第2話 ウサギ
ウサギと猫が健吾さんの心を救った。
そのことを説明する前に、巧の知り合いの話をしないといけない。
翼の城は戦闘訓練を様々な世界の戦士に施す以外の役目もあって、巧の知り合いはそこに関わっているのだそうな。
巧の知り合いは、ルエットという名の、僕が作ってアールが改良したあの術式を受け継いだ術者の三代目。役目を次の人に引き継いだ後に翼の城に移ってきて、翼の城の細々とした雑用を引き受けながら悠々自適の生活をしているのだという。
術式を引き継いで「月の王」になった者は、月の王になったときの姿をその後も保ち続け、そして長命になる。ルエットは二十歳で月の王になったそうで、見た目は若い。更に言うと童顔で、親しみやすい雰囲気なんだとか。翼の城に来た時に命を助けてくれた巧の紹介ということもあって、健吾さんは翼の城の戦闘訓練やアレクシスの代わりのお役目を果たす以外の時間はルエットがいる城の一角で過ごしていた。
でもルエットは自分の興味関心がないことにはとことん興味を払わない人で、逆に自分の興味があることにはとことんエネルギーを注ぐ人だった。そんなルエットの目下の関心は健吾さんの周りに飛び交っている妖精たちで、ルエットは健吾さんがいてもそっちのけで妖精にばかり話しかけていて、健吾さんはじきにルエットと会話を交わすのを諦めてしまったんだそうな。
巧が訪ねていったときにそんな様子が見えたので、巧は翼の城に行く度にルエットに、健吾さんの相手をするように言っていたらしい。けど、改善はされなかった。じゃあ、他の人と話せば?ってなるけど、それも難しい。各世界から遣わされた戦士の卵たちは乱暴者も多く、自分の息子の代わりに預かった健吾に何かあってはいけないから、と女王が交流を禁じたからだ。
これは仕方のないことだと僕も思う。アレクシスと健吾さんのトレードが起こる前に健吾さんに何かあったら、アレクシスは今いる僕らの世界から動けない。アレクシスが修行が嫌になったとしても逃げ出せないようにと、トレード相手との引き替え以外で修行先の世界からアレクシスが動けないよう、現在の月の王、つまりはアレクシスの父親がそのように術式を組んだからだ。
そんなわけで女王は、戦士としての訓練とかアレクシスの代わりの任務に当たらせているという点以外では健吾さんを手厚く保護していた。他者との交流制限もその一つで、結果、健吾さんはルエットか時々訪ねていく巧としか話せない状況になってしまい、過酷な戦闘でくたびれた心を癒す方法がなく、すさんでいっていた。
これはまずいなと巧は思っていた。健吾さんの心が壊れ始めているのではと思って観察し、健吾さんの目から光が消え、これはいよいよ精神に限界が来ているのではと思った頃に、さっき言った、ウサギと猫の登場となった。
きっかけは、ルエットの提案だった。
ルエットは他人に注意を払ったりはしないけど、初代「月の王」だった巧のことは敬意を払っていて、その巧の頼みだからと健吾のことを一応は気に掛けることにしたらしい。でも、自身が目的のない会話をするのはルエットは苦手で、じゃあ他の誰かにやってもらおう、と考えた。そこで、ルエットは健吾さんを城の一角に案内した。
以下は、巧が健吾さんからきいた話だ。
その頃、健吾さんは本当に参っていた。
翼の城は無駄がない。あらゆるものは、戦闘技術の訓練のためにある。生物も例外ではなく、生きて動いているものは、人間か人外の戦士か、戦闘訓練用の魔物か。人間は皆大人だし、愛玩動物はいないし。虫の一匹も存在しない。
見えるものは石の壁、床、天井。城のところどころにある窓から見える景色はひたすら砂漠で、そのどれも、毎日毎日かわりばえがしない。
でも一番こたえるのは、戦闘訓練で死んだ筈の人間が翌日には生き返ったり、訓練で失った筈の腕が翌日には元に戻っていたりすること。健吾さんの常識ではあり得ないことが毎日目の前で起きて、健吾さんは自分がおかしくなっていくのを感じていたそうだ。
そんなある日、健吾さんはルエットにとある城の一角に案内された。そこには小さな庭があり、空も見えて、初めて息をつけると健吾さんは感じた。戦闘訓練の血生臭さと無縁で、元いた世界と同じような日常がある、と思ったんだって。庭にはクローバーがどこまでも生えていて、その奥には野バラが茂っていた。
健吾さんが久しぶりに見た緑溢れる光景だった。
もともと、そこもルエットが管理をしている場所で、彼が引き受けた役目を果たすための場でもあったのだけど、ルエット自身からするとそこはただの作業場であって、そんなに面白くもないだろうと思い、健吾さんを案内しなかったらしい。
でも、健吾さんはその場所を見て明らかに表情が生き生きとした。
ルエットはそんな健吾さんに言った。
「ここは、様々な世界の様々な歪みで障りが出てそれぞれの世界から弾き飛ばされた魂が辿りつく場所なんだよ。ただ、たどり着いただけでは形をとることができなくて、誰かが働きかけてあげる必要があるんだけど」
「世界から弾き飛ばされた……?」
「そう。そういうことがあるんだ。その世界全体の整合性がとれなくなって、歪みがおきて、その余波でその世界にあったモノがその世界から弾かれるってことがね。それがある一定以上の自我を保っていたら、自我を保ったまま他の世界に流れ着くんだよ。とは言え、ここに辿り着くのは希有だな。世界から弾かれる存在はそれなりの数がいるけど、他にももっと行きやすい場所はあるからね」
「僕も、そういうのと同じ理屈でここに来たの?」
「キミは違うよ。キミは体ごと呼ばれてきたんだから。で、魂だけで流れてきたモノたちは、世界から弾かれた衝撃で形を失っていたりするから、誰かが手助けしてあげないといけない。できたらキミにその役目を手伝ってもらいたいんだけど。今いる子たちについては、妖精たちがキミにならできるって言っているんだよね」
野バラの枝の間にはところどころ穴のように黒く開いたところがあり、ルエットはそのうちの一つ、地面すれすれにあいている穴の前で立ち止まった。
「この穴の中にいるんだ。他の世界から弾かれた魂。ここと、あそこ」
ルエットは自分たちの目線より少し高い場所に開いている穴を指し示す。
「ここにそれぞれ一体、いるんだ。キミに引っ張り出してもらいたいんだけど」
すると、妖精たちも瞬きながら言った。
これはあなたにしかできないことよ?
健吾さんはゆっくりと妖精たちを見渡した。妖精たちはきらめきながら野バラの茂みの穴の前に集まった。
やれるよ。大丈夫よ。
怖くないよ。大丈夫よ。
言われて、とりあえず健吾さんはルエットが最初に示した地面すれすれの高さにある穴の前にひざまづき、少し中を覗きこんでみた。暗すぎて、何も見えない。けど、妖精たちが健吾さんの耳元で囁く。
まだ形になってないんだよ。
もうちょっとなんだけど、まだ形になっていないんだよ。
「形になってない?」
健吾さんは妖精たちに訊き返した。妖精たちは瞬きながら言う。
まだ形をとれるようになっていないの。でも、大丈夫。歌を歌ってあげたらいいよ。
穴の中の子が知ってる歌とか。
「でも、この穴の中のモノがどんな歌を知ってるかなんて、僕にはわからないよ?」
すると、妖精たちがざわめくように言った。
歌なら、教えてあげるよ。
そうだよ、歌えるよ。
歌えるよ。
そうして、妖精たちは歌い出した。それぞれが別な歌を。
健吾さんは耳をすましてきいてみて、それらの歌がすべて日本の歌であることに気が付いた。ジャンルは、童謡、ポップス、アニメソングなど、それなりに種類がある。
「もしかして、この中にいるのは日本人なの?」
すると、妖精たちは答えた。
あなたと同じところからきた子だよ。
でも時間は違うよ。
うんうん、ちょっと後からだね。
あなたは呼ばれてきたけど、この子はせかいの波にのまれて流されて来たんだよ。
全然ちがうよ。
妖精たちの言うことを理解しきったわけではなかったけど、妖精たちが歌っていたうちの一曲をとりあえず健吾さんは歌いだした。もう何年も前、祖母がよく歌っていた曲だ。
野バラの枝の間にあいた穴の中を見つめながら、夕焼け小焼けの、と健吾が歌い出すと、穴の中の闇がぎゅっと少し奥に縮こまったように見えた。
健吾さんが歌い終えると、妖精たちがわらわらと寄ってきた。
すごいよ、形になったよ!
なったよ、かわいいよ!
健吾さんが戸惑いながら妖精たちを見回していると、ルエットが言った。
「穴の中に手を突っ込んで、中から引っ張り出して」
健吾さんは言われた通りにした。そして中から取り出したのは、
「ウサギ?」
そう、それが健吾さんの魂を救った存在のうちの片方だった。




