「馴れ初め」
冒険者組合の職員マンチェット・トリダーは、受付窓口の一角が騒がしい事に気付いて足を止めた。
何事かと思って見てみれば、窓口の一つで冒険者と思われる一人の男が、何やら大声で喚いているようだ。
男の姿を見た瞬間、マンチェットはギョッとした。男の見た目がまるで、周囲の冒険者たちから浮き上がるような異様さを醸し出していたからだ。
まず目を引くのはその体の大きさだ。背が高いだけでなく、がっしりと大きな上半身、丸太のような腕、難攻不落の城砦を思わせるような安定感を感じさせる、充実した足腰をしている。
これほどまでに肉体に恵まれた冒険者を、マンチェットは未だかつて見た事が無かった。
さらに男が身にまとっている装備だが、これがボロボロ、と言うのでは言葉が足りないほど全体的に傷んで、酷く汚れている。
そして肩のあたりまで伸ばしている黒い髪はボサボサで乱れに乱れており、その毛先が四方八方に飛び出していた。
しかしそれらの異様さを霞ませるほどにマンチェットが最も目を引かれたのは、その男の顔だった。
一目で異国の出だと分かる独特の風貌と、とにかく“厳つい”としか言いようの無い顔立ち。その顔には、汗と脂と埃と泥、そしておそらくは彼自身の血であろうと思われる汚れが混ざり合い、おどろおどろしい化粧のようにべったりと塗りたくられている。
男はそんな顔に明確な怒りと苛立ちの感情を浮かべ、対応している女性職員に向かって、離れていても聞こえるような大声で喚いていた。
「だからお前じゃ話にならん!責任者を出せと、さっきから何度も言っているだろうが‼︎」
感情に任せて出しているであろう大声は、人間のものとは思えない声量だ。
その様子は、まるで何かの間違いでここに迷い込んだ飢えた野獣が、今にも女性職員に襲い掛からんとしているかのようだった。
まわりに居る冒険者や職員は遠巻きに見つめるばかりで近付こうともしない。
あの男のただならぬ様子を前にすると、それは無理からぬ事なのかも知れないが……
(しかしあれはダメだ。どう見ても彼女では荷が重い!)
そう思ったマンチェットは足早に窓口へと向かう。
自分も冒険者組合の一員になって、もう3年が経とうとしている。期間契約の職員が応対に困っているのを、見て見ぬふりをするわけにはいかない。
そうしてマンチェットは、今にも女性職員を上から押し潰しそうな勢いで窓口のカウンターに身を乗り出した男と、男の圧力に押されて圧縮されるかのように体を固くしながらも毅然と応対している女性職員の間に割って入ると、異様な風体の男に向かって話しかけた。
「どうされましたか?何か職員の応対に不備が有ったのでしょうか?」
そう言いながら、マンチェットは思わず顔を顰めてしまう。
臭い。
酷い臭いだ。
この男が発している臭いである事は間違い無いが、それにしても酷い。一体何日風呂に入っていないのかと思ってしまうような酷さだ。鼻腔を抉るようなその臭いに、鼻が曲がってしまいそうだ。
「どうもこうも無い!“冒険”からやっとの事で帰還して、給金を受け取ろうとしても所属していたチームのヤツらがどこに居るかさえ分からん。だからここへ来たんだ!なのに対応しかねるとか抜かしやがる!一体どういう事だ‼︎」
女性職員を背中に庇うようにして男の前に立ったマンチェットに、男の怒声と、それに混じった唾の飛沫が降りかかる。
男の巨体と臭いとその声に、早くも心が折れそうになるマンチェットだったが、ここは腹を括って応対するより他に無かった。
「ええと、という事は冒険者の方ですね。何度もお尋ねする事になって申し訳有りませんが、所属しているチーム名とお名前をお聞かせ願えますか?」
努めて冷静に、丁寧な声と言葉を意識してマンチェットは男に尋ねる。
しかし相手のほうは、やはり冷静では無いらしい。マンチェットの落ち着き払った態度が却って神経を逆撫でしたのか、男の眉間にシワが入り、その表情が歪む。
そしてまた怒声を発しようとするかのようにその口を開こうとしたところで、横から小さな声が入った。
「トリダーさん、あの……こちらの方は《ドラゴン・ベイン》に所属されているそうです。お名前は……ヒャクリキさん……でしたよね?」
女性職員はそう言って開いた状態の登録者名簿を差し出して来た。意外な方向から機先を制されたからか、男はギョロリと女性職員を睨むと同時に怒鳴ろうとしていたと思われる口をつぐむと、体の動きを止めた。
《ドラゴン・ベイン》の名が出た事で、マンチェットの緊張が少し高まる。
つい先日、かの最難関ダンジョン「キュルケゴルダ迷宮」の攻略を見事に成功させたあのチームは、国王陛下の召喚に応じて一昨日この街を出立していた。
未だに心の隅に冒険者稼業への未練の残滓がこびりついているマンチェットにとって、彼らの存在は“かつての憧れ”そのものと言って良い。
マンチェットは女性職員から登録者名簿を受け取る。名簿を持つ彼女の手はカタカタと震えていた。
「ああ、ありがとう。ではヒャクリキ……さん、確認いたしますので、少々お待ちください…………???……??…………ええっと、もう一度お尋ねしますが、貴方は《ドラゴン・ベイン》に所属されているんですよね?」
「ああ……」
「……申し上げにくいのですが……この名簿には貴方らしきお名前が記載されていません。失礼を承知でお聞きしますが、貴方は正式にチームとご契約されているのですよね?」
マンチェットがそう言うと、ヒャクリキという名前らしいその男は少しだけ顔を顰めた。
「契約、の話なら……俺は“従者”として雇われたんだ。役場で仕事を探していた時だった。あのチームの会計係の……なんとかドンとかいう奴と、一緒に居たもう一人が話しかけて来た。仕事を探しているならウチに来ないか?こんな所で斡旋している仕事よりもよっぽど稼げるぞ、と言ってな……」
それを聞いてマンチェットはピンと来た。なるほど、冒険者組合を通さずに、チームが勝手に個人と契約を結んでいたパターンだ。
断言はできないがその口ぶりから判断するに、この男が嘘を言っているようには思えない。
困ったものだ。トラブルの原因になるから止めるようにと、組合に所属している冒険者たちに再三にわたり通達を出しているにも関わらず、組合へ支払う手数料と登録料を惜しんでこういう真似をするチームが後を絶たない。
あの《ドラゴン・ベイン》でさえもそうなのか、と、マンチェットは少し残念な気分になった。
そして少しだけ目の前の男を気の毒に思いながら、マンチェットは説明し始める。
「ええと、ヒャクリキさん。よく聞いて下さい。貴方のお話と、この登録者名簿にお名前が無いという事実から分かるのは、貴方がチームと結んだ契約は、少なくとも組合に正式に承認、受理されたものでは無い、という事です。そうなりますと、貴方とチームとの間に発生したトラブルに、我々冒険者組合は責任を負う事ができないのです……」
マンチェットの説明を聞いている男の眉が歪む。それを見てマンチェットの脇に嫌な汗が滲むが、彼は敢えてそれを意識しないようにして説明を続ける。
「ですので、貴方が仰る給金については、これはもうチームと直接お話をして頂くしか有りません。申し訳ありませんが、こちらではこれ以上の対応はできかねま……」
急に男が動いた。
その丸太のような腕を伸ばしたかと思うと、大きな手がマンチェットの胸ぐらを掴む。
次の瞬間、マンチェットは男の方に途轍もない力で引っ張られた。
「ふざけるな‼︎ 貴様らはヤツらの元締めだろうが‼︎ 責任は負えない?対応はできない?そんな説明で納得できるか‼︎」
マンチェットのすぐ目の前に有る男の怒りに歪んだ顔から、鼓膜を破られそうな大声が響く。改めて男の汚れに塗れた顔を近くで見ると、頬がげっそりとこけて、目がギラギラと血走っており、まるで狂気を宿しているかのような気魄が感じられる。
さすがにマンチェットの中に恐怖の感情が湧いて来た。
胸ぐらから引っ張り上げられて踵が床から浮いている。なんとかカウンターに手を突いて姿勢を保っているのだが、身動きが取れない。
(な、なんて馬鹿力だ…………)
それにしてもこの男の筋力は異常だ。マンチェットはこの国の平均的な成人男性と比較すると、体力はともかく、体格では間違いなく上回っている。平均以上だ。
この男はその体の重さを、なんと片腕で引き上げている。こんな事が人間に可能なのだろうか?
「グッ……そ、そうは言われても、我々には……どうする事も…………」
男の馬鹿力とそれによって絞られるシャツの襟に首を締め上げられて、まともに呼吸する事ができない。遠のき始めたマンチェットの意識の中に、不意に一つの考えが浮かぶ。
今のところそんな素振りは見られないが、もしこの男に、この馬鹿力で思い切り顔を殴られでもしたら……マンチェットの頭蓋骨は果たしてその衝撃に耐えられるだろうか?いや、そもそも生きていられるだろうか?
マンチェットの全身に悪寒が疾った。
「チッ!」
苦しむばかりのマンチェットに痺れを切らしたのか、男は胸ぐらを掴んでいた手を放す。その拍子にマンチェットの上半身がカウンターの上に落下して、マンチェットは額を軽く打ち付けてしまった。
「ゴ……ゴホッ!ゴホッ!…………現在、《ドラゴン・ベイン》の皆さんは……王都に滞在……されています。こちらから……ゴホッ!……連絡する事はできますが、彼らが戻って来るのは……いつになるか分かりません……」
ゼイゼイと息を切らしてむせ返りながら、途切れ途切れにマンチェットが言ったその時だった。
冒険者組合の一階に、大勢の人間の靴音が鳴り響く。
カウンターに突っ伏していたマンチェットが顔を上げると、男の大きな体越しに、組合の出入り口からゾロゾロと武器を手にした衛兵たちが入って来るのが見えた。
そして衛兵たちは手にした武器の先を男に向けながら、あっという間に壁を作って取り囲んでしまう。
男は困惑したように、衛兵たちの方へ向き直った。
「冒険者組合からの通報で参上した!見ていたぞ、不埒な賊め!市民への暴行の現行犯で逮捕する!さあ!神妙に縄につけい‼︎」
衛兵たちの隊長と思われる者が男に向かって通告する。
「おいおい、待ってくれ、俺は……」
「黙れ!貴様を詰所まで連行する!申し開きが有るなら、執行官殿に述べるが良い!」
男の言葉を遮るようにして、衛兵たちは問答無用でその大きな体に縄をかけ始める。男は始めこそ身を捩って抵抗するような素振りを見せたが、すぐに諦めたのか大人しくなった。
「良し!そのまま大人しく着いて来い!この人数相手に抵抗しても無駄だからな!では出発!」
威勢の良い隊長の声が響く。マンチェットの視界の中で、縛られた男は疲れた様子で大きなため息を一つ吐いた。
先ほどまでの気魄は見る影もなく消え失せ、何とも投げやりな雰囲気をその身にまとっている。
(ふぅ、一時はどうなる事かと思ったが……とにかく大事にならなくて良かった)
マンチェットが見ている前で、衛兵二人が引っ張る縄がぴぃんと張られ、男が引きずられるようにして連行されていく。
周囲の冒険者や職員がその様子を眉を寄せながら眺めている。
抵抗する事も無く、トボトボと衛兵たちに着いて歩いて行く男の後ろ姿。大きな体のせいで、却って滑稽に感じられるような侘しい姿だ。
それに重なるようにしてマンチェットの脳裏に、先ほど男がため息を吐いた時の、くたびれた表情が浮かんで来る。
暴力的に胸ぐらを掴まれたとは言え、男の哀愁漂うその姿に、マンチェットはほんの僅かではあるが同情の念を禁じ得なかった。
「……う、うぅ……グスッ、んぅ〜〜〜……ズッ……グスッ……」
不意に聞こえて来た押し殺すような声に反応してマンチェットが横を向くと、あの男に応対していた女性職員が、その両目いっぱいに涙を溜めながらしゃがみ込んでいた。
どこから取り出したのか木綿のハンカチを、顔の鼻から下を覆うようにして押し当てている。
「……ああ、もう大丈夫だよ、すまなかった。私がもう少し早く気付いていれば良かったんだが……。怖い思いをさせて申し訳無い……ほとんど君一人にあの男の相手をさせてしまったな……」
マンチェットは女性職員の隣に並んでしゃがみ込んで、その震える肩を軽く抱いてやる。
何とも小さな肩だった。まわりの女性職員と比べてもやや小柄な彼女があの大男と向かい合っていたのかと思うと、彼女の勇気と気丈さに対して申し訳ない気持ちと同時に、小さく感心するような感情がマンチェットの心に湧いて来る。
彼女は溢れて決壊しそうな感情を必死に押し留めようとするかのように、しばらくの間小さく嗚咽していたが、それが落ち着くとマンチェットに顔を向けて正面から見つめて来た。
「あ、ありがとうございます。……私、怖くって、怖くって……でも必死で堪えてたんです。トリダーさんが来てくれた時、とっても心強かったです。すごくホッとして、とっても……嬉しかったです」
ポロポロと涙を零しながら彼女は言う。今まで仕事中はあまり接点が無かったので、マンチェットが彼女の顔をこれほど近くでしっかりと見たのは初めてかも知れない。
やや丸めの輪郭だが、愛嬌の有る顔立ちだ。真っ直ぐに見つめてくる涙に濡れた彼女の茶色の瞳に、マンチェットの顔が映っている。
それを見た瞬間、マンチェットは自分の心臓がトクン、と軽く跳ねたのを感じた。
「……大変だったね、よく頑張ってくれた。…………そうだ、早く助けられなかったお詫びというわけじゃないけど、君の都合が良い時にでも、一度食事をご馳走させてくれないか?最近串焼きが美味い店を見つけたんだ。……君が嫌だったら仕方なく諦めるけど……どうかな?」
言いながらマンチェットは自分の言葉に驚いていた。
自分はこんなに気安く女性を食事に誘うような男だっただろうか?
女性職員はハンカチで両目の涙を丁寧に拭う。
そしてまたマンチェットを見つめたかと思うと、にこりと柔らかく微笑んだ。
泣いたせいか鼻と目のまわりが少し赤くなっている彼女の顔が、その笑顔が、淡く輝いているようにマンチェットには感じられる。
それはまるで道端に咲く、可憐な一輪の花。ささやかながらもどこか逞しさを感じさせるその花が、力一杯に美しく咲き誇っているかのようだった。
「はい、是非ご一緒させて下さい。光栄です。……あ、でも私、食べるの大好きなんですよ。お会計の時になってから後悔しても、知りませんからね」
やはり気丈な女性だ。あんな事が有った後だと言うのに、なかなかどうして逞しい。声も嬉しそうに弾んでいる。
彼女の言葉が何ともおかしく感じられて、思わずマンチェットの顔に笑みが溢れた。
「それじゃあ仕事に戻るとするかな。……ほら、立てるかい?」
マンチェットは立ち上がると彼女に向けて手を差し伸べる。
少しはにかむようにしながらその手を握った彼女の小さな掌は、家事に慣れている事が伝わって来るような、しっかりとした皮膚に覆われていた。




