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懐かしい。
田中は、感慨にふけりながら、
体育館の裏で、泣いている息子の頭に手を置いた。
俺も、ここで泣いてたな。
今から20年以上も昔の話だ。
騎馬戦のプロリーグが、発足したばかりの頃だった。
田中は、息子と同じく、体育祭で騎馬戦の大将をやった。
人数を集めるのに苦労した。
携帯などない時代だったから、
参加を迷っている人の、自宅に電話をかけて、説得を試みた事もある。
騎馬戦のルールは、あの時代からあまり変わっていない。
しかし、騎馬の数え方は変わった。
昔は、1組2組と言っていた。
今は、1騎2騎と言っている。
自分が子どもを持つなんて、想像もしなかった。
親を殺したいほど憎んだ時期があると、子どもを持つことが怖くなる。
いつか自分も、あれほど憎まれる時が来るのか、と思うからだ。
縁とは不思議なものだ。
息子は、騎馬戦を楽しんでやっているように見える。
それは田中にとって救いだった。
何かを強制的にやらせた先にあるのは、
死にたくなるような辛さと、
その辛さを消化しようと、意識的あるいは無意識的に、
他人を傷つけたり、自分を虐めたりするようになる。
それでも、
自分ができなかったことを、
子どもに託してしまう、やらせてしまう、
というのが、親というものなのだろう。
田中は、子ども自身が選んで好きなことをやる、
というのをやらせたかった。
笑顔でやってほしかった。
だから、息子が興味が持ち、
やりたいと言ったものは、色々やらせた。
その結果、続いているのが、
田中がやらされていた騎馬戦というのは、
少し皮肉だった。
田中の父、息子からみて祖父だが、その影響もあるかもしれない。
息子が小さい頃、よく面倒を見てもらっていた。
父は、ずいぶん丸くなった。
父が、あれだけ騎馬戦に入れ込んでいたのは、
心の中に、のめり込むことでしか癒せない何かが、あったからだろう。
それは、この歳になったら、なんとなく理解できた。
田中は、息子から手を離し、体育館裏を後にした。
グラウンドに戻る途中、生徒に声をかけられた。
「先生たちって意外と動けるんだね」
「そうだろ?まあ俺は、おぶってもらってただけだけどな」
田中は、笑いながらそう言った。
そして、二言三言、冗談を言い合った後、生徒と別れた。
田中は、強い決意があって、教師になったわけではなかった。
数学で飯が食えるほど、頭が良くなかった。
大学の単位を取っていく中で、なんとなく教員免許を取った。
大学を卒業する時が、いわゆる就職氷河期で、民間は厳しそうだった。
だから教師になった。
教師は、授業だけすればいいわけではない。
部活動や進路指導、学校行事など、仕事は多岐にわたる。
さらに、問題とされる生徒の対応も、しなければならない。
いじめを繰り返す生徒がいた。
その生徒と、何度も何度も、話し合いを重ねた。
ある時、ふと、見えてくるものがあった。
他人を傷つけることで自己表現をしている。
いや、他人を傷つけることでしか、自分を表現できない。
愛してくれ。
自分をもっと見てくれ。
生徒の行動は、そう言っているように見えた。
その生徒の親と話をした。
なぜ、生徒が暴力や暴言に頼るのか、わかった気がした。
田中が何を話しても、
学校がどうにかしろ、と責任を放棄し、
言われなくてもわかってる、と耳を塞ぎ、
こんなにやっているのに、と辛さを嘆く。
どんな話をしても、自分のことしか返ってこない。
小さい子どもと接している気分になった。
不登校の生徒がいた。
生徒の家を、何度も何度も訪ね、ようやく会えるようになった。
会話はない。
しかし、向き合っていると、見えてくるものがあった。
話さないのではない。
話せないのだ。
話したい。
わかってほしい。
心の奥で、そう叫んでいるように見えた。
その生徒の親と話をした。
なぜ、生徒が唇をぎゅっと結ぶのか、わかった気がした。
口では、
健康であればいい、
好きなように生きればいい、
と言っている。
しかし、心の底では、
他人より、少しでもいい成績を獲ることを、
他人より、少しでも優れた人間になることを、
期待し、願っている。
喉から手が出るほど欲している。
子どもは、その欺瞞を、
誰よりも敏感に感じ取っている。
それらの親子の間には、目には見えない心の断絶がある。
見ている風景が違う。
見たい景色が違う。
そのどうしようもない現実は、徐々に田中を蝕んだ。
親とは、なんなのか。
男と女が性行為をし、受精し、子どもを産めば、親にはなれる。
だがそれで、親が親たり得るかは、別の話だ。
親たり得ないやつが多すぎる。
子どもを、自分の道具だと、
子どもを、自分の作品だと、勘違いしている。
子どもを、子どもとして見ていない。
見ることができない。
田中は、憤りで、頭がおかしくなりそうになった。
心が病みそうになった。
悩みながらも仕事を続けた。
親たり得ないやつもいる。
世の中には、理解できないやつもいる。
そう自分に言い聞かせた。
そして、現実を受け入れることができるようになった。
だが、納得はしていない。
このままでいいとは、思っていない。
今は、教師という仕事に、使命のようなものを感じている。
心の声を聴いてもらえなかった子どもは、
自分を認めてもらえなかった子どもは、
自らを、深く暗い闇に、引きずり込む声が聴こえるようになる。
誰もお前を愛していない。
お前を愛してくれるやつなんていない。
どうせ上手くいかない。
何をやっても無駄だ。
目を閉じ、耳を塞いでも、その声から逃れることはできない。
どこまでも、いつまでも、つきまとってくる。
俺なら、その声との闘い方を教えられる。
いい会社の入り方も、難しい資格の取り方も、
効率的な仕事のやり方も、上手くお金を稼ぐ方法も、
そういったことは何も知らない。
だが、自分を殺してくる心の声との闘い方、かわし方、
折り合いのつけ方、付き合い方、
そういったことなら教えられる。アドバイスできる。
もちろん、限界はある。職分はある。
その中でどこまで出来るか。
それが、自分に課せられたものだ、と思っていた。
生徒のためにやっているわけではない。
自分のためにやっている。
救われなかった、過去の自分を救うためにやっている。
過去の自分に、かけてほしかった声、かけてほしかった言葉。
それを、同じようなことで苦しんでいる生徒に、かけることで、
自分の中の何かが癒されるのだ。
生徒に、自分を見ている。
泣いていた自分が、見えている。
だから他人事ではない。
自分事なのだ。
使命とは、そこから生まれるのだろう。
田中は、グラウンドの端に向かって歩いていた。
決勝が始まるまで、まだ少し時間がある。
多くはないが、保護者が見学に来ていた。
挨拶がてら、観に来て頂いたことへの感謝を伝えるつもりだった。
父がいた。
孫の姿を見に来たのだろう。
他の保護者と同じように、田中は丁寧に挨拶をした。
いろんな家庭を見て、思ったことがある。
やっぱり、自分の親はマシだった。
だがそれは、あくまでマシなだけであって、
騎馬戦をやらされた事の辛さが、なくなるわけではない。
軽くなるわけでもない。
辛さは、他人とは比べられない。
やらされた事で、田中の心は傷つき歪んだ。
そして、心は歪んだまま、折れ曲がったまま、
奇妙にくっつき、今の自分を形成している。
いじめられた過去、親から受けた仕打ち。
そういったものは、
時がたてば、勝手に忘れ去られ、解決されるものではない。
むしろ、目を背ければ背けるほど、
自分を歪ませた元凶として、
他のどんな思い出よりも、強く深く根ざすことになる。
忘れようとすればするほど、
追いすがって、絡みついてくる。
解決などできない。
だが、付き合っていくことはできる。
折り合っていくことはできる。
それは、記憶と向き合うことでしか生まれない。
田中は、もう父を恨んではいなかった。
だが、未だに苦手だ。
はっきり言って嫌いだ。
もちろん、家族の情はある。
しかし、合わないものは合わない。
理由を探ったり、原因を分析してみたりしたが、あまり意味はなかった。
もう嫌いでいいと思っている。
全ての人間を、好きになれるわけではない。
生理的に受け入れられない人間が、
たまたま自分の父親だった、というだけのことだ。
その気持ちが、たとえ世間とズレているものだとしても、
自分に、嘘をつくことはできない。
必ずしも、親を敬う必要はない。感謝する必要もない。
人に対する想いに、正しいも間違いもない。
ただそう思う、というのがあるだけだ。
それでも、考えてしまうことはある。
好きでいられたら、どれほどよかったか。どれだけ幸せだったか。
田中は、教師の待機場所に戻った。
パイプ椅子に座り、空を見上げた。
空は青く、澄み渡っている。
やっぱり自分も、息子に恨まれるのだろうか。
何がトラウマになるかはわからない。
どれだけ慎重に生きても、
父と同じように、自分の息子にトラウマを植え付け、
それで息子が死ぬほど苦しむかもしれない。
もしかしたら、自分の子どもではなく、
生徒たちや、他の誰かに、そういう思いをさせるかもしれない。
すでに、させているかもしれない。
自分も、誰かの毒になっている。
自分だけが、被害者ではない。
生きている限り、その螺旋から逃れられない。
起きているかわからない事を、
起きるかどうかわからない事を、悩んでも仕方がない。
何かが起きたら、
起こりそうだと思ったら、その都度考え、対処する。
それしか、俺にできることはない。
大きい足音が、聞こえてきた。
同僚が、田中の前の椅子に座る。
田中は、がっちりしたその背中に、声をかけた。
「いよいよ新旧『聖人』対決だな」
「うるせえわ」
山本は振り向き、照れ笑いをしながら、そう言った。
山本は、田中の同級生で、
高校生の頃は、『聖人』と呼ばれていた。
体育教師になったのは知っていた。
ここに異動すると聞いた時は、驚いたが、とても嬉しかった。
昔は、山本に、騎馬戦が上手い人に、声をかけることができなかった。
今は、普通に話すことができる。
生徒と向き合うには、自分の弱さをさらけ出す必要がある。
田中は、騎馬戦をやらされていたことを、
騎馬戦に対する屈折した思いを、生徒に話した。
いろんな生徒に、その話をした。
話すたびに、
トラウマとして心に刻み込まれていた、その記憶は、
己の不甲斐なさと醜さを突きつけてくる、その記憶は、
少しずつ、ただの過去となっていった。
少しずつ、思い出となっていった。
そして、許せるようになった。
声をかけることができなかった自分を、
情けなく、卑屈で、どうしようもない自分を、許せるようになった。
愛おしいとさえ、思えるようになった。
それも自分だと、それこそが自分だと。
自分の弱さをさらけ出せば、生徒も弱さを教えてくれる。
自分の弱さを受け入れられれば、生徒の弱さも受け入れられる。
だから、染み込むように理解できた。
騎馬戦が上手い人も、完璧ではない。
騎馬戦が上手い人にも、悩みがある。弱さがある。
そんな当たり前のこと、
だが、田中にとっては、何よりも理解するのが難しかったこと、
それを、心に染み込ませることができた。
そして、同窓会で、普通に話せるようになった。
今では、騎馬戦の上手い下手を、
なぜあんなに意識していたのか、あまり思い出せないほどだ。
田中は、体育祭が始まる前、久しぶりに昔のノートを見返した。
高校生の時、体育祭の騎馬戦のために作ったノート。
それを見ると、懐かしさと同時に、切ない痛みが走る。
ひたむきだった。
何かになろうと、もがいていた。
その様子が、言葉の端々から伝わってくる。
あれほどひたむきには、もうなれないだろう。
今の田中に、ノートは必要なかった。
何かに、書きとめる必要はない。
大体の戦力や様々な想定は、頭の中に入れている。
入っていないものも、ある。
頭に残らないということは、要らないということだ。
田中は、自分の身体が考えることを、感じることを、信じていた。




