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騎馬戦  作者: kyomukan
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10

懐かしい。

田中は、感慨にふけりながら、

体育館の裏で、泣いている息子の頭に手を置いた。


俺も、ここで泣いてたな。

今から20年以上も昔の話だ。

騎馬戦のプロリーグが、発足したばかりの頃だった。


田中は、息子と同じく、体育祭で騎馬戦の大将をやった。

人数を集めるのに苦労した。

携帯などない時代だったから、

参加を迷っている人の、自宅に電話をかけて、説得を試みた事もある。


騎馬戦のルールは、あの時代からあまり変わっていない。

しかし、騎馬の数え方は変わった。

昔は、1組2組と言っていた。

今は、1騎2騎と言っている。


自分が子どもを持つなんて、想像もしなかった。

親を殺したいほど憎んだ時期があると、子どもを持つことが怖くなる。

いつか自分も、あれほど憎まれる時が来るのか、と思うからだ。


縁とは不思議なものだ。


息子は、騎馬戦を楽しんでやっているように見える。

それは田中にとって救いだった。


何かを強制的にやらせた先にあるのは、

死にたくなるような辛さと、

その辛さを消化しようと、意識的あるいは無意識的に、

他人を傷つけたり、自分を虐めたりするようになる。


それでも、

自分ができなかったことを、

子どもに託してしまう、やらせてしまう、

というのが、親というものなのだろう。



田中は、子ども自身が選んで好きなことをやる、

というのをやらせたかった。


笑顔でやってほしかった。


だから、息子が興味が持ち、

やりたいと言ったものは、色々やらせた。


その結果、続いているのが、

田中がやらされていた騎馬戦というのは、

少し皮肉だった。


田中の父、息子からみて祖父だが、その影響もあるかもしれない。

息子が小さい頃、よく面倒を見てもらっていた。


父は、ずいぶん丸くなった。


父が、あれだけ騎馬戦に入れ込んでいたのは、

心の中に、のめり込むことでしか癒せない何かが、あったからだろう。

それは、この歳になったら、なんとなく理解できた。


田中は、息子から手を離し、体育館裏を後にした。


グラウンドに戻る途中、生徒に声をかけられた。

「先生たちって意外と動けるんだね」

「そうだろ?まあ俺は、おぶってもらってただけだけどな」

田中は、笑いながらそう言った。

そして、二言三言、冗談を言い合った後、生徒と別れた。


田中は、強い決意があって、教師になったわけではなかった。


数学で飯が食えるほど、頭が良くなかった。

大学の単位を取っていく中で、なんとなく教員免許を取った。

大学を卒業する時が、いわゆる就職氷河期で、民間は厳しそうだった。


だから教師になった。



教師は、授業だけすればいいわけではない。

部活動や進路指導、学校行事など、仕事は多岐にわたる。

さらに、問題とされる生徒の対応も、しなければならない。


いじめを繰り返す生徒がいた。

その生徒と、何度も何度も、話し合いを重ねた。

ある時、ふと、見えてくるものがあった。


他人を傷つけることで自己表現をしている。

いや、他人を傷つけることでしか、自分を表現できない。


愛してくれ。

自分をもっと見てくれ。

生徒の行動は、そう言っているように見えた。


その生徒の親と話をした。

なぜ、生徒が暴力や暴言に頼るのか、わかった気がした。


田中が何を話しても、

学校がどうにかしろ、と責任を放棄し、

言われなくてもわかってる、と耳を塞ぎ、

こんなにやっているのに、と辛さを嘆く。


どんな話をしても、自分のことしか返ってこない。

小さい子どもと接している気分になった。


不登校の生徒がいた。

生徒の家を、何度も何度も訪ね、ようやく会えるようになった。

会話はない。

しかし、向き合っていると、見えてくるものがあった。


話さないのではない。

話せないのだ。


話したい。

わかってほしい。

心の奥で、そう叫んでいるように見えた。


その生徒の親と話をした。

なぜ、生徒が唇をぎゅっと結ぶのか、わかった気がした。


口では、

健康であればいい、

好きなように生きればいい、

と言っている。


しかし、心の底では、

他人より、少しでもいい成績を獲ることを、

他人より、少しでも優れた人間になることを、

期待し、願っている。


喉から手が出るほど欲している。


子どもは、その欺瞞を、

誰よりも敏感に感じ取っている。


それらの親子の間には、目には見えない心の断絶がある。


見ている風景が違う。

見たい景色が違う。


そのどうしようもない現実は、徐々に田中を蝕んだ。


親とは、なんなのか。

男と女が性行為をし、受精し、子どもを産めば、親にはなれる。

だがそれで、親が親たり得るかは、別の話だ。


親たり得ないやつが多すぎる。


子どもを、自分の道具だと、

子どもを、自分の作品だと、勘違いしている。


子どもを、子どもとして見ていない。

見ることができない。



田中は、憤りで、頭がおかしくなりそうになった。

心が病みそうになった。


悩みながらも仕事を続けた。


親たり得ないやつもいる。

世の中には、理解できないやつもいる。

そう自分に言い聞かせた。


そして、現実を受け入れることができるようになった。


だが、納得はしていない。

このままでいいとは、思っていない。


今は、教師という仕事に、使命のようなものを感じている。


心の声を聴いてもらえなかった子どもは、

自分を認めてもらえなかった子どもは、

自らを、深く暗い闇に、引きずり込む声が聴こえるようになる。


誰もお前を愛していない。

お前を愛してくれるやつなんていない。

どうせ上手くいかない。

何をやっても無駄だ。


目を閉じ、耳を塞いでも、その声から逃れることはできない。

どこまでも、いつまでも、つきまとってくる。


俺なら、その声との闘い方を教えられる。


いい会社の入り方も、難しい資格の取り方も、

効率的な仕事のやり方も、上手くお金を稼ぐ方法も、

そういったことは何も知らない。


だが、自分を殺してくる心の声との闘い方、かわし方、

折り合いのつけ方、付き合い方、

そういったことなら教えられる。アドバイスできる。


もちろん、限界はある。職分はある。

その中でどこまで出来るか。

それが、自分に課せられたものだ、と思っていた。


生徒のためにやっているわけではない。


自分のためにやっている。

救われなかった、過去の自分を救うためにやっている。


過去の自分に、かけてほしかった声、かけてほしかった言葉。

それを、同じようなことで苦しんでいる生徒に、かけることで、

自分の中の何かが癒されるのだ。


生徒に、自分を見ている。

泣いていた自分が、見えている。

だから他人事ではない。

自分事なのだ。


使命とは、そこから生まれるのだろう。


田中は、グラウンドの端に向かって歩いていた。

決勝が始まるまで、まだ少し時間がある。

多くはないが、保護者が見学に来ていた。

挨拶がてら、観に来て頂いたことへの感謝を伝えるつもりだった。


父がいた。

孫の姿を見に来たのだろう。

他の保護者と同じように、田中は丁寧に挨拶をした。


いろんな家庭を見て、思ったことがある。


やっぱり、自分の親はマシだった。

だがそれは、あくまでマシなだけであって、

騎馬戦をやらされた事の辛さが、なくなるわけではない。

軽くなるわけでもない。


辛さは、他人とは比べられない。


やらされた事で、田中の心は傷つき歪んだ。

そして、心は歪んだまま、折れ曲がったまま、

奇妙にくっつき、今の自分を形成している。


いじめられた過去、親から受けた仕打ち。

そういったものは、

時がたてば、勝手に忘れ去られ、解決されるものではない。


むしろ、目を背ければ背けるほど、

自分を歪ませた元凶として、

他のどんな思い出よりも、強く深く根ざすことになる。


忘れようとすればするほど、

追いすがって、絡みついてくる。


解決などできない。

だが、付き合っていくことはできる。

折り合っていくことはできる。

それは、記憶と向き合うことでしか生まれない。


田中は、もう父を恨んではいなかった。


だが、未だに苦手だ。

はっきり言って嫌いだ。

もちろん、家族の情はある。

しかし、合わないものは合わない。


理由を探ったり、原因を分析してみたりしたが、あまり意味はなかった。

もう嫌いでいいと思っている。

全ての人間を、好きになれるわけではない。


生理的に受け入れられない人間が、

たまたま自分の父親だった、というだけのことだ。


その気持ちが、たとえ世間とズレているものだとしても、

自分に、嘘をつくことはできない。


必ずしも、親を敬う必要はない。感謝する必要もない。

人に対する想いに、正しいも間違いもない。


ただそう思う、というのがあるだけだ。


それでも、考えてしまうことはある。

好きでいられたら、どれほどよかったか。どれだけ幸せだったか。


田中は、教師の待機場所に戻った。


パイプ椅子に座り、空を見上げた。

空は青く、澄み渡っている。


やっぱり自分も、息子に恨まれるのだろうか。


何がトラウマになるかはわからない。

どれだけ慎重に生きても、

父と同じように、自分の息子にトラウマを植え付け、

それで息子が死ぬほど苦しむかもしれない。


もしかしたら、自分の子どもではなく、

生徒たちや、他の誰かに、そういう思いをさせるかもしれない。

すでに、させているかもしれない。


自分も、誰かの毒になっている。

自分だけが、被害者ではない。


生きている限り、その螺旋から逃れられない。


起きているかわからない事を、

起きるかどうかわからない事を、悩んでも仕方がない。

何かが起きたら、

起こりそうだと思ったら、その都度考え、対処する。


それしか、俺にできることはない。


大きい足音が、聞こえてきた。

同僚が、田中の前の椅子に座る。


田中は、がっちりしたその背中に、声をかけた。

「いよいよ新旧『聖人』対決だな」

「うるせえわ」

山本は振り向き、照れ笑いをしながら、そう言った。


山本は、田中の同級生で、

高校生の頃は、『聖人』と呼ばれていた。


体育教師になったのは知っていた。

ここに異動すると聞いた時は、驚いたが、とても嬉しかった。


昔は、山本に、騎馬戦が上手い人に、声をかけることができなかった。

今は、普通に話すことができる。


生徒と向き合うには、自分の弱さをさらけ出す必要がある。


田中は、騎馬戦をやらされていたことを、

騎馬戦に対する屈折した思いを、生徒に話した。

いろんな生徒に、その話をした。


話すたびに、

トラウマとして心に刻み込まれていた、その記憶は、

己の不甲斐なさと醜さを突きつけてくる、その記憶は、

少しずつ、ただの過去となっていった。

少しずつ、思い出となっていった。


そして、許せるようになった。


声をかけることができなかった自分を、

情けなく、卑屈で、どうしようもない自分を、許せるようになった。


愛おしいとさえ、思えるようになった。

それも自分だと、それこそが自分だと。



自分の弱さをさらけ出せば、生徒も弱さを教えてくれる。

自分の弱さを受け入れられれば、生徒の弱さも受け入れられる。


だから、染み込むように理解できた。


騎馬戦が上手い人も、完璧ではない。

騎馬戦が上手い人にも、悩みがある。弱さがある。


そんな当たり前のこと、

だが、田中にとっては、何よりも理解するのが難しかったこと、

それを、心に染み込ませることができた。


そして、同窓会で、普通に話せるようになった。


今では、騎馬戦の上手い下手を、

なぜあんなに意識していたのか、あまり思い出せないほどだ。


田中は、体育祭が始まる前、久しぶりに昔のノートを見返した。


高校生の時、体育祭の騎馬戦のために作ったノート。

それを見ると、懐かしさと同時に、切ない痛みが走る。


ひたむきだった。

何かになろうと、もがいていた。

その様子が、言葉の端々から伝わってくる。


あれほどひたむきには、もうなれないだろう。


今の田中に、ノートは必要なかった。

何かに、書きとめる必要はない。


大体の戦力や様々な想定は、頭の中に入れている。

入っていないものも、ある。

頭に残らないということは、要らないということだ。


田中は、自分の身体が考えることを、感じることを、信じていた。

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