第8話 連環という道
「一人で支える必要は、もうありません」と、あの人は言った。
ティナを守ると誓った日から、翌週のことだった。塔の書斎で、ヴェルナー様は、いつもの携帯魔導書を開いて、わたしに一つの道を示してくれた。
連環共鳴、というのだそうだ。
「澱みは、無理に祓おうとしても祓えません。脅して絞り取った祈りが澱みを生むのと同じで、力ずくでは、かえって竜脈を傷つけてしまう。——けれど、多くの魔導師が、それぞれ自分の意思で魔力を差し出して、その共鳴を環のように繋いでいけば。時間はかかりますが、溜まった澱みを、少しずつ、解いていけるはずです」
「多くの……魔導師」
「ええ。あなた一人では、その環は組めません。これは、誰か一人が背負って成し遂げるような類のものではないのです」
その言葉に、わたしは、なぜだか、泣きたくなった。
一人では組めない。それは本来なら、できない、という意味のはずだった。けれど、わたしには、まるで違う意味に聞こえてしまった。——もう、一人で背負わなくていい。一人で削られて、一人で耐えて、一人で燃え尽きるのではない、ということ。
「……でも、わたしは、誰かに頼るということを、知らないのです」
気づけば、そう口にしていた。
「ずっと、わたしが我慢すれば済むのだと、わたしが差し出せば丸く収まるのだと、それだけを教わって生きてきました。だから、人に支えてもらうというのが、どういうことなのか……正直に申せば、こわいのです」
ヴェルナー様は、少しのあいだ黙ってから、静かに言った。
「こわくて、当然です。ですが、連環共鳴は、信じ合えない者どうしでは、決して繋がりません。脅しでも、義務でもなく、互いに、進んで差し出す心がなければ、環にはならない。——つまり、あなたが誰かを信じること、それ自体が、この道を拓く力になるのです」
わたしを縛りつづけてきた「差し出す」が、今度は、わたし自身の意思で、誰かと繋がるための力になる。その違いが、わたしには、まぶしかった。
ただ、とヴェルナー様は、付け加えた。連環共鳴は、ただ人を集めればいいというものではない。竜脈と律動の合う者でなければ環には加われないし、無理に頭数だけ揃えても、ひとりでも恐れや迷いが混じれば、その共鳴は、たちまち澱んで崩れてしまう。
「進んで手を貸してくれる、信のおける魔導師を、一人ずつ探すしかありません。——気の長い話です」
頭数ではなく、心の合う者を。それは、誰かに命じて魔力を奪わせてきたこの国の流儀とは、何もかもが、逆のやり方だった。
けれど、その道には、最初の関門があった。
連環共鳴には、ヴェスリアの魔導師たちの協力が要る。その許しを得るために、わたしたちは、謁見の間で、陛下に願い出た。
陛下の答えは、にべもなかった。
「ならぬ。竜冠の祈りは、我が国の神事である。それを、よその国の魔導師に委ねるなど、王家の沽券に関わる。——供物が嫌なら、新しい御子に代わればよい。話は、それで済むことだ」
「陛下」
わたしは、引き下がらなかった。
「その『済む』のために、これまで何人の御子が、あの祭壇で燃え尽きてきたのでしょうか。そして、強いられた祈りが澱みを生み、その澱みが結界を弱めてきたのだとしたら……済むどころか、この国は、ゆっくりと、自らの首を絞めつづけてきたことになります」
陛下の目に、ぎらりと怒りが走った。けれど、その奥で、隠しきれない恐れが揺れているのも、わたしには見えた。供物がなければ、王家には、結界を保つ術が、何ひとつ無い。それを誰よりもよく知っているのは、ほかならぬ陛下自身なのだ。
わたしが言い返したことに気色ばむ陛下の傍らで、玉座のそばに控えていた王太子レアンドロ殿下が、かすかに眉を曇らせた。父である陛下の、かたくなな横顔を、何か言いたげに見つめている。けれど、その口は、まだ開かれることはなかった。
その夜、わたしとヴェルナー様は、祭壇で、二人だけの小さな共鳴を試みた。連環共鳴に挑む前に、澱みがどれほど深いのかを、確かめておくために。
銀と藍の光が、また、そっと撚り合わさっていく。竜脈の底の澱みは、想像していたよりも、ずっと重かった。ほんの少し触れただけで、わたしの息は上がり、指の先から、すうっと冷たくなっていく。それでも、彼の魔力は、あの危機の夜のような激しさではなく、ただ静かに、わたしの傍らに寄り添うように流れていた。消耗のさなかでも、その律動がすぐ隣にあることが、奇妙なほど、心強い。
「……まだ、大丈夫です」
そう言ったのに、ヴェルナー様は、ふっと共鳴の手を解いてしまった。
「いいえ。大丈夫では、ありません」
「でも——」
「あなたの『大丈夫』は、あてになりません。顔色が、もう白い。今夜は、ここまでにしましょう」
有無を言わさぬ口ぶりだった。それでいて、その手つきは、どこまでも、やさしかった。
塔の一室に戻ると、マレナが、焼き林檎を用意してくれていた。割れた皮のあいだから、黒蜜が、とろりとあふれている。あれほど疲れきっていたはずなのに、わたしは、ひと匙すくって口に運んで——その温かさと甘さに、つい、ため息がこぼれてしまった。
削られるばかりだった日々には、こんな夜は、一度もなかった。温かいものを、誰かが、わたしのために用意してくれている夜。たったそれだけのことが、こんなにも胸を満たすものだったなんて、わたしは、知らなかった。
向かいに腰を下ろしたヴェルナー様が、そんなわたしを、静かに見ていた。
「……リーディア」
ふいに、その人が、わたしの名を呼んだ。
ファルネーゼ嬢でも、御子でもなく、ただ、リーディア、と。
誰にも名で呼ばれることなく生きてきたわたしの名を、その人が、はじめて、そんなふうに呼んだ。ただ名前を呼ばれただけのことなのに、心臓が、とくん、と跳ねて、頬が、じわりと熱くなる。
「あなたは、その……」
ヴェルナー様は、何かを言いかけて、それから、めずらしく、言葉に詰まった。いつもの観測めいた口調も、どこかへ行ってしまっていて、ただ、わたしの目を見て、もう一度、口を開きかけて——。
「……夜更かしは、魔力の質を落とします。今夜は、もう、お休みください」
結局、その人は、そう言って、ぎこちなく、目を逸らしてしまった。
言いかけた言葉を、あの人は、また、飲み込んでしまった。
それが何だったのか、わたしには、わからない。わからないのに——わたしは、聞きたかった、と思ってしまった。最後まで、聞いていたかった、と。供物だったわたしに、誰かの言葉の続きを欲しがる資格など、ないはずだったのに。それでも、欲しいと願ってしまう自分が、たしかに、いた。
胸の奥で、わたしは、その人の名前を、そっと呼んでみる。
ヴェルナー様。——いいえ。ヴェルナー、と。
様をつけずに呼んでみたその名は、不思議なほど、しっくりと、わたしの胸に馴染んでしまって。わたしは、その甘さに、自分でも、うろたえてしまった。




