11
開幕の笛が鳴る。
グラウンドに足を踏み入れた。
声援が降ってくる。
伊藤は、鼓動が早くなるのを感じた。
歩きながら、呼吸に意識を集中させる。
整列した。
目の前に、大将の数学教師がいる。
やっぱり親子だな。
目元が、田中に似ている。
だが、こうして対峙していると、
田中には感じない、引き込まれそうな深さを感じる。
瞳は、静かな色をしていた。
互いに礼をする。
伊藤は、手を出した。
大将の数学教師と、握手をする。
配置について、騎馬を組み始めた。
教師は、数合わせなどではなかった。
さっきの試合で、それが明らかになった。
生徒に、花を持たせる気などない。
勝ちにきている。
ただ、教師が本気であるとわかったこと以外は、
さっきの試合は参考にならなかった。
結局のところ、黄組は、驚かすようなことをやっただけだ。
奇襲や奇策。
そういったものは、戦略の根幹に据えるべきではない。
策はハマれば強い。
しかし、破られれば、自分の首を絞めることになる。
自分の方が優れている。
そう思いたがっている人間は、策に溺れる。
それは、本当には自信がないからだ、と言えた。
つまり、臆病者だった。
確かに、勝つためにはどこかで飛ぶ必要がある。
思いついた策や考えに、身を委ねるべき時がある。
だがそれは、ぶつかって初めて生まれてくる。
相手の空気を、肌で感じることで浮かんでくるもの。
それに懸けるのが、伊藤の闘い方だった。
騎馬を組み終えた。
こちらは7騎で、向こうは6騎。
伊藤は、古典的な陣形を組んだ。
前に3騎、その後ろに3騎。
それぞれ横に並び、二段に構えている。
伊藤は、一番後ろにいた。
向こうも、ほぼ同じ構えだ。
前に3騎、後ろに2騎。
こちらと同じく、横に並び、二段に構えている。
体育教師は、前の3騎の真ん中にいた。
大将の数学教師は、一番後ろにいる。
伊藤は、大きく息を吸い、吐いた。
全ての予感を頭から振り払う。
試合開始の笛が鳴った。
伊藤は、片手をあげた。
太鼓が鳴り、一段目が前に出る。
相手の一段目とぶつかった。
右と左は、力がきっこうしている。
だが、真ん中は押されていた。
体育教師に関しては、動きを止めるだけでいい、と伝えている。
それでも、1騎では押さえられないようだ。
伊藤は、合図を出し、二段目から1騎を向かわせた。
連携をとりながら、上手く押さえこんでいる。
2騎でなんとか五分だった。
相手の二段目が動き出した。
ぶつかり合っている、左右の騎馬の裏を取ろうとしている。
伊藤は、二段目の残りを、それにぶつけた。
膠着した。
一度引かせる。
体育教師を除けば、一騎一騎の力は五分だった。
だが伊藤は、さっきのぶつかり合いに、妙な違和感を感じた。
何かおかしい。
その違和感を突き詰める前に、相手が陣形を変えた。
前に2騎、中央に体育教師、後ろに2騎の三段だ。
伊藤も、2騎を三段にした。
合図を出した。
一段目の2騎を、中央の体育教師にぶつける。
間髪を入れず、二段目を、相手の一段目の右の1騎に、
三段目を、左の1騎にぶつける。
相手の三段目が、すぐさま対応してくる。
また膠着した。
合図を出し、引かせる。
こちらが引くのに合わせて、
相手の2騎が、前に出てきた。
こちらのしんがりを、追いかけてくる。
伊藤は、即座に反転させ、それを迎え撃った。
相手は、その裏を取るため、別の1騎を出してくる。
乱戦になった。
どちらが先に相手の裏を取るか。
読み合いになっている。
不意に、伊藤は違和感の正体に気づいた。
汗が出てくる。
相手の太鼓の音を、一度も聞いていない。
合図を必要としていない。
それは恐ろしいことだった。
一騎一騎が、独立して状況を判断している。
全員が頭。
にもかかわらず、こちらと遜色ない連携を見せている。
伊藤は、唇を噛んだ。
組織の作り上げ方が根本的に違う。
どんな練習をしたら、こんな事ができるのか。
こちらの動きが、後手に回りはじめた。
当然だった。
合図が出てから動くのと、その前に動くのでは差が生じる。
判断の質が同じなら、その差はどうしようもなかった。
1騎、獲られた。
伊藤は、前に出た。
ぶつかり合いの中に、突っ込んでいく。
引かせることはしない。
判断の実行速度は、向こうのほうが上だ。
それは、この場でどうこう出来るものではない。
相手を休ませない。
出来るだけ勝負を長引かせ、持久戦に持ち込む。
伊藤は、動き回りながら、目まぐるしく合図を出した。
頭は澄んでいる。
集中は、切らしていない。
田中は唸った。
やはり手強い。
簡単には勝たせてくれない。
田中は、少し引いたところで、ぶつかり合いを見ていた。
劣勢になっている。
向こうは、1騎を獲られてから、守りに入っていた。
山本は、常に2騎で囲まれ、動きを封じられている。
他の騎馬も、攻めあぐねていた。
だが、守りを固めているだけなら、崩すのは難しくない。
厄介なのは、伊藤だけは、勝つための動きをしていることだ。
裏をとるために、自分だけ一歩先を読んで動いている。
長引けば、こちらが不利になる。
現に、動きは重くなっていた。
伊藤は、戦局を俯瞰しながら、自分を含めた6騎を動かしている。
たやすくできることではなかった。
自分の限界。現状の分析。
そこから導き出せる最適解。
それを瞬時に把握し、果断に実行できる。
何が正解か、身体で感じるのだろう。
それが味方を、こいつを信じていれば、という気にさせる。
天賦の才。
一瞬のひらめきや、味方から見える輝き。
そういうものは、教わって身につくものではなかった。
1騎、獲られた。
自分を投げ出さなければ勝てないだろう。
田中は、片手をあげた。
初めて、向こうの太鼓が鳴った。
教師たちが引いていく。
追っていくか。
いや、そこまでの体力は残っていない。
追ったら潰れる。
伊藤も、一度引いた。
前に3騎、後ろ2騎。
二段に構えさせる。
少し、息が上がっている。
伊藤は、大きく深呼吸をした。
体力的には、向こうの方が辛いはずだ。
闘い方を変えてくるだろう。
伊藤は身構えた。
向こうが、大将の数学教師を先頭にして、縦一列になった。
そのまま、こちらに向かってくる。
一段目の間を通る。
二段目の間も通った。
直接ここにくるのか。
伊藤は片手をあげ、太鼓を鳴らした。
味方を下げさせる。
間に合うか。
向かってくる。
こい。
覚悟を決めた。
大将の顔が見えた。
どこを見ている。
何も、見ていないようだ。
ぶつかる。
寸前、角度を少しだけずらし、すれ違っていった。
縦一列のまま、伊藤の横を通っていく。
味方が下がってきた。
相手は、ぐるっと回って、陣地に戻っていった。
何も変わっていない。
ただ、陣を通過されただけ。
向こうが無駄に体力を使っただけだ。
だが、伊藤の心はささくれ立っていた。
俺を見ていなかった。
あれは、かわしたのではない。
よけた。
道端に転がっている石をよけた。
覚悟を、汚された。
黒々としたものが、伊藤の心に広がっていく。
下がってきた味方を、また、前3騎、後ろ2騎に組み直した。
伊藤は片手をあげた。
一段目、二段目と続けざまにぶつける。
相手も応じてくる。
伊藤は、指示を出しながら動いた。
また同じ乱戦になる。
そう思った時、
相手の大将が、こちらの騎馬と騎馬の間を通り抜けた。
裏をとる動きではなかった。
迷い込んだように、ふらっと通り抜けた。
一度や二度ではなく、何度も、色んなところを通っていく。
挑発だ。
意味がある動きではない。
だが、わかっていても、妙に意識に引っかかってくる。
伊藤でさえ、そうだ。
間を通られている味方は、余計に気になるだろう。
判断に迷いが生じていた。
獲れば勝てる大将の首。
その首が鼻先をかすめていく。
獲りたくなるのは本能に近かった。
だが、獲りにいけば連携が崩れる。
向こうはそれを見逃さない。
味方も、伊藤の指示を優先してくれる。
しかし、その指示と自分の本能とのずれが、
一瞬の迷いを生んでいた。
それは小さい隙となり、
伊藤が取り繕えないほころびとなっていく。
周りからみれば、さっきと同じような乱戦だろう。
しかし今度は、こちらが追い込まれていた。
2騎、獲られた。
真綿で首を絞められているようだ。
一枚一枚、なす術なく、剥がされている。
どうしようもなかった。
向こうの大将の動きは、
味方に指示を出さなくてもいいから、出来ることだった。
伊藤は、指示を出しながら、動いている。
自分は何をしている。
ただ、負けるために動いている。動かされている。
黒々としたものが、心を覆っていた。
自分が何か、わからなくなっている。
また大将が目の前を横切った。
立ち止まる。
目があった。
そうか。あの首だけでいい。
あの首だけを獲ればいい。
あの首だ。
咆哮。
伊藤は疾駆した。
正面から、伊藤が向かってきていた。
殺気をはらんだ、いい目をしている。
そうだ。
お前の獣を見せてみろ。
猛然と迫ってくる。
誰も手が出せない。
魅入っている。
きた。
田中は、前のめりになった。
伊藤の手が伸びてくる。
後ろからきた手。
払いのける。
山本。
もう片方の手で、伊藤の帽子を獲った。
山本は、獲った勢いのまま、前に駆け抜けていった。
田中は、上体を起こし、大きく息を吐いた。
そして、騎馬から降りた。
伊藤は、騎馬から降りたところで、立ちつくしている。
田中は歩み寄った。
前に立ち、手を出す。
固い笑みを浮かべながら、伊藤も、手を出してきた。
田中は、その手を掴み、体を引き寄せ、抱きしめた。




