影武者
振り返ると、そこには朝、言葉を交わした職員が立っていた。
鼻の横に印象的なホクロのある職員だ。
「どうしたの?」
「朝、ここら辺をうろうろしていた時、ものを落としたみたいで」
「そう。それならしょうがないけど、一人で勝手に署のフロアを動き回るのはダメだな」
職員は近づいてくる。
「ここは事務フロアだけど警察内部なんだよね。機密だったり個人情報に値する資料もあったりするから、誰かついてないと」
「すみません」
「いや、最初にこのフロアに入れた人が良いって言ったんでしょ? そいつの意識が低すぎるんだよ」
ダメだ。万事休す、だ。
後ろから見られている状態で、机の下で作業したら、流石に『ヤバい』だろう。
とにかく、探すフリだけ続けよう。
俺は床に頬をつけて、机の下を見た。
机の下の下、そこに手を伸ばしてみたり、動かしてみたり下。
「どんなものを落としたの?」
「USBメモリくらいのサイズのアダプターなんですけどね」
ここは嘘をつけない。下手に手持ちのUSBメモリを取り出して、ありました、とかやると中をあらためられる可能性がある。
「?」
かなりの緊張状態にあるにも関わらず、俺の身体が反応した。
高橋が近くにいる、そんな気がした。
「どうしたの?」
「いえ、別に」
すると、事務フロアのカウンターの外に、高橋が現れた。
「住山? 何やってんの早くして」
「えっ?」
高橋は、さっき着替えて次の現場に行ったはずだ。
「私も探すの手伝っても良いですか?」
ホクロの職員は慌てて高橋に近づいていく。
「どうぞ、こちらから入ってください。あの、色紙あるので、サインいただけないですか?」
高橋は周りの職員をちらっとみて「良いですよ」と言った。
俺は机の下に潜り、作業を始めた。
「あった、あった、もう少し、手が届きそう……」
実際はLANポートからアダプタを外していた。
「やったあった、とれた」
立ち上がると、俺は『外した』アダプターをつまみ上げた。
「落ちてました。よかったこれで帰れます」
俺は『くさい』演技をしていたが、誰も気に止めていない。
フロアにいる職員の意識は、人気女優である『高橋』に向かっていたからだ。
俺と視線が合うと、高橋は、小さく親指を立ててみせた。
臨時のサイン会のような状態が終わると、俺は高橋を連れて控室に向かった。
同じ方を向いて歩きながら、俺は言った。
「ありがとう」
「ん?」
「助けてくれて」
控室の扉を開けようとすると、手を掴まれた。
廊下に誰もいないことを確認すると、高橋が言う。
「ちょっと待って、私、帰ったことになっているから」
「けど着替えないと。それ返さなきゃならないんだぜ。着替えるところはこの中しかないし……」
「えっ? 住山、私が『どっち』か、わかってるよね?」
俺は頷いた。
そう、俺は今の今まで、朝からいた『高橋』が『影武者』の高橋だと思っていた。
けれど、さっき事務フロアで近づいてきた高橋を感じて、確信した。
ここにいるのが『影武者の高橋』だ。
撮影のために先に帰ったのは『本物の高橋』。
影武者の高橋は、俺が通信盗聴器回収に苦労しているのを察知して、手伝ってくれたのだ。ただ、これまでの間、どこで何をしていたのかはわからないが……
「ごめんね。今は話せないの」
俺が言いたいことを先読みしたように高橋はそう言った。
そして、いきなり制服を脱ぎ始めた。
スカートから脱ごうとするので、俺は焦った。
「ちょ、ちょっと、そっちの端に寄って。俺は後ろ向いてるからさ」
「住山に着替えを見られたくはないけど、下に着てるからどこで脱いでも問題ないわ」
「なんだよ、それ」
俺が背中を向けないままに、スカートを脱ぎ終わった。
確かにスカートの下にスカートを履いているが、上に重ねていた制服を脱ぐ動作で、チラチラとふとともが見えた。上着を脱ぐ時などはめくれ上がって、おへそやお腹が見えた。
「ちょっと、後ろ向いてくれるんじゃないの?」
「ご、ごめん」
俺は高橋に背中を向けて、目を閉じた。
「もういいわよ」
目を開けると、押し付けるように制服を渡された。
服の上に着ていた服とはいえ、暖かくて、高橋の匂いが残っていた。俺は勝手に興奮していた。
「じゃあ、私はここで」
同時に、控室の扉が開いて、俺が扉を見た瞬間だった。
視線を戻した時には、高橋の姿を見失っていた。
「えっ……」
消えたと表現するのが適切なほどの一瞬だった。
開いた扉には、例のカラフルな髪のメイクさんが立っていて、俺を見つけた。
「住山くん!?」
「ああ、今戻りました」
「忘れ物って言ってたの、それ?」
俺は『通信盗聴器』のことを言うべきか考えたが、ここは曖昧に答えようと思った。
「ああ、まあ」
「よかった、今、制服が一着無いって、皆慌ててたのよ」
俺はそのまま控室に入った。
「住山くんが制服を持ってきたよ」
「それ、どこにあった?」
「いや、ちょっとそれは……」
俺は『高橋の影武者』が着ていたと話していいのか分からず、言いあぐねていた。
「とにかく、それ返さなきゃならないから」
「撤収予定すぎてるから、さっさと挨拶に行こう」
「住山くんも早く支度して」
撤収のドタバタに紛れたおかげで、制服がどこにあって、俺がどうやって見つけたかは、そのまま有耶無耶になった。
警察署から帰る道で、俺は気づいた。
「そうか、だから最初から制服を二着借りていたのか!」
誰もいない通りで、一人声を出した自分が情けなくなった。




