第一話
1
「本当にやるつもりなのか、このコンテスト?」
中庭の外れに立てられた看板を見て、ルナジョーカーは呆れた顔をした。
開催予定地としてヒモで仕切られた一角には、『ラブコメ推進部主催 ベストカップルコンテスト』とデカデカと描かれている。
相変わらずの黒い装いのルナジョーカーだが、そんな彼ですら白けるほどの内容であった。
「正直、僕も『なんで?』とは、思ってるんだけどね……」
ルナの隣で肩を落とす袋井雅人は、ため息を吐いた。
いつものジャージ姿で、予備のメガネを使用している。この前割れたメガネは、まだ修理に出せていない。
「だったら、止めとけよ。馬鹿じゃねぇのか、お前?」
「いや、そうも行かないんだよ。いろいろ事情があって……」
うずくまりたくなる気持ちを抑え、更に深くため息をついた。
小祭と呼ばれる春のイベント。
非常に多くの部活を抱える久遠ヶ原学園が主催する、新参の部活やグループのお披露目を兼ねた、小さなお祭りである。
ラブコメ推進部にも、お祭りに参加する権利があり、部の知名度を上げるチャンスでもある。
だが、袋井ははじめっから参加するつもりはなかった。
その存在自体忘れていたし、自分の力が寄生された天魔のものであると知った時点で、知名度を上げることへの危険性を感じていた。
しかし、袋井達が暮らす陽報館には、知らぬ間に受理された小祭への参加許可証が送られてきていた。
申告制で、さらに抽選制のこのイベント。誰が申し込んでいたのか、疑問であった。
今なら、その人物はわかる。
土岐野世那だ。
彼女は、恋人の成立よりも、どちらかと言えば知名度を上げることに躍起に成っていた。
袋井の能力に薄々気付いていた世那は、その存在を広めることで行方知れずの妹にも話が届き、いずれ妹が接触してくるのでは、と考えていたのではないだろうか。
下妻によってもたらされた事情から察するに、その様に考えられる。
まさか、袋井の能力事態が、妹のものであるとは考えていなかったのだろう。
天魔が人間に寄生するなど、流石の彼女も考えに及ばなかったようだ。
「僕は、天魔に寄生されている」
勇気を持って、袋井が素直にそう話せば、事態は複雑にならずに済んでいたはずだった。
だが、袋井には未だその勇気はなく、口に出そうとして天魔がまた自分達の心を操るのではないか、という恐怖心に勝てずにいた。
「まあ、俺と黒葉が出る以上、優勝は決まってるけどな」
「ルナくんも出てくれるの!?」
「しょうがねぇだろ――暇なんだから。キャスリングは、小祭には参加できねぇし。やるからには、優勝狙うだろ、普通?」
いたずらっ子のように鼻下を擦るルナは、胸を張って言った。
袋井が手助けした数少ないカップルたちにも声をかけてはいるが、上々な返事は聞けていない。
天魔の事実を公表できず、世那や周りの目があるため、止めることもできない。
少しでものってくれる人物がいることは、有難いことであった。
「そういえば、黒葉に『その後の調子はどう?』みたいなことを、聞いてくれって言われたんだが、何の話だ?」
「ああ、それは――多分順調だよ。意味はあると思う。そう伝えておいて」
袋井は、小指に赤い紐が結び付けられた手をルナに振ってみせた。
一度千切れてしまった紐であったが、結び直すことで、元の効果を取り戻せている用に思えた。
あれ以来、天魔達の姿を見ることはないし、声を聞くこともない。どんなに集中しても恋愛線が見えなくなることはないが、肉体に変調を来すことなはなかった。
「おい、ちょっと待て。なんだ、その親しげな会話は? ハッキリ白状しろ!」
「ぐ、ぐるじぃ……」
ヘッドロックを掛けられた袋井はジタバタともがいた。
ランニングを続けていても、体力勝負では未だルナには勝てずにいた。
「おりょ? いたいた! 袋井くん、ルナくん、ひゃほー!」
予定地前で暴れている袋井とルナを見つけ、武田美月が手を振って走り寄ってきていた。
赤い髪のポニーテールを揺らし、爽やかでスポーティッシュなほほ笑みを送る少女。
その笑顔は、どこか子猫を思わせる愛らしさを持ち合わせ、くるくると変わる素直な表情は、自然と周囲を明るくさせた。
そんな彼女のファンは、本人の知らず所で増えていっている。
いつもの笑顔に癒される袋井であったが、その背後いる短い黒髪の少年に、小さな不安を感じた。
しわの寄らないスーツを着こむ少年は、走る美月とは対照的に緩やかな歩調で近づいてくる。微笑みを湛えて近づいて来ているのだが、その目は笑っておらず、静かな冷酷さを感じ取らせた。
「見つけたよ、袋井くん! ささ、二人共並んで並んで!」
美月は袋井を引っ張り、近づいて来ていた少年と並ばせた。
ぎこちない微笑みの袋井と、人工的な笑みを浮かべる少年が道端に並ぶ。
二人が並んだのを確認すると、美月はふところからスマートフォンを取り出し、カメラモードでパシャパシャと二人を撮りまくり始めた。
「えっと――」
「武田夜人ですよ。父さん」
少年は、袋井の意図を先読みし、穏やかな調子で答えた。
「ち、違うよ。君の名前は、わかってるって……。これは、何をしてるのかなって――」
「ああ、これは。母さんが、親子の記念写真を撮りたいとか言うものですから。無理だとは言ったんですけどね」
表情を変えず、夜人は正面を見据えたまま答えた。
何枚か撮り終えた所で、美月はスマートフォンの画面を見て「なんでぇ~」と呟き、不満気な表情をした。
「だから言ったでしょう、母さん。僕たちは、確定した存在じゃないから、今の記録には残らないんですよ。何度やっても同じ事なんです」
「ぶぅ~」
頬を膨らませた美月は、袋井しか映っていないスマートフォンのデータをポチポチと削除していった。
自分しか映っていない画像を問答無用に削除されていくのを見て、袋井は少なからず寂しい思いを感じた。
「画像に残らないだなんて、まるでドラキュラみたいだな。お前らは」
「そうですね。僕たちは、伝説上の存在なのかもしれませんね」
そばに寄ってきたルナに、夜人は顔を向け微笑みながら答えた。
まだ生え残る犬歯がちらりと見え、袋井は少年の凶行を思い出し、ゾッとした。
夜人が現れたあの晩。
ヒヒイロカネをちらつかせていた夜人は、淡い光を全身から発し、ヒヒイロカネから巨大な槍を召喚した。
槍を構え、まっすぐ垂直に突進した夜人の先には、戻ってきたばかりの凌雅が。
危険を察知し、袋井が割って入ろうとした時には、凌雅の体からも光が沸き立ち、目の前に大柄の盾が現れていた。
気付いて然るべきだった。袋井の子供たちもまた、アウルの素質を持つ撃退士だったのだ。
槍と盾がぶつかり合い、激しい金属音を立てるものと思われた瞬間――なぜか、ふたつの武具は、光の粒子になって消滅し、突進した夜人が凌雅と絡みあうようにして、床に転がっただけだった。
抱き合うようにして床に転がった凌雅は鬼の形相で夜人を睨みつけたが、対して夜人は酷く冷めた表情で、凌雅を見詰めていた。
驚くほど静かな表情をする夜人を見て、凌雅は毒気を抜かれ、身動きが取れなくなるほどであった。
「なるほどね」と、一人納得して呟く夜人は、組み伏せていた凌雅を離して立ち上がると、スーツのしわを伸ばし、周りを一瞥して微笑んでみせた。
「皆さん、驚かせて申し訳ありません。僕の名前は、武田夜人。そこにいる袋井雅人と武田美月の息子に当たります。僕たちは、少々複雑な事情を抱えておりまして、確認したいこと、調べたいことがありますので、子供たちだけで話し合いを設けたいと思います。よろしいでしょうか?」
事前に決めていたことを話すかのように、夜人は快活明瞭に宣言していた。
当の子供たちは、驚いた表情で夜人の顔を見詰めるだけで硬直したままだった。
夜人は、体ごと向きを変えるとあの人工的な微笑みで袋井を見詰めた。
その後、子供たちがどのような話をしたのかは、聞いていない。
だが、話し合いを終えた4人が4人とも、決して明るい表情をしていなかったことは覚えている。
「夜人くん。あの夜、君たちはどんな話をしたんだい?」
「さあ? それは僕が話したとしても、納得して貰えないと思います。凌雅くんとか、口の軽そうな律花ちゃんとか、そちらから聞いた方がいいと思いますよ」
袋井の考えをすべて察しているかのように、夜人は淡々と話す。
「まさかとは、思うけど。君が、凌雅くん達が話していた、ツキ先生じゃないよね?」
「なるほど。その考えは――大外れですね。実は、僕達もこの時代にいるはずのツキ先生を探しているんです。どこかにいるはずなのですが……」
顎に手を当て、夜人は深く悩むようなポーズを取った。
まさにそれはポーズで、真剣に悩んでいるようには袋井には見えなかった。
ツキ、と呼ばれる男――または女が、この出来事に深く関わっていることに今更ながら、袋井は痛感していた。
子供たち全員が生き残れる方法。
それを見出すためには、その人物の協力が必要であることは確実だと考えられた。
袋井もまた、夜人と同じようなポーズで頭を悩ませ始めていた所に、ルナが目を怪しく細めて、下から覗きこんできていた。
「おい、袋井。お前は結局、誰と出るつもりなんだよ?」
「ん? 何の話?」
「お前らの企画だろ? その主催者が、いつまでもグダグダとハッキリしないで、ベストカップルもねぇだろうが」
「ちょっ! 待ってくれよ! 僕たちは司会進行だし、参加も何もするつもりはないよ!」
「なに、ふざけたこと言ってんだよ。恋人候補が4人もいる上に、そのガキまでいるような奴が馬鹿なことぬかすなって。いいから、ここいらで、ビッシと決めろよ。そうじゃねぇと、何時まで経っても曖昧なままだぞ」
「いいんだよ、それで。今は、そうじゃなきゃ不味いんだって!」
「なめたことぬかしてんじゃねぇよ! お前だって、もてない男の悔しさや嫉妬は十分身に沁みて分かってるはずだろうが! 4人も女囲っておいて、いい気になってんじゃねえぞ!」
「うぐぐ……」
あまりにも痛い。
袋井には、分かり過ぎるほど身に沁みる思いに、返す言葉がない。
「開催前に、決めておけ! 俺が司会で、ラブコメ推進部の最強ベストカップルとして、大々的に発表してやる!」
ムンクの叫びのようにぐにゃんぐにゃんに歪み、絶叫する袋井。
子供たちを救い出す方法。
それを見つけるのに、もう後戻りしている暇はない。




