第七話
杏の頭上で警報が鳴り響く。
もう三度目ともなると、身体は考えるより先に動くようになり、周りの整備員も同じ反応だった。
『アノマリー反応を確認。北北西より接近中』
格納庫の照明の色が変わり、赤いランプが回り始める。魔導リアクターの作動音が床を伝って靴底を撫でた。
頭上でクレーンが唸り、赤と白の巨体がゆっくりとゲートへ運ばれていく。
「リーパー、乗機完了」
「防空管制・地域住民への周知よろし」
「こちらリーパー。出ます!」
隔壁が開き、外の光が差し込む。ANGERが自分の足で歩き出した。あの図体が一歩踏み出すたびに、格納庫の空気が押し出されるように揺れる。
杏は片付けをしながら、それを見送った。
♢
司令室のメインモニターに、荒野を進む影が映っていた。
「対象、市街地方向へ直進中」
「ANGER、会敵まで四十秒」
サキはヘッドセットに手を添えたまま、モニターを見上げていた。今日のアノマリーは背が高い。今までのものより一回り細く、脚が長かった。
「リーパー、いつも通りに頼む」
「こちらリーパー。ラジャー」
ANGERが土煙を上げて突っ込む。組み付く——はずだった。アノマリーは、ANGERを見ていなかった。
差し出された両腕をわずかに身をよじって躱し、そのまま歩き続けた。ANGERの指先がアノマリーの表面を撫でただけで終わる。
「…は?」
オペレーターの一人が思わず声を漏らした。
ANGERが振り返り、追いすがる。今度は背後から羽交い締めに——その腕が閉じる直前、アノマリーの肩が滑るように沈み、抜けた。歩みは止まらない。
「無視されてま…す?」
「なに?」
「対象、ANGERを目標として認識していないかと。市街地への直進を継続」
サキの眉がわずかに寄る。
「…今までと違う…?」
♢
格納庫のモニターの前には、人だかりができていた。整備員たちが手を止めて、画面を見上げている。
「なんだよあれ。マッチアップしてくんねーじゃん」
「なかなかのスルーっぷりだな」
杏は腕を組んだまま、画面を見ていた。アノマリーが街へ向かって歩いている。ANGERがしがみつこうとして、そのたびにするりと抜けられている。
嫌な予感がしていた杏の隣に先輩が並んだ。
「なぁ…やれんのか?」
杏は画面から目を離さなかった。
「遠距離だし画面越しだと…無理です」
「はぁ…うそつきめ」
先輩がメガネの位置を直す。
「いざとなったら守ってやれよ」
「…」
杏は答えなかった。画面の中で、ANGERがまた振り切られていた。
♢
「くそッ、なんなのよコイツ!」
コクピットの中で、アオイは操縦桿を叩いた。追いつける。組み付ける。押さえられない。抜けられる。何回も続くのだから、これはもう偶然ではない。
「って言っても速い…ってわけじゃない」
こっちの手を読んでいる。組み技の入りを、入る前に潰されている。
「リーパー、市街地まで八千。通常火器群、いつでも行けます」
「効かないでしょそんなの!」
無線の向こうでサキが息を吸う音がした。
「リーパー。一度離脱して——」
「やってやる!」
「なに?」
「リミッターアンロック!全系統オーバーロード」
司令室が凍りつく音が、回線越しに聞こえた気がした。
「認められない。リーパー、待——」
アオイは回線を切った。コンソールの奥にある二重の安全カバーを拳で殴りあげる。赤いスイッチが顔を出した。
「勝たなきゃ、次なんてないんだから」
カチッと意外と思えるくらいの軽い音とともにすべての計器が嬌声をあげた。
♢
「ANGER、出力上昇——リミッター、解除されました!」
「全面カット!」
「ダメです!リアクター出力、限界値を突破。上昇止まりません!」
モニターの中で、赤と白の背面ブースターが青白く光る。アフターバーナーが、点火というより爆発に近い勢いで噴き出す。
ANGERの巨体が、荒野の地面を抉りながら加速した。土が波のように後ろへ跳ねる。
追いつく。今度は肩を掴まない。腰へ、真後ろから、両腕を回して、深く。
「取った!」
アオイが吼えた。巨体が勢いそのまま片足を軸にしてアノマリーを抱えて回転する。
「おりゃああッ!」
ANGERが反り返った——ジャーマン・スープレックス。アノマリーの頭部から上半身が、荒野の地面に垂直に突き刺さり、衝撃が基地まで届く。
♢
「だからなんで肉弾戦なんだよ…」
格納庫のモニターの前で、杏は呻いた。周りの整備員たちは飛び上がって騒いでいたが、彼だけが額を押さえていた。
「三回目だぞ。毎回そうじゃねーか」
「そりゃあよ、効くからだよ」
先輩が肩をすくめる。
画面の中で、地面に突き刺さったアノマリーの輪郭が、ゆらりと滲んだ。そのまま、虚空へ溶けるように消えていく。
基地で、街中で歓声が上がった。が、その真ん中で仰向けに倒れたままのANGERだけが、いつまでも起き上がらなかった。
♢
翌日の格納庫は、静かだった。時々電動工具の作動音が響くくらいだった。
ガントリークレーンに吊るされた赤と白の巨体を、杏は下から見上げていた。
初めてここへ来た日と同じ構図だ。あの日は両腕が引きちぎれ、装甲の隙間から油圧のホースが内臓みたいに垂れ下がっていた。ひと目で「壊れている」と分かる姿だった。
今日は違う。外装には目立った傷ひとつない。塗装も剥げていない。腕も脚も揃っている。吊り上げられていなければ、そのまま歩き出しそうに見える。
胸部と背部の外殻が開かれ、その奥に、黒く煤けた機構が見えている。魔導リアクター。炉心も周りの配管もどう見ても“終わってる”感を醸し出していた。
「換装パーツは何とかなる」
先輩が図面とパーツリストをにらめっこしながら言った。
「装甲も駆動系も、消耗品のうちだ。まるまる1体新型作るレベルの損耗だけどな」
「リアクターは」
「死んでる」
杏は黙って見上げた。
「予備は」
「あるわけないだろ」
先輩が図面を閉じた。
「炉心本体なんて。配管だったら別だけどよ。ウチの予算、知ってるだろ?」
♢
「謹慎、二週間」
執務室で、サキは書類から目を上げずに言った。
「命令無視。独断専行による機体の重大損壊。本来なら乗機資格の停止及び身柄拘束まで行くところだ」
アオイは直立したまま、まっすぐ前を見ていた。
「街は守ったわ」
「ああ。守った」
「じゃあ何が悪いの」
サキが書類を置く。
「悪くない。だから二週間で済んでいる」
「…」
「リーパー」
アオイは、そこで初めてサキを見た。
「…勝たなきゃ次なんて考えられないのに」
サキは何も言わなかった。
しばらくして、書類を引き出しにしまい、静かに言った。
「以上、二週間だ。休め」
♢
「新型リアクターの受領?」
「そうだ」
サキからの説明を杏は缶コーヒーを開けながら聞いていた。
「先行研究開発してる機関に、試験段階のものが一基ある。引っ張れるようにはした」
「じゃあ送ってもらえばいいじゃんか」
「色々あるんだ。色々」
「はぁ」
「こちらから取りに行くしかない。けどあいにく人員がいない。そして」
サキが顔を上げた。
「大型免許の保持者が、この基地にひとりもいない」
杏はコーヒーをひと口飲んだ。
「あそう」
「あそう、で済まされると調子が狂うな」
「仕事でしょ?行くよ」
「…ずいぶんあっさりしているな」
「運ぶのが本業だっつーの」
杏は缶を持ったまま立ち上がった。
「車、借りてくるわ」
♢
「なんで直ってるって思ってるんだよ。アレか?俺は魔法使いか?」
修理工の親父は、油に汚れた指で工場の奥を指した。
かつて【一番星】だったトレーラーヘッドは、ブルーシートを半分かぶって隅に置かれていた。ルーフは潰れたままだし、フロントガラスは抜けたまま。
「キャビンのフレームがどうにもならん。メーカーからの納期回答待ちだよ」
「まあ、そりゃそうか」
「代車なら出せる。同じ四十フィート引けるヤツ。ただし——」
親父が親指で別の車両を示した。
「デコってねーぞ」
「この際、贅沢言わねーよ」
杏はブルーシートをめくった。潰れたルーフの鉄板に、まだそれは挟まっていた。
【一番星】。引き抜くとき鉄が鳴った。両手で持つと、ひしゃげたプレートは思っていたより軽かった。
「工場の隅、借りていい?」
親父は何か言おうとして、やめた。
「…好きにしな。ハンマーはそこだ」
万力に挟んで、裏から当て木をあてがう。一発。工場の高い天井に、音が跳ね返った。
プレートは折れているわけではなかった。ただ、山と谷ができている。二発。三発。角度を変えて、少しずつ。杏はほとんど手首だけで叩いていた。
窓の高いところから差し込む光が、床の上をゆっくりと横切っていった。腕が張ってきた頃、湯気の立つ紙コップが作業台の端に置かれた。
杏はもう一度だけ叩いて、万力を緩めた。手のひらに乗せて、目の高さまで持ち上げる。逆光にかざすと、表面にまだ細かい波が残っているのが分かった。真っ直ぐではない。
「…ま、こんなもんか」
指の腹で、文字の溝をひと撫でした。
♢
翌朝。日の出前に杏は修理工場を訪れていた。
借りたトレーラーは、なるほど何の飾り気もなかった。白一色。フェンダーもグリルもミラーも全部ノーマル。
乗り込んだ杏はダッシュボードにプレートを置いた。少し傾いた気がして、指先で位置をもう一度直す。エンジンをかける。窓を開け、煙草を咥えて火を点けた。今日は誰にも文句を言われない。
「さて」
工場のゲートを抜け、朝の道路へ出る。日はまだ低く、路面を白く光らせる。ギアを上げ、街を抜け、幹線道路の長い直線に乗る。
しばらく走ったところで、路肩に人影が見えた。大きなボストンバッグを足元に置いて、親指を立てた腕を突き出している。小柄な、女の子だった。
「ヒッチハイクとか、まだやるやついるんだな」
杏は通り過ぎ——
「…!?」
——ミラーを見て、二度見した。急制動にならないように細心の注意をはらって急いで止まった。
数十メートル先で停まったトラックに、その子はバッグを引きずりながら駆け寄ってきて、助手席のドアを叩いた。
杏はドアを開けた。
「謹慎って出歩いていいのかよ」
柚之原葵は、大きく息を吸って、堂々と言い放った。
「いいわけないでしょ。連れてって」




