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26 教鞭と問答

来客を座らせると、カリーニは机の端から端までワイパーのように腕を押して資料をどけたのだった。

雪崩のように崩れていく資料の山に、コゼットは顔をしかめた。


「それで、本日はロメリアの内情。というか、流通について聞きたいとのことでしたね?」


「あ、はい。噂や都市伝説のような話でも良いので聞かせていただけたらと思いまして。」


「……うーむ。」


あっけにとられている私の表情などどこ吹く風とばかりにカリーニは話を始めた。


「あの……。何か?」


「失礼、どうするのが良いかと考えてしまいまして。」


「というと?」


カリーニは返答を聞きながら、綺麗に整えられた髭を撫でて私を見ていた。

……値踏み、というか、観察されているように感じる。


「いえ、リディア様は血の偽薬について調査されていると伺っていたものですから。」


「……はい。その通りです。」


私が一瞬ユリウスに視線を向けると、彼は自分が伝えたわけではないと首を横に振ったのだ。


「失礼しました。学生たちの噂話が届いておりましてな。


あぁ、彼らをあまり悪く思わないであげてください。ロメリアで人の噂話というのは普通のことなのです。」


「いえ、存じておりますので。」


学生たちの前では偽薬の話は出さなかったはずだが、まぁ、直前にオットー・クラフトのもとを訪ねていたし、聡い者であれば状況から察することもあろう。

キアラの話を聞いてから、自分の噂をあずかり知らぬところでされたところで、そういうものだと受け入れる準備はもうできていたのだ。


「では、その。単刀直入で申し訳ないのですが、偽薬の流通について何かご存じのことがあれば教えていただけませんか?」


「ふむ。そこですよ、リディア様。私がどうすれば良いかと悩んでおりますのは、そこなのです。」


「?」


しばらく、無音のまま時が過ぎた。

正直に言えば、あまり気分が良い時間ではない。


カリーニはただじっと私を見ながら考えに耽っていたのだ。


「……あの、すいません。もう少し分かりやすく話していただけないでしょうか?」


ついに痺れを切らして私が問うと、カリーニは苦笑しつつカップを取って口をつけた。


「これはまた失礼をしてしまった。教鞭を取るようになってからの癖でしてね、気に障られたのなら謝ります。」


「……はぁ?」


「つまり、貴女に話すことで事態が改善するのかしないのかを考えていましてね。


いや、失礼。どうにも、また脇をなぞるように話してしまっておりますな。」


「事態の改善、ですか?」


「えぇ、リディア様。先にこちらから伺いますが、偽薬の流通について知ったならば貴方は何としますか?」


「え?」


カリーニは今度は真っすぐと私の目を見て質問を投げた。

意地悪をしている、という感じには見えない。落ち着き払って、そう、まるで出来の悪い生徒を答えに導いているような雰囲気であった。


「えっと、やっぱり捕まえないとまずいんじゃないですかね? 効果がないと分かっている薬をお金に変えているというのは問題があるでしょう?」


「えぇ、えぇ。エレオノーラ先生などはやはりそうお考えになると思います。あの方は恵まれすぎておりますから。才能にも家柄にも。」


「恵まれすぎている、ですか?」


「はい。本当に聡明な方です。だからこそ理解ができないことというものもあるのですよ。積み木を崩してしまっても問題ない人には分からないことがあるのです。」


「……積み木、ですか。」


カリーニは本当に困った風に語っている。

話は外延をなぞるばかりで本旨に入ろうとしていないように思えた。


ただ、だからこそ、私はカリーニが何を言おうとしているかを少しずつ理解し始めていたのだ。

私は顎に手をあて少しずつ思考を深めていった。


積み木を崩す、とは。


つまり、今回の事態はそもそも本質的には何ぞや、と。


「さて、どうすればよいかと。ほとほと答えが出せずにいるのですよ。リディア様。」


「……。」


カリーニは優しく、むしろ微笑んでいるようにさえ見える様相で私の言葉を待っていた。

彼の言いたいことのすべてが呑み込めたわけではなかった。しかし、私の口からはとつとつと自然に言葉が出てきたのだ。


「……カリーニ『教授』。」


「? なんでしょう、リディア様。」


私は最初訪ねたロメリアの市長としての彼ではなく、学者としての彼に話を始めた。

この町の学者の最高位にいながら、『凡人マニア』と呼ばれる彼だ。


「私は……。記憶をなくしてからは、身の回りの人の助けなしには何もできずにおります。」


「ふむ。」


「王都地下組織掃討戦で功績をあげたなどと言われていますが、実態は周囲の人におんぶにだっこで自分の失態をなんとか切り抜けたというのが実情なのです。」


「……ほぉ。」


カリーニはここにきて、少しだけ表情を覗かせて答えた。

ようやく、『私』に興味を持ってくれた、ということだろうか。


「その時、誰が助けてくれたと思いますか?」


「……ユリウス殿下やコゼット君、ではなさそうですね? 伺ってもよろしいですか?」


「はい、子供です。」


「子供?」


「そうです。まだ12にもならない私の子です。血は、繋がっておりませんが。」


最初は金の工面をするから私の都合に付き合えと拾った関係であった。

しかし、少しずつお互いが寄り添い始め、今ではあの子を手離すなんて考えられないのだ。


ユリウスとコゼットは私とカリーニの会話を理解できていないようであった。

カリーニと直接話す私だけが、自分の話をしながら少しずつ答えに近づいているのが分かった。


そう、まさに『恵まれた者』には分からないことがある。


「私に考えがあります。どうか、偽薬の売り手を教えていただけませんか? 可能であれば、売買の現場に直接向かえるのが望ましいです。」


「……。」


カリーニは最後にもう一度だけ私をじっくりと観察した。

視線や表情、身じろぎ一つまで。


そして、一度目をつむって考えてから答えを出したようであった。


「そうですね。今の貴方に任せるのが一番良いかもしれません。」


名家に生まれた不世出の天才・エレオノーラ・アリステリアよりも、凡人マニアの教授・アルフレード・カリーニよりも、あるいは信念を持ちながら脱落したキアラ・アリステリアよりも。


そんな、声を発したか定かではない小さな吐息のような言葉が聞こえた気がした。


「分かりました。次の売買が特定出来次第、貴女に任せるといたしましょう。どうぞ、ロメリアの若人を良しなにお願いいたします。」


その立場から売買の実情などは当然のごとく把握していたとでも言うように告げた。

まるで、自分の子供の小さな『おおいた』をついに咎める決意をしたかのように。


ロメリアの街並みのようにぐにゃぐにゃと脇道にそれてばかりだと思っていた問答であったが、謎かけは、たぶん、ずっと出されていたのだ。

私はエレオノーラより課題として預かって以来、ずっと『買い手』のことは考えていたが、商売であるなら当然『売り手』も存在する。


では、なぜ? と考えるとカリーニとの会話が答えをなんとなく教えてくれているようであった。

それを思えば、最初こそ嫌なオヤジだと思っていた凡人マニア・カリーニという男はなるほどたしかに教師だ。

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