第八話
(連れてって…だと…?)
杏が呆れて言葉を探しているうちに、アオイはボストンバッグを先に座席へ放り込んでいた。ステップに足をかけ、グラブバーを掴み、勢いをつけて体を引き上げる。
「へー結構見晴らしいいのね」
シートに収まるなり、アオイはフロントガラスの向こうを眺めて言った。乗用車とはまるで違う、朝日が照らす道路が、ずっと先まで見渡せる目線の高さ。
「どしたん?」
杏はハンドルに腕を預けたまま尋ねた。
「センパイがさ、行ってこいって」
「…なんで?」
謹慎中のパイロットが、ヒッチハイク。しかも確信犯的な。どう考えても事情がある。
「べ、別にいーじゃん!ダメなの!?」
「はぁ…はいはい、ほら行くぞシートベルト忘れんな」
「はーい。トラックって結構席離れてるのね」
アオイはシートベルトを引き出しながら、運転席と助手席の間に横たわる距離を物珍しそうに眺めた。
「そりゃ大型だからなっと」
杏は慣れた手さばきでトラックを右折させる。空荷のトレーラーがゆっくりと道路をなぞっていくのを、アオイは窓に張り付いて見ていた。
ひとしきり車内の観察を終えたアオイの視線が、ダッシュボードの上で止まった。
「ねえこのガラクタ?なに?」
「ガラクタ言うな。これは俺のトラックのプレートだよ」
鉄板を叩き直したが、平らにはもう戻らない屋号。アオイはプレートを手に取った。
「【一番星】…?それともワンスター?」
「一番星で合ってるよ」
「なんで一番星?」
「なんでかな…パッと浮かんだんだ」
アオイはしばらく逆光にプレートをかざしてから、元あった場所へそっと戻した。少し傾いたので、杏は信号待ちの間にそっと指先で位置を直した。
♢
高速道路に乗ってからは、特に会話もなかった。
一定の間隔で流れるジョイントの通過音。流れていく防音壁。
アオイはショートパンツの後ろからスマホを取り出し、ずっと画面をいじっていた。杏は杏で、久しぶりの高速の感触を確かめるようにハンドルを握っていた。
どれくらい走った頃だろうか。
「ねえ」
「ん?」
「…魔法。使えるんでしょ…?」
スマホは膝の上に伏せられていた。アオイは前を向いたままだった。あの日の格納庫。警報に断ち切られた質問の続きだと杏は思い出した。
「なんでそう思う?」
「は?あたし分かるって前に言ったでしょ!?今だって使ってるじゃない!?」
「うあー…完全にいつものクセだ…やっちまったぁ…」
杏はハンドルを握ったまま天を仰いだ。荷台の荷重を打ち消す、いつものアレ。
空荷だろうが何だろうが、高速に乗れば勝手に手が、身体が動いてしまう。染み付いた貧乏性だった。
「…で?」
アオイが横目でこちらを見ている。もう誤魔化しようもなかった。
「…重力魔法の一種だよ。荷重を打ち消してる」
「なんて宝の持ち腐れなの」
「何言ってんだ。ガソリン代もタイヤ代も馬鹿にならねーんだぞ」
「へんなのー」
アオイはそう言って、またスマホに視線を戻した。
それきりだった。詰問も追及もなかった。杏は拍子抜けした気分で、ミラー越しに後ろを流れていく景色を見た。
♢
太陽も真上を指そうかという頃。今度は杏の方に顔を向けてアオイが尋ねた。
「ねえ」
「今度はなんだよ」
「笹山一等官、サキさんとこの前一緒にいたでしょ」
「あーあの日。それがどした?」
「べ、別に!仲良さそうだなーって」
アオイの声が、ほんの少しだけ上ずっていた。杏は気にも留めずに答える。
「幼馴染なんだよ。なんだかんだ言って付き合いは長いな」
「付き合いって…彼氏彼女じゃない…の?」
「んなわけあるかーい」
即答だった。あまりの迷いのなさに、アオイはかえって鼻白んだ。
(サキさんかわいそー)
あの人、絶対そんなつもりじゃないと思う。そう女の勘が告げていた。
じっとりとした視線が、運転席の横顔に注がれる。
「なんだよ」
「べっつにー」
「…そろそろ休憩するぞー」
杏はウインカーを出し、トラックを左のレーンへ滑り込ませた。
♢
パーキングエリアで缶コーヒーとジュースを一本ずつ空けて、二人はまた走り出した。
しばらくして、アオイのスマホの画面に地図が表示された。現在地を示す青い点を、アオイは指で何度かつついた。
「っていうか研究所こっちなの?」
「いや違うけど」
杏にとっては、なんの気なしの返事だったが、みるみるアオイの顔が歪んでいく。
「なんで…?はっ!サイッテー!なんてイヤラシイ!信じてたのに!」
「いやいやいやなになになに?」
「あたしまだそこまで許した覚えないんですけど!」
「はぁ…?道すがらの配送を請けただけだよ。まずは荷積み」
空のコンテナを引いて、片道何百キロを走る。運送屋の血が許さなかった。ついでに言えば、財布も許さなかった。
「またその目!心の中で!まさぐってイヤラシイ!」
「…フォーク使えないから手積みだからな。覚悟しとけ」
「…テヅミ…なにそれ?」
すれ違う二人を乗せて、トラックは高速を降り、下道を進んでいった。




