お見舞い(過去・在学中)
学園に入学して間もない、まだ二人が穏やかな日常の中にいた時のこと。
早朝の眩しい光が射し込む女子寮の一室。ベッドの上では、フィーネが苦しそうに小さな呼吸を繰り返していた。
「……うーん、やはり熱がおありですね」
熱のせいでほんのり頬を染めているフィーネの額に手を当て、ジーラは心配そうに眉を下げた。
「コホッ」
堪えきれない咳がフィーネの口から漏れると、ジーラは「お医者様を呼んできますので、横になっていてください」と告げ、フィーネの身体をベッドに横たえると慌てて部屋を後にした。
(……情けないわ……)
ぼんやりと靄がかかったような思考の中、フィーネは顔の上半分だけを布団から出して目を閉じる。
(……自分の体調管理もできないなんて、まだまだ駄目ね)
◇◇◇
「……やはり、風邪でいらっしゃいますね」
ジーラが連れてきた学園の年配医師は、フィーネの脈を測り、手際よく問診を終えると、心配そうに見つめるジーラへと処方した薬の入った小瓶を手渡した。
「幸い、そこまで重いものではありません。お薬を飲んで今日一日安静にしていらっしゃれば、直に熱も引くでしょう。無理はいけませんよ、グランドール嬢」
そう言って優しく微笑むと、医師は深々と一礼し、静かに部屋を後にした。
残されたフィーネは、時計に視線をやると、そのままジーラに掠れた声をかけた。
「ジーラ、担任の先生への連絡と……あと、アヴィ様達にも今日は休むと伝えてきてくれる?」
「承知いたしました。ではこちらのお薬をお飲みになって、安静になさっていてくださいませ」
水と薬をフィーネにそっと差し出すと、ジーラは一礼して足早に出ていった。
◇◇◇
「殿下」
女子寮の前でウィリアムと共にフィーネを待っていたアヴィは、かけられた声に振り返る。そこには思っていた婚約者ではなく、彼女の側にいつも付き添っている侍女の姿があった。
「やあ、ジーラ。どうしたのかな?」
直接声をかけてくるなんて珍しい、と首を傾げながらアヴィが返すと、ジーラは恭しく頭を下げる。
「恐れながら、フィーネお嬢様はお風邪を召されまして、本日は学園をお休みさせていただくこととなりました」
「……風邪だって? 具合は?」
告げられた内容にアヴィの表情が曇る。
「少し熱がおありですが、先ほど医師に診ていただきましたところ、今日一日安静にしていれば問題ないだろうとの事です」
「そう……か」
「お薬もいただきましたので、ご心配にはおよびません」
ジーラが冷静に告げるとアヴィは心配そうにフィーネの部屋の窓を一度見上げ、頷いた。
「……分かった。では私達は授業に向かうよ。帰りにお見舞いに寄るとフィーに伝えてくれるかな?」
「それはありがたいことですが、殿下に風邪が移ってしまう可能性もございますし……」
それはフィーネも望まないだろうと暗にジーラが伝えるも、アヴィは首を振る。
「婚約者が苦しんでいるのを放ってはおけないよ。本当はずっと傍に付いていたいくらいだけれど、それはさすがにフィーも困ってしまうだろうからね。授業が終わってから来ることにするよ」
そう言って微笑むアヴィに、ジーラはそれ以上何も言えなかった。
◇◇◇
授業自体はいつも通り完璧にこなしつつも、アヴィの意識の半分は自室で臥せっているフィーネの元にあった。どこか上の空な心を隠して終業の鐘を聞くと、彼はごく自然な所作で手早く身支度を整え、速やかに教室を後にした。
「ウィリアム、この後お見舞いの品を買いに行きたいんだけど、いいかい?」
「はい。もちろんお供いたします」
快く了承してくれたウィリアムを伴い、アヴィは学園から程近いカフェに足を向けた。
先日フィーネと訪れた時に、彼女がいたくそこのスイーツを気に入っていたためだ。
「いらっしゃいませ。何になさいますか?」
「ある人のお見舞いに持っていきたいのだけど、何がお薦めかな? 喉を痛めているかもしれないから柔らかいものがいいかもしれない」
「喉越しが良く、病み上がりでも口にしやすいのは……やはりカスタードプリンか、こちらのゼリーでしょうか」
店員の言葉に、アヴィはまるで国家の重大な決断でも下すかのように、真剣な眼差しでショーケースを見つめた。
(喉を痛めているならゼリーの方がさっぱりして良いかもしれない。……だが、先日二人で来た時にフィーを笑顔にさせたのは、あの滑らかなカスタードプリンだ。しかし今の熱で甘すぎるものは重くないだろうか……)
腕を組み、眉間に微かにシワを寄せて真面目に悩み続ける主の横顔を見上げ、控えていたウィリアムは心の中でそっと苦笑交じりの溜息を吐く。
(……殿下。たかがお見舞いの品一つで、そこまで真剣に苦悩なさらないでください……)
しばしの長考の末、アヴィは決然とした表情で店員に向き直った。
「こちらのカスタードプリンを。……それと、心が和むような可愛らしい花も一緒に用意してもらえるかな?」
◇◇◇
本来、男子生徒が女子寮の自室へ入ることは厳しく禁止されている。だが『体調を崩して横になっている婚約者に負担をかけたくない』というアヴィの真摯な気遣いに、寮母も納得し、特別に面会室でなく、自室までの立ち入りが認められた。
廊下で出迎えたジーラに、アヴィは手に持っていたフィーネへのお見舞いの花束を手渡す。
「この花を、花瓶に生けてもらえるかな? フィーネの好むところに飾ってあげてほしい」
「承知いたしました」
ジーラは両手で大切そうにその花束を受け取ると、フィーネの部屋の扉をノックした。
「お嬢様。殿下がお見えです」
そう言ってジーラが扉を開ける。フィーネは読んでいた本を閉じると顔を上げた。
「アヴィ様。お越しいただきありがとうございます。このような姿で申し訳ありません」
「いや、もう起きていて大丈夫なのかい?」
「はい、薬を飲んでお昼過ぎまでゆっくり眠ったら、熱も下がっておりました」
「そうか、それはよかった」
そう言ってアヴィはベッドの傍らに近寄り、椅子に腰を下ろした。
「アヴィ様、そのようなところでは座り心地が悪いでしょう。あちらのソファをお使いください」
「構わないよ。それにあちらではゆっくり君の顔を見て話もできないしね」
「アヴィ様……」
二人の邪魔にならないよう、ジーラは控えめに扉を少しだけ開けたまま隣室へと下がっていった。外で待機していたウィリアムも、そちらで茶を振る舞われることだろう。
「ああそうだ、お見舞いを持ってきたんだよ」
アヴィは微笑みながら手にしていた箱を持ち上げた。
「あら、その箱は……以前行ったあのカフェのものですね」
「食べやすいものをと思ってね」
そう言ってアヴィは箱を開ける。その中身を見て、フィーネは小さく歓声を上げた。
「まあ、プリン」
「食べられそうかな?」
「はい、ちょうど甘いものが食べたかったのです」
嬉しそうに微笑むフィーネに、アヴィも目を細める。
「ジーラ、いる?」
「はい、お嬢様」
「アヴィ様からお見舞いをいただいたの。お茶を淹れてくれるかしら」
「畏まりました」
少しの時間の後、ジーラが紅茶を乗せたカートを押して入ってくる。その上には可愛らしい花が生けられた花瓶も載っていた。
「まあ、素敵なお花ね」
「こちらも殿下からいただいたものですよ」
ジーラが微笑むと、フィーネは目をぱちくりとさせながらアヴィを振り返る。
「君の心が癒されるといいと思ってね」
照れたようにそう告げるアヴィに、フィーネは感極まったように目を潤ませた。
「……ありがとうございます、アヴィ様。私は本当に幸せ者ですわ」
泣き笑いのような表情を浮かべるフィーネを見て、アヴィもふわりと笑うと、彼女の頭をそっと撫でた。
「早くよくなって。君がいないと私の調子も狂ってしまうんだ」
「……はい」
嬉しそうに頷く彼女を退屈させまいと、アヴィは今日、学園の授業で起きた小さなハプニングや、ウィリアムが呆れ顔でそれを宥めていたことなどを、楽しげに可笑しそうに話して聞かせた。
ただその声を聴いているだけで、フィーネの心の中にあった風邪の重苦しさは、温かな陽だまりに溶けるように消え去っていくのだった。




