取り引き
「ごめんなさい」
高橋がそう言った。
「何が? 俺は高橋に助けてもらったんだぜ」
「……」
高橋は首を横に振って、俯いた。
「ごめんなさい」
いきなり、俺は抱き寄せられた。
高橋の胸が、左の耳に当たる。
そばに居るだけで高ぶっている気持ちが、さらに上昇して、頭が変になりそうだった。
一方で、俺の中の賢者が、高橋の行動を裏を読もうとしていた。
例えば、さっきの高橋の話は作り話で、依田を嵌める為、あの場所におびき寄せたのだとしたら?
とっさに車へGPSをつけたのではなく、このことを見越して俺のバッグに初めからGPS機器を仕込んでいたのかもしれない……
いや、考えるまい。
どっちが真実だとしても、依田の悪事を一つ暴き、松田のように自殺で片付けられている生徒たちの死の真相に近づけるなら、それでいい。
高橋の胸に抱かれるなら、それで。
「!」
急に高橋は俺を押し出すように突き放した。
人の気配に振り向くと、スーツを着た中年男性が近づいてくる。
その男の人は、軽く手を上げると言った。
「君、住山くんだよね。湾岸署の井上です。状況を教えてもらえないかな」
俺は立ちあがろうとすると、井上さんが抑えるような仕草をした。
改めて長椅子に腰掛けると、高橋がいないことに気づいた。
「どうしたの? 誰かいた?」
「……」
まるで井上さんの目には高橋が見えてなかったような感じだった。
俺は彼女が言った『忍者』というものを信じたくなった。
警察の井上さんに、俺が感じたことをそのまま伝えた。
袋を被せられていたので、見えたものではなく匂いだったり、聞こえたことから推測したものだと言った。
「なぜ依田先生が、俺が連れ去られた駐車場にやってきたか。これは明確な犯人フラグだと思うんです」
「ハハ。犯人フラグねぇ…… それは別にして、松田くんだっけ。それと、君のいう数件の自殺に何か関連性がないか、調べてみるよ」
「ありがとうございます」
俺は頭を下げた。
井上さんの車で、近くの駅まで送ってもらうと、俺は電車で自宅へ戻った。
翌朝。
顔中に絆創膏をつけた状態で、俺は登校した。
教室に入る前に佐川に呼び止められ、学校の応接室に入った。
向かい合わせのソファーに座ると、佐川から口を開いた。
「酷いめにあったみたいだな。痛むか?」
俺に目をつけている先生と同じ部屋にいるのは、少し気が引けた。
「夜中は痛かったですが、絆創膏を貼り替えて以降、痛みはおさまりました」
「依田先生だけどね、ちょっといろいろあって本学を辞めることになりそうだ。それで勘弁してあげれないか」
「どういう意味ですか?」
「怪我した、と訴えないで欲しいんだ。実際、君も乱暴を受けたようだが、袋を被せられていて、依田先生の暴力だったかは、はっきり見ていないというじゃないか」
「もちろん、学校としては依田先生の行為は許せない。だから、彼にはやめてもらう。君には、依田から暴力を振るわれた、というところを訴えないで欲しいんだ」
俺はそんなことをここで言ってのける佐川の精神に呆れた。
「見返りも用意がある。例えばだが、大学の推薦枠を用意している」
「取引するってことですか」
「大学も、そこらへんの二流じゃないぞ。場合によっては金より価値が」
俺は首を横に振った。
「断るのは構わないが、あまり調子に乗るなよ」
買収が無理なら恫喝か。
「監視カメラ映像から、お前が学校情報をハッキングしたと訴える」
「証拠は」
「そんなものは必要ない。お前が十分疑わしいだけでいいんだ。裁判の結果、学校が負けたとしても『学校データをハッキングした』という風評で被害を受けるのはお前であって、生徒を訴えた学校はなんの痛みもない」
前のめりだった佐川は、ソファーに背中を預けた。
「ゆっくり考えろ。こっちはお前を訴えたいわけじゃない。依田という男がした悪事を、学校と関わらせないで欲しいだけだ」
「特別教室が、学校側の指示じゃないと言いたいんですか」
「そうだ。白い塔の個別学習室の活用方法として、教員からアイディアを募った時、依田の意見が採用された。そして依田が中心となって『特別教室』のシステムが作られた」
佐川はその細い吊り目を、さらに細くして俺を見た。
「考えておいてくれ。損はないはずだ」
俺は立ち上がった。
「もう教室に戻ります」
俺は立ち上がると、佐川に会釈をして応接室を出た。
教室に向って廊下を歩いていると、数人の教師が俺をジロジロ見ていた。
俺の怪我を見て、何か言っているようだった。
昨日の事件が、どんな風に他の教員に伝わっているのか、気になった。
騒がしい教室の扉を開けると、一瞬、静まり返った。
入ってきたのが俺だ、と気づくと、話し声が戻る。
俺は席に着くと、高橋は正面を向いたまま、言った。
「昨夜のこと勘違いしないで」
「えっ?」
高橋は正面を向いたまま、俺に目を合わせようともしない。
何を勘違いするな、というのだ。抱きしめたこと? それとも高橋が俺に謝った意味?
俺は混乱していた。
扉が開き、担任が入ってきた。
再び教室が静まり返る。
「住山、鞄を持って応接室に」
俺は言われるまま担任の後についていく。
応接室が開くと、見かけないスーツの男性と佐川がいた。
「警察の方が、住山に話があるそうだ」
そう言うと、佐川は俺と入れ違いに出ていく。
そして俺の真横にきた時、小さい声で「頼むぞ」と言って応接室を出ていった。
「住山くん、昨日は大変だったね」
「ええ、でも、警察の皆さんのおかげで助かりました」
「学校を休んでいると思って、ご両親に連絡を取ったら、学校に行っているというから、びっくりしたよ。大抵、事件の後は学校を休むもんだが、やっぱり進学校は違うのかな」
俺は上から見られないよう体で隠しながらメモ帳に書いて、警察の人へ見せた。
『ここは録音、録画されています』
以前ハッキングして手に入れた情報から、学校の設備について一通り確認していた。応接室には、録画がバレないようピンホールカメラとマイクが天井に仕掛けられている。
「それじゃ署で話を聞こうか」
俺は頷く。
警察の人と応接を出ると、廊下にいた佐川が近づいてくる。
「どうなさいましたか?」
「確認したい人物もいるので署に同行いただくことになりました」
「……」
何も言わず佐川は横目で俺を睨みつける。
俺は佐川と目を合わせないように通路の床を見つめて言う。
「今日は欠席します」
「警察の方の話を聞いて、しっかり協力してください」
佐川の言葉が嘘っぽく浮いて聞こえた。
俺は警察の人の後について、学校を出た。
止めてあった車の後部座席に座ると、翔頭警察へと向かった。




