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忘れられた公爵令嬢  作者: 結城 洋乃
第二部

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29. 呪いの正体

 フィーネが野外演習の前から少しずつ進めていた、魔女や闇魔法に関する文献の解読。彼女は演習で負った怪我の療養中も、前期試験の前後も、合間を縫っては、ウィリアムを介して魔導師団長のクリスから借り受けた文献まで手を広げて読み解き続けていた。


 そうして、試験終了から数日が経ったある夜、フィーネはその日も寮室で闇の魔法に関する書物を読んでいたが、酷使した目を休めるように、そっと窓の外へと視線を向けた。夜空を見上げながら、深い物思いに耽る。


「……そういえば、あの日も満月に近い月だったかしら……」


 アヴィと最後に過ごした図書館でのひととき。その帰り道、彼に送ってもらいながら見上げた空には、ほぼ正円に近い美しい月が昇っていた。そしてその直後、世界は一変したのだ。


 あの日、フィーネは朝からなぜか胸騒ぎがしていた。何かよくないことが起こるのではないかという漠然とした不安。 

 だから、放課後にあの図書館に向かったのだ。何事もないことを確かめたくて。彼の執務の邪魔になることを極力避けていた自分が、不安に耐えきれず、図書館に向かった。

 結局図書館にいる間も帰る時も何も起こらなかったので、取り越し苦労だったのだろうと思っていた。

 ――だが、その後に事件は起きてしまった。


(あの時、もっと何か、自分にできることはなかったのだろうか。例えば、魔法を使えなくても、光の魔力を持つ自分がずっと彼の傍にいれば……)


 そう、模擬夜会の時のように、例えば手を――そこまで考えて、先ほど読んでいた本の記述と、一つの仮説が頭を過ぎった。


「……ジーラ! ちょっと来てちょうだい!」


◇◇◇


 翌日、フィーネは学園内で密かにウィリアムに接触し、誰もいない空き教室で、自らの検証した仮説を伝えていた。


「――私が相手に直接触れている間は、記憶が正常に戻るようなのです」

「っ! どういう事ですか!?」


 驚愕に目を見開くウィリアムに、フィーネは真剣な面持ちで頷き、古びた一冊の本を取り出した。


「先日、ウィリアム様経由でクリス様からお借りしたこの闇の魔法の文献を読み解いた結果、闇の魔法による精神操作には二つの術式が存在することが分かりました」

「これを、もう読み解いたのですか……? 専門の魔導師でも数ヶ月はかかる難解な古代語と聞きましたが」

「ええ、幸いにも古代語の解読は得意でしたので」


 そう言ってフィーネは少しも誇る風でもなく、ただアヴィを救いたい一心で掴み取った知恵の結晶を、愛おしそうに指先でなぞった。


「一つは、外的に他人の精神へ干渉すること。術者が意図した『記憶』を、対象者へ強制的に共有する術です。これは魔力の及ぶ範囲内であれば、対象者と直接接触する必要はありません」

「強制的に共有……。それがあの日の兵士や侍女たちの記憶が曖昧になっている原因、ですか」

「はい。そして、国民すべてがアヴィ様とスレイヤー嬢の婚約を信じ込んでいる原因でもあります」

「……では、殿下がフィーネ様との記憶を完全に失っているのも、その共有のせいで?」


 ウィリアムの問いに、フィーネは真剣な面持ちで首を振った。


「いいえ。アヴィ様はおそらく、二つ目の、より強力な術式――『内的干渉』を受けています」

「内的干渉……?」


 聞き慣れない魔術用語に、ウィリアムの藍色の瞳が鋭さを増す。


「術者が意図した『記憶』を、対象者の精神そのものに深く、直接書き込むのです。こちらは対象者と直接対峙し、何らかの接点を持つ必要があります。目を合わせるだけでも発動可能なようですが……」


 その言葉に、ウィリアムはあの日、王城の謁見の間で起きた光景を鮮烈に思い出した。嵐のような黒炎の中で、アヴィが魔女の妖しい紅い瞳に囚われたように硬直していた、あの瞬間を。


「確かに……あの時、殿下は魔女の瞳に囚われたように動けなくなっていました……」


 ウィリアムは己の無力さを呪うように、ギリ、と奥歯を噛み締めて拳を握りしめた。

 フィーネはそんな彼の痛みをそっと包み込むように、静かに、けれど確信を込めて話を続けた。


「やはりそうなのですね。だとすると非常に厄介です。前者の『外的干渉』であれば、私の光の魔力で一時的に闇の魔力を遮断することで、操作を打ち消すことができます。支配を維持するには継続的な闇の魔力の供給が必要ですから」


 フィーネは、昨夜自室でジーラに対して行った実験を思い浮かべた。


「実は、ジーラに試してみたのです。私が直接彼女の手を握っている間だけは、私の記憶通り『アヴィ様が婚約者であること』を思い出し、ブレスレットの石の色も正しく認識できました。けれど……私が手を離せば、たちまち外的干渉の支配下に逆戻りでした。これでは根本的な解決にはなりません」

「なるほど……。対象者に直接触れ続けない限り、元の記憶は維持できないと。さすがにずっと触れたままでいるわけにはいきませんしね……」


 ウィリアムの顔に暗い陰が落ちる。しかし、フィーネの表情には、それ以上の悲痛な翳りが浮かんでいた。


「アヴィ様には、先日の模擬夜会で直接その手に触れましたが、記憶が戻ったようには見えませんでした。なので、『内的干渉』を受けている相手には、一時的に違和感を与えるくらいが限界なのだと思います」


 フィーネは深い溜め息を吐いた。


「例えば、私が父にずっと触れた状態でこの事実を説明すれば、シリウス様との婚約を無かったことにしてもらうことは可能かもしれません。ですが、私が手を離せば、父はすぐにまた『フィーネの婚約者を探さねば』と動き始めてしまうでしょう。光の魔力だけでは、闇の魔力を阻むことはできても、他人の記憶を元通りに修復することはできないのですから……」

「一人や二人だけ一時的に記憶を元に戻せても、その他の国民すべてが操られているこの状態では……」


 ウィリアムが唇を噛んだ。

 以前話していたように、フィーネが地道に魔石に光の魔力を貯めたとて、それで救える人数は微々たるもの。途方もない話だった。


◇◇◇


 翌日、フィーネは図書館で月の満ち欠けに関する資料を調べていた。過去の記録と照らし合わせるうちに、彼女の指がぴたりと止まる。


「……やっぱり……」


 思った通り、アヴィの記憶が改変されたあの日、空には満月が輝いていた。魔法の講義で教わった通り、満月の日には大気中の魔力が増幅され、特に闇の魔法はその効力を何倍にも跳ね上げる。

 そして、アヴィの記憶と感情までもがさらに無情に封じられたのが、あの模擬夜会の日だ。その日の月もまた満月だった。


(……魔力を隠蔽しているというより、満月の日だけ、本来の魔女の強大な闇の魔法が使えるようになるのではないかしら)


「満月の日に、魔女がサラ様の身体を使って闇の魔法を行使していたのだとしたら……」


 おそらく、サラという少女が完全に魔女本人というわけではないのだろう。魔女はシルベスター王家に対して異常なまでの恨みと憎悪を抱いている。

 もしサラの身体が完全に魔女の意識下であるならば、憎き復讐の対象であるアヴィに対して、演技であれ、あのように恋い焦がれるような態度を常に取れるとは思えない。


「サラ様もまた、魔女に身体を都合よく利用されている……?」


 その仮説の方がしっくりときた。サラは魔女にとって、この上なく都合の良い「依代」であり「舞台装置」だったのだ。

 アヴィに懸想し、あわよくばフィーネに成り代わりたいという歪んだ願望を持った娘。公国を追い出され、男爵家の養子にされた魔導師の娘。


 おそらく魔女はサラに対して、記憶を改竄したアヴィの婚約者に成り代わり、この国の王妃になればいいと、甘い言葉をかけたのだ。

 きっと魔女にとっては誰でもよかった。王国を手に入れることができて、シルベスターの子孫を絶望に陥れることができるのなら、誰でも。


 だが、そんな存在をどうやってピンポイントで見つけ出したのだろう。いや、探し当てたというよりは――彼女の最も身近に、魔女の信奉者がいたのではないだろうか。


 その瞬間、スレイヤー男爵家の不穏な噂が脳裏を過る。魔法研究に没頭するあまり国から厳重注意を受け、夫妻はここ数年社交界に一切姿を見せていないという奇妙な事実。


「まさか、スレイヤー男爵が……?」


 養子にされた魔力の強い娘。危うい魔法研究に没頭する養父――この組み合わせが意味すること。

 だが、魔力を持つ娘と言うだけで、あの原初の魔女の膨大な力を受け止められるものだろうか。


(サラ様が持つ薄桃色の髪……そして血のような紅い瞳。原初の魔女に通じるあの色彩……)


 あの襲撃の日、ローブの女は『原初の魔女の魂を持つ者』、そう名乗ったとウィリアムが言っていた。


「もし、それが、嘘でなかったとしたら……」


 サラは、原初の魔女の生まれ変わりなのかもしれない。魔女の魂がこの現世に再び顕現するために選ばれた、完璧な『器(依代)』。

 何らかのきっかけで前世の記憶を取り戻した彼女の身体には、今、サラ様としての歪んだ願望と、魔女としての悍ましい復讐心という、二つの人格が宿っているのだ。


 フィーネの中で、散らばっていた全てのピースが最悪の形で繋がろうとしていた。


◇◇◇


「ウィリアム様、スレイヤー男爵家を調べる必要があります」


 再び空き教室で情報を共有する二人。息を切らせて駆けつけたウィリアムに、フィーネはたった今導き出したばかりの確信を迷いなく提示した。


「スレイヤー男爵家、ですか? 確かにサラ・スレイヤー嬢の実家ですが……なぜ今、その家名を?」

「魔法研究に没頭するあまり国から厳重注意を受け、さらに男爵夫妻はここ数年、社交界に一切姿を見せていません。これほど不自然な引きこもり、何かあるとは思われませんか?」


 フィーネが机の上に並べた資料を指し示すと、ウィリアムの藍色の瞳が、驚きと理解にカッと見開かれた。


「社交界に一切出ていない……。なるほど、タイミングとしても、確かにきな臭いですね」

「はい。そしておそらく、サラ様は魔女そのものではなく、魔女の魂を受け入れる『依代よりしろ』なのだと思います。彼女の髪や瞳の色は原初の魔女に酷似しています。何より、魔女の力が高まるのは大気中の魔力が増幅される――満月の夜だけです」

「満月の夜……。では、次の満月の夜にスレイヤー邸を調べれば、決定的な証拠が掴めるかもしれませんね」


 そう言って拳を握りしめるウィリアムだったが、すぐに現実的な問題に突き当たって眉を寄せた。


「ですが……いくら疑惑があるとはいえ、不敬罪を避けて、学生の身で他家の屋敷へ踏み込むのは困難です」

「ええ。だからこそ――クリス様の力をお借りしたいのです。あの日、王城で魔女と直接対峙し、調査権限も持つクリス様であれば、私たちの味方になってくださるはずです。この仮説を共有すれば、きっと力を貸してくださいます」


 ウィリアムは深く息を吐くと、確固たる闘志を宿した瞳で力強く頷いた。


「分かりました。今すぐクリス殿に連絡を取り、この仮説を共有して協力を仰ぎます。次の満月の夜――必ず、スレイヤー男爵家の闇を暴きましょう」



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