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忘れられた公爵令嬢  作者: 結城 洋乃
第二部

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21. それぞれの絆

 そして月末――野外総合演習の日を迎えた生徒たちは、学園が手配した馬車に乗り込み、演習森林の麓にある保養キャンプ地へと出発した。


 午後遅く、木々に囲まれた静かなキャンプ地に到着した生徒たちは、男女ごとに割り当てられたコテージへ荷物を下ろした。一泊二日の初日である本日は、旅の疲れを癒しつつ、班員同士の親睦を深めるための「野外炊飯」がレクリエーションとして組み込まれていた。


「フィーネ、さっそく夕食の準備を始めましょう!」


 親友のシンシアが楽しげに声をかけてきて、フィーネたちは自分たちに割り当てられたカマドの前に集まる。他の班も、少し離れたところにそれぞれ集まって、調理を開始していた。


 男子生徒たちが薪割りや火起こしを担当する中、調理器具の前に立ったフィーネが袖をまくった。


「フィーネ嬢、包丁や火の扱いなど、貴族令嬢の貴女には危なすぎる。下準備は俺がやるから――」


 周囲の他の班を見渡せば、慣れない令嬢たちが困惑した表情で食材に向き合い、恐る恐る包丁を手に取っている。そんな様子を見て、自分を気遣って申し出てくれたルベールに、フィーネはふわりと微笑んでみせた。


「お気遣いありがとうございます、サイモン様。ですが、ご心配には及びませんわ」


 そう言ってフィーネが包丁を手に取った瞬間、その場にいた全員が息を呑んだ。彼女の指先は、迷いなく食材を押さえ、リズミカルで軽快な音を響かせながら、根菜たちを寸分の狂いもなく均一な大きさに刻んでいく。

 その洗練された包丁さばきは、令嬢らしからぬものだった。


「……えっ!? フィーネ、貴女どうしてそんなに包丁が使えるの!?」


 シンシアが驚愕のあまり、持っていた水差しを落としそうになって叫ぶ。ユアンもまた、眼鏡を押し上げて信じられないものを見るように目を丸くしていた。

 それもそのはず、この国の貴族令嬢にとって、食事は使用人が用意するものであり、自ら厨房に立つことなどないのが普通だからだ。


「言っていなかったかしら。私、子供の頃から時折、母と一緒に領地の孤児院へ奉仕活動に伺っていたのよ。そこでシスターが子供たちのご飯を作るのを時々お手伝いしていたから、簡単な調理なら何も問題はないわ」


 フィーネは照れくさそうに笑いながら、さらに手際よく手を動かしていく。


「今回は野外炊飯だし、通常の厨房のように火力を自由に調整することは難しいわ。だからこそ、火の通りが均一になるように野菜の繊維の向きを揃えて切るのがコツなの」

「そうなのね……」

「ほら、シンシアもやってみて」


 フィーネがそう言ってもう一本の包丁をシンシアの前に置く。


「え、ええ……」


 周囲の令嬢たちと同じく、恐る恐るといった様子でシンシアが包丁を握る。


「大丈夫、注意して使えば危なくないわ。シンシアは器用だから、すぐに使いこなせるようになると思う」


 フィーネがクスクスと笑いながらシンシアに「ほら、左手はこうやって猫の手にして、刃を滑らせるように……」とレクチャーしていると、周囲の班の令嬢たちも集まってきた。


「今の、もう一回見せてくださいませんか!?」

「え? あ、ええ。勿論構いませんわ」


 目が本気な令嬢たちに囲まれながら、図らずも即席の包丁の使い方講座のようなものが始まった。



 女性陣が盛り上がる中、ルベールとユアンは粛々とカマドの準備に移っていた。


 ルベールは額の汗を拭いながら、これでもかとばかりに太い薪をカマドの横に積み上げていた。その様子を、ユアンは眼鏡をスッと直しながら、心底呆れたような、気怠げな視線で見つめている。


「……ねえ、ルベール。僕たちはこれから一晩分のスープを作るだけであって、キャンプ地を包囲する夜戦の準備をしているわけじゃないんだよ。そんなに薪を割って、どうする気だい?」

「うるさいな、ユアン。騎士たるもの、いかなる時も物資の備えを怠ってはならない。それより、お前はさっきからただ突っ立って見ているだけじゃないか。少しは火の調整でも手伝ったらどうだ」

「ハァ。手伝いたいのは山々だけどね。僕の『雷魔法』をこのカマドに注いだら、スープの具材が瞬時に消し炭になって鍋ごと爆発するのがオチだ。君のように、力任せに木を叩き割るような単純作業しか能がない脳筋とは違うのさ」

「なんだと……!?」


 ピキリと青筋を立てるルベールと、ふいっと視線をそらす飄々としたユアン。

 翌日の本番を前に、実力はあれども実戦経験の少ない二人は、実はそれぞれに目に見えない緊張を抱えていた。それが、些細な小競り合いとして爆発しかけている。


 そこへ、シンシアたちへのレクチャーを一通り終えたフィーネが、困ったようにくすりと笑いながら二人の間に割って入った。


「ふふ。お二人とも、仲がよろしいのですね」

「「どこがですか(だ)!?」」


 ハモった二人に、フィーネは少しも怯むことなく、カマドの構造を指差した。


「ルベール様。これほど素晴らしい薪をたくさん、ありがとうございます。ですが、じっくり煮込むハーブシチューには、そんなに太い薪を一気に焚べると、中まで火が通る前にスープが焦げてしまいますわ。できればこの半分ほどの細さに割ったものを、空気の通り道を作るように組んでいただけますか?」

「あ、ああ……そうなのか? 分かった、すぐに割り直してこよう!」


 フィーネに頼まれ、ルベールは「彼女の役に立ちたい」という先日の夜会の猛省も相まって、嬉々として再び斧を握り、驚異的な速度で薪を細く割り直し始めた。

 その素直すぎる姿に、ユアンが「本当に扱いやすい男だね」とため息を吐く。


「ユアン様も、カマドの『空気の番』をお願いできますか?」

「……空気の番?」

「ええ。風向きを読んで、カマドの下部の吸気口をこの木の枝で塞いだり開けたりして、火に送る空気の量をコントロールしていただきたいのです。魔法を使わずとも、適切な空気循環を行えば、火力を完璧に一定に保つことができますわ。……頭脳明晰なユアン様なら、きっと簡単なはずです」

「……」


 ユアンは一瞬だけ呆気に取られたように目を丸くし、それから眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げ、いつもの彼らしい、けれどどこか熱を孕んだ甘い笑みを唇に浮かべた。


「……やれやれ。これほど論理的で完璧なタスクを、涼しい顔で僕に課すなんてね。魔法が使えないと噂される君が、誰よりも『火の性質』を理解して、僕たちを完璧に動かしている。……本当に、君という女性は底が知れないな」


 ユアンはフィーネに一歩歩み寄ると、彼女の白金の髪を一瞬だけ愛おしそうに見つめ、声を少しだけ潜めて囁いた。


「世間の身勝手な噂なんて、いかにあてにならないか、君を見ているとよく分かるよ。……ねえ、グランドール嬢。そんな風に鮮やかに僕を手玉に取るなんて、ますます君から目が離せなくなってしまうじゃないか。僕を本気にさせたいのかい?」


 悪戯っぽく、しかし本気とも取れる眼差しを向けてくるユアン。

 だが、フィーネは彼の甘いアプローチをさらりと受け流し、困ったように笑った。


「そんな大それた意図はございませんわ。ですが、頭脳明晰なファネージュ様にそう言っていただけるなら、私の差配も間違っていなかったようで安心いたしました」

「はは、本当に君は手強いね。……いいだろう、その大役、宮廷魔導師を目指す身として完璧にこなしてみせるよ」


 ユアンは肩をすくめて苦笑しつつも、どこか楽しげにカマドの前にしゃがみ込み、木の枝を手にした。 その背中は、いつもの女生徒たちを適当にあしらう時のような退屈さはなく、彼女の指示通りに完璧に「火を管理する」ことに、一人の男として密かなプライドを燃やしているようだった。


 それからしばらく後。

 フィーネはシンシアとともに、切った肉と野菜を鍋に投入し、ルベールが起こし、ユアンが空気の番をして完璧に火力を調整しているカマドの火の上に、鍋を載せた。軽く具材を炒めた後、水を投入する。


「ルベール様とユアン様が用意してくださったこの穏やかなカマドの火なら、じっくり煮込むスープやシチューに最適ですね」


 フィーネはカマドを覗き込みながら、二人に微笑みかけた。自分が頼んだとはいえ、二人の想定以上の手際に思わず口元が綻ぶ。

 そんな彼女の柔らかな表情に、ルベールとユアンも顔を見合わせると、敵わないな、と眉を下げて笑った。


 フィーネはさらに、図書館での勉強を活かして、先ほどキャンプ地周辺の安全区域で採取した食用ハーブをスープに加えた。

 肉の臭みが消え、野外とは思えないほど薫り高く上品なハーブシチューが完成した時、全員がスプーンを口に運んで歓声を上げた。


「美味しい……! 野外炊飯でこんなに奥深い味わいの料理が食べられるなんて!」


 シンシアが目を輝かせる。


「本当に素晴らしい。グランドール嬢、君と班を組めたことを、改めて誇りに思うよ」


 ユアンが穏やかに微笑み、ルベールもまた、美味しそうにシチューを平らげながら「ああ、これなら明日の演習はいくらでも戦えそうだ」と力強く頷いた。


 魔法が使えなくても、それぞれが持つ力を合わせて一つの温かなものを作り上げる。それはまさに、半月前に教官が語った「調和」そのものの光景だった。


 その穏やかな温もりに胸を撫で下ろしたのも束の間、フィーネがふと周囲に視線を向けると、今にも押し潰されそうな、痛々しいほどに思い詰めた顔をしたウィリアムが、一人で暗い森の中へと消えていくのが見えた。


 そのただならぬ様子に、フィーネはそっと立ち上がるのだった。



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