく第三者に漏らさないこと」
「構わない」
「二つ。私、あるいは私の関係者に危害を加えないこと」
「構わない」
「三つ。この契約の存在自体、私が明示的に許可しない限り、他者に明かさないこと」
俺はそれにも頷いた。
「これでいいか」
「まだです。あなたの側からも何か条件を出してください。一方的な契約では対等とは言えません」
その提案に、俺は少し意外に思った。相手にとって都合のいい条件だけを押し付けるつもりなら、そのまま進めればいい。それをしないところに、この学者の、ある種の誠実さが見えた。誠実さは、利用する側からすれば、信用できる材料でもある。
「一つだけ頼む。これから話す、俺のこと全部を、俺の許可なく他者に明かさないこと」
「分かりました。それも条項に加えます」
「もう一つ、いいか」
「何でしょう」
「あんたの一族の負債の件。詳しい事情をいつか知った時、それを、あんたの不利益になる形で他者に利用しないこと」
セラフィナはその条件に、僅かに驚いた顔をした。
「まだ、詳しい事情も話していないのに。よく、そんな条件を思いつきますね」
「あんたが事情を隠してる時点で、何かの弱みがあるのは想像がつく。先に縛っておいた方が、あんたも話しやすいだろう」
「……妙な気の回し方をする人ですね」
セラフィナはそう言いながらも、その条件を羊皮紙に書き加えていった。
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陣の上に、俺とセラフィナ、それぞれの手を置いた。セラフィナが短い詞を唱えると、羊皮紙が淡い光を帯びた。
手のひらに僅かな熱を感じた。焼き付けられるような感覚ではなく、むしろ体の奥に何かが染み込んでいくような感触だった。
やがて光が収まった。
「これで契約は成立しました。もし、あなたが条件に違反すれば、相応の"罰"があなたの身に降りかかります」
「どんな罰だ」
「今回は比較的軽いものにしておきました。強い痛みと一時的な行動の硬直程度です。あなたをいたずらに苦しめたいわけではありませんから」
その説明に俺は内心、少し感心した。過剰な縛りをかけず、必要最低限の抑止力に留める。学者らしい合理的な選択だった。
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「これで、あなたの背景を話していただけますか」
セラフィナは椅子に座り直し、そう促した。
俺は少し間を置いた。どこから話すべきか、頭の中で整理する必要があった。ここで全てを明かすことが、最終的に得になるという計算は、すでについていた。
「まず、前提として聞いてほしい。俺は、この世界の人間じゃない」
セラフィナはその言葉に僅かに眉を動かしたが、何も言わず続きを促した。
「別の世界で、俺は峰岸透亜という名前で生きていた。そこで俺は、裏社会で外道と呼ばれる生き方をしていた。闇金、詐欺、恐喝、殺し。何でもやった。最後は部下に、街中で撃たれて死んだ」
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「死んだ後、俺は、ある存在に出会った。この世界で言う、神のような存在だ。俺の生前の行いは唾棄すべきものだったが、意図せず人を救っていたこともあったと、そう告げられた」
俺は続けて、あの空間で聞いた話を順を追って語っていった。カルマ値という試練。零から千までの基準。この国の腐敗と、天秤を戻すという役目。
そして、攻撃ダメージ反射という、与えられたスキルについても、詳細を含めて包み隠さず話した。
直接受けた攻撃だけが反射されること。間接的な被害には無力なこと。そして初見の相手にしか確実には効かないこと。この街で実際に検証してきた内容も、あわせて説明した。
「このスキル、まだ誰にも見せてない。あんただけが正体を知ってる」
「なぜ、そこまで私に明かすのですか」
「隠したままじゃ、あんたの知識に頼れない。それに、あんたなら、この情報を悪用しないだろうと、そう判断した」
セラフィナはその間、一言も口を挟まなかった。ただ時折ペンを取り、何かをメモしていた。
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全てを話し終えた後、セラフィナはしばらく黙り込んでいた。
「……信じがたい話です。普通なら、まともに聞く価値もないと切り捨てるところでしょう」
「だろうな」
「ですが」
セラフィナはそう言って俺を、まっすぐに見た。
「あなたの黒髪、黒目。この国では確認されている記録の中に、一つも該当する例がありません。それに、あなたのスキル鑑定の記録が、どこにも存在しないことも、以前から奇妙に思っていました。荒唐無稽な話ですが、あなたの言葉と、目に見える事実には矛盾がありません」
セラフィナはそこで一度、言葉を切った。
「もし、あなたの言っていることが本当なら。あなたは、この世界で言うところの、神の使徒にあたるのでしょうね」
その言葉に俺は少し面食らった。使徒という響きは、俺の柄には、あまりに似合わない。
「使徒、というのは、随分と大層な呼び名だな」
「大層でも何でも、事実として、そういう扱いになります。神の力を直接授かり、この世界の均衡を戻すために遣わされた者。それ以外に、あなたを説明する言葉が私には思いつきません」
その言葉に俺は内心、複雑な感情を覚えた。使徒などという柄ではない。だが、この学者の口から、その言葉が出た瞬間、自分の立場の異様さを改めて突きつけられた気がした。呼び名がどうであれ、それで動きやすくなるなら、都合の良い肩書きだと言えなくもない。
信じてもらえるかどうかは賭けだったが、この学者は感情ではなく事実を積み重ねて判断を下したらしい。使える相手だという確信が、また一段深くなった。
*
「約束通り、俺も、あんたの事情を聞かせてもらいたい」
俺がそう切り出すと、セラフィナは小さく頷いた。
「私の一族は、代々学者を輩出してきた、下級貴族に準ずる家系でした。ですが数代前、当主が研究資金のために、グラハム家から多額の負債を負いました」
「グラハム家」
「奴隷契約、闇金融を裏で牛耳っている一族です。以来、私自身が、その負債の"担保"として、グラハム家に事実上の労働契約を結ばされています。契約や機密に関わる知識を、グラハム家の許可なく他者に提供してはならない。そういう縛りが私自身にも、かけられているのです」
その説明に俺はなるほどと思った。この学者の警戒と慎重さの根底には、この事情があったのだろう。同時に、この女自身も、グラハム家という同じ標的に対する、有効な武器になり得るということだ。
「だから、俺と話すのも本当は、リスクがあったわけか」
「ええ。今、こうして話していることも、契約違反すれすれの際どい範囲です。グラハム家の許可なく、契約や機密に関わる知識を渡すな、という縛りがある以上、本来は、あなたの正体について、こうして踏み込んで話すことすら危うい行為なのです。ですが」
セラフィナはそう言って少し目を細めた。
「あなたの話を聞いて、私自身も、この状況から抜け出したいと、初めてはっきりと思いました。もし、あなたに、その手助けができるなら」
「グラハム家との契約を解く方法は、あるのか」
「分かりません。今まで真剣に調べようとすらしませんでした。抜け出したところで行く場所もない。そう思って諦めていたのです」
セラフィナはそう言って初めて、自分の弱さを素直に口にした。理屈で物事を語ってきた彼女にしては、珍しい感情の吐露だった。弱みを見せた、ということだ。この学者は、俺にとって、ますます使い勝手のいい駒になっていく。
「今は、違うのか」
「今は……少し、違う気がします」
その言葉に、俺はこの学者との関係が、単なる利害の一致から、もう一段深い場所へ進み始めていることを感じ取っていた。都合のいい方向だ、と思った。




