「パージ」Ⅱ
「ダンジョン・コアを制圧した後、俺たちは今まで潜って来た道を戻らなければならない。手持ちの物資は限られている。そんな死に損ないに使える状況ではない」
ブランドンの言葉に、背嚢を漁るマーテルの手が止まる。
「そうだぜ。それにあのドラゴンは逃げたかも知れねえけど、もし治療中に他の脅威生物が襲って来たら、今の俺たちじゃどこまで対処できるか分からねえ」
アンサーが追撃するかのように続けてそう言った。
「ブランドン様‼︎」
思わずマーテルは大きな声を出していた。
「ヒャクリキがカバーに入ってくれなかったら、間違いなく私もピラドもあのドラゴンにやられていました!この人はチームに貢献したんですよ!それなのに見捨てると仰るんですか⁉︎」
普段見せないマーテルの表情と言葉の強さに、ブランドンは少しだけ意外そうに驚いたが、すぐにいつも通りの冷徹な表情に戻る。
「ああ、その通りだ。冷静になれ、マーテル。ここまで潜るのも大変な苦難の連続だった。しかしダンジョンは帰還する行程の方が、潜る行程以上に危険な事を、お前は良く知っているはずだ」
その事実は経験豊富な冒険者ほど身に沁みて知っていた。財宝を抱えたまま息絶えている冒険者の亡骸は、難関ダンジョンでは珍しくない。
未知が待ち受ける「行き」の行程も確かに危険だが、攻略を進めることで体力も物資も、そして精神も消耗した状態にならざるを得ない「帰り」の行程は、それ以上に危険なのだ。
「我々の持つ物資の量は、潜り始める前の半分をとっくに切っている。すでにかなり危険な水準だ。それに……」
話の途中でブランドンはリョーカに目をやる。
リョーカはビクターに肩を借りて立っていた。しかし床に付いているのは右足だけで、左足は足首から先にまったく力が入っていないのが、見ただけで分かる。
そしてマスクで鼻から下を覆い、ほとんど目のまわりしか見えないリョーカの表情は、それでも目で見て分かるほど苦痛に歪んでいた。
「カースドラゴンが吐いたあの液体を、足に少し浴びただけでこのザマだ。そいつは全身を黒く染められるほど浴びている。それで助かるなどと、本気でお前は思っているのか?」
ブランドンは“ハーケン”で動かないヒャクリキを指しながら、本当はマーテルも気付いている、残酷な現実を指摘した。
「神話から読み取れるというだけの情報なのでどこまで正確かは保証できませんが…………おそらくあの黒い液体の正体は、“カースドラゴン”という名前の由来にもなった、“呪い”が具体的な形を持ったものかと思われます……」
ビクターが訥々と彼の持つ蘊蓄を語る。
「“呪い”の効果がどんなものなのか、これもまったくわかっていません。果たして治療ができるものなのかどうかすら……」
ビクターの言葉が途切れると、リョーカが引き継ぐように口を開く。
「確かに痛いんだけど……それだけじゃない……。なんか、左足首が……とてつもなくイヤな感じに覆われてる。……力が抜けていくというか、何か……逆に良くないものが入り込んでくるような……感じだ」
苦しそうに話すリョーカの眉間には、脂汗が浮いている。
「と、いう事だ。どう考えても、そいつはもう助からん。それともそいつのでかい図体をお前がおぶって歩くとでも言うのか?さっさと見切って、先を急ぐぞ」
リーダーとしての決断を下したブランドンはいつもの冷たい口調で言い放つ。
「納得……できません……」
マーテルは俯いて、ヒャクリキに視線を落としたまま、静かにそう言った。
《ドラゴン・ベイン》のメンバーたちはお互いの顔を見合いながら戸惑いを隠せない。
先ほどの大声といい、マーテルがこんな態度を取るのは初めての事だ。
ブランドンの命令には絶対服従して逆らわない。それがメンバー皆の、マーテルに対する共通認識だった。
「別に良いじゃねえか、そんなマンブ野郎が一人くたばったところで、誰も悲しみゃしねえよ。そいつの持ってる物資をありがたく使わせてもらおうぜ」
なんでもない事のようにそう言ったのはジョエルだった。
記念品にでもするつもりなのだろうか、彼はカースドラゴンが囮として切り離したであろう尻尾の先端から、胴にひと回しできるほどの長さを切り取って、片手にぶら下げて持っていた。
その言葉を聞いたマーテルは、キッと怒りに染まった視線をジョエルに向けた。その目には今にも溢れそうに、涙が溜まっている。
「恥ずかしくないの‼︎⁉︎あなたたちは‼︎‼︎いくら嫌ってるからと言って、チームのために戦ったメンバーに対して、そんな言い方しかできないなんて‼︎‼︎」
暗い部屋にマーテルの怒声が響き渡る。
「どれほどチームに貢献しても、使えなくなったら用済みとばかりに、ポイッと切って捨てるというわけ‼︎⁉︎《ドラゴン・ベイン》はそんなチームだったの‼︎⁉︎」
震える声には彼女の激情が溢れて、その声はまるで勢いよく燃え上がる炎のようにも感じられる。
しかし彼女のささやかな抵抗も、そこまでだった。
「……話にならんな。ケイン、ここからはマーテルを抱えて歩け。あまり聞き分けが無いようなら、ふん縛っても構わん」
ブランドンはそう指示をすると、先を目指して歩き始めた。
ケインは大盾をピラドに預けると、動こうとしないマーテルに近付く。
「嫌よ!私はここを動かない……、いやっ!やめて‼︎放して‼︎放してよ‼︎……いやあっ‼︎放して……どうして⁉︎どうしてこんな事ができるの⁉︎…………お考え直しください、ブランドン様‼︎……ブランドン様‼︎‼︎」
抵抗虚しく、ケインに軽々と抱え上げられたマーテルは、彼の肩に担がれたまま荷物のように運ばれるのだった。
他のメンバーたちもブランドンの後に続く。
ジョエルはヒャクリキの腰のベルトから、黒い液体に触れないようにして小さな鞄を取り外すと、それを持ってメンバーたちを緩い駆け足で追っていった。
リョーカもビクターに肩を借りたまま、ひょこひょことびっこを引きながら必死で後を追っている。
冷たい石畳に横たわるヒャクリキを残して、ランタンと松明の灯り、そしてマーテルの泣いているような叫び声が、だんだんと遠ざかって行った。




