第十話
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ベンチに横たえられた恋音は、ゆっくりと目蓋を開いた。
そこには朝日が差し込む中庭に、安堵の表情を見せる袋井達の姿があった。
「袋井さん、私は?」
「大丈夫。もう何もない……平気だから」
言葉とは裏腹に恋音が見詰める袋井の表情は、明るいものとは言えなかった。
辺りを見回す恋音は、足りない何かにすぐ気がついていた。
「みんなは――子供たちは、どこですか?」
「ごめん、恋音。僕が不甲斐ないばっかりに、彼らはもう――」
「いや! 聞かない……そんなのないです……。袋井さんは約束したじゃないですか! みんな助けるって、救い出す方法を考えるって、言ったんですよね!?」
身を乗り出した恋音は、袋井に迫り必死に叫びを上げた。
袋井は何も言えず、顔を背けた。
「嘘です、そんなの……。そうだ、陽報館は! あそこがみんなの繋がりです! あそこにきっと!」
立ち上がり、陽報館のある丘へと顔を向けた恋音の顔色は、瞬間的に青くなった。
ゲート発生によって形を失った陽報館のあった場所は、見る影もなく煙を立てていた。
「何なんですか、これは……。一体、私がいない間に何があったんで言うんですか!?」
「恋音ちゃん。落ち着いて……。ちゃんと話すから――」
沈痛な面持ちの美月は、事態を掻い摘んで恋音に説明した。
袋井の身に起こった脅威は消滅したが、事態は決して良好とは言えなかった。
恋音は、こちらを見ようとしない袋井を、大きく開いた目で見続けた。
「そうだ、キスは! キスしましょう! もう、何でもいいです! 関係性を取り戻せれば、あの子達は戻ってくるんでしょ! そうしましょう!」
「お願い――待って恋音ちゃん。場合によっては、最悪の状況になるの。お願いだから、止めて……」
袋井に迫る恋音を、世那が引き止めた。
世那の目にも涙後が消えずに残っている。
「袋井の話だと、一度凌雅君に、すべての力が宿ったそうなの。曖昧な特異点だった彼らが、ひとつにまとまった。そんな凌雅君が、なぜ消えたのかわからないけど、私達の関係を曖昧にしていた天魔が消失した今、一人の人間が選択された場合、他の子供たちはもう――」
世那はそれ以上言わず、歯を強く食いしばった。
「だが、逆に言い換えれば、一人だけなら取り戻せるかもしれない。彼らは、未来が決まらないから曖昧であったわけで、ひとりに絞られれば、確定される。彼らがどうやって来たのかわからない。だが、やる価値はあるのではないかな?」
必要以上に無表情を作り続けている怠惰は、自分の考えがあまりに不確定要素が多いことを理解しながらも、どうしても捨てることが出来ずにいた。
「袋井君、君が決めろ。この4人の中で、誰が一番取り戻すのにふさわしいか。考えるんだ」
4人の視線は、袋井に集中した。
誰の顔も直視できない袋井は、震える指先を強く握りこんだ。
顔を上げ、その視線を一身に浴びた袋井は、恋音の方にだけ体を向けた。
「僕は、凌雅くんに謝りたいことがある。だから、恋音――僕は……」
「ちょっと待ってよ! 何よ、それ! そんな理由で決めるの! 玲那を――そんな理由であたしは玲那を失うの!」
取り乱して叫ぶ世那を、怠惰がその手を掴んで静止した。
「落ち着くんだ、土岐野君。これは、袋井君の選択なんだ」
「馬鹿なこと言わないでよ! あんただって、こんな事で律花ちゃんを失っていいの! あんたが一番子供を失いたくなかったんでしょ!」
「ああ、そうだよ! それの何が悪い! だが、決めるべきは袋井君だ! 彼には、私達を苦しめた責任を、その身を持って償って貰う必要がある!」
牙を向いた怠惰の顔は、まさに悪魔の表情であった。
袋井を睨みつけた怠惰の目は血走り、涙の一滴すらも出し切って乾いているようだった。
「早くして、袋井くん……。早く決めてくれないと、私もどうにかなりそう……」
美月は自らの身を掴んでしゃがみ込み、震えていた。
袋井は、その顔を見ないよう、その姿を捉えないように顔を背けたまま、恋音に歩み寄った。
「本気で、僕は君のことが好きだ。――望んでいる。その気持ちは確かだから……ごめん」
動けない恋音に口付けをした。
それはあまりに冷たく、望みとは違う口付けだった。
恋音は涙を流していた。
決して嬉しくはなかった。あの夜とは真逆の、胸に穴が開いたような虚しい気持ちしかなかった。
中庭の一箇所で小さな光が無数に集まってきていた。
光の粒子が繋がり合い、小さな人の形をなしたかと思うと、そこには見慣れた少年が姿を表した。
恋音は「ぁあ」と、言葉にならない声を上げ少年を泣きながら見ていた。
袋井と少年の視線が重なり合った瞬間、少年は髪を逆立て袋井を殴り飛ばしていた。
「お、お前! 何してんだよ! 分かってんのか! 言ったよな! 不幸になるんだ、助からないんだ! どうして、どうしてこんな事すんだよ! どうしてだよ!」
少年は――月乃宮凌雅は、馬乗りになって袋井を殴り続けた。
(このまま、凌雅に殺されるのなら、それもいいんだ。きっと……)
顔面にその拳を受けながら、袋井は一切抵抗をしなかった。
生きる意味を失った袋井にとって、それはある種ひとつの決意であった。
大きく振り上げた拳が袋井の顔に振り下ろされようとしたその時、凌雅の腕は何者かに掴まれ、止められた。
「ストップ。やり過ぎだよ。父親を殺すつもりなのかい、君は?」
逆光に照らされているはずの相手の顔が、凌雅にはっきりと見えたように思えた。
「夜人――なんで、お前がいるんだよ……」
凌雅は手を止めて、余裕で笑う夜人を見詰めた。
二人の頭上で、バサリと鳥の羽ばたくような音色が聞こえた。
「おおっ!」
「玲那!」
通り過ぎたふたつ影は、怠惰と世那に抱きついた。
それは、紛れもない律花と、玲那。その背には、確かに成長した巨大な羽根が生えていた。
「僕たちは勝ったんだよ。先生の望みどおりにね」
「どういうことだよ」
夜人は凌雅の呼びかけを無視して、恋音が横たえられていたベンチへと歩いて行った。
そこには、丸まった小さな布が置かれていた。
夜人はその中を覗き込み、微笑み返した。
「お初に、お目にかかります。ツキ先生」
夜人の微笑みに、その【赤子】は笑い声を上げた。




