第六話
杏が気がつくと昼下がりになろうとしていた。非番の日というものは、人を駄目にするようにできている。スイッチオフ。
ベッドに転がったまま、スマホと天井を交互に眺めるだけの生産性ゼロの時間を満喫していた。トラック稼業の頃は、休みといえば車の整備か仮眠だった。何もしない休日というのは、思えばずいぶん久しぶりだった。
—ピンポーン。
インターホンが鳴った。宅配の予定はない。
杏は首だけ起こし、備え付けのモニターを覗き込んで固まってしまった。
私服姿のサキが立っていた。
「お邪魔するよ。なんとまあ殺風景な」
ドアを開けるなり、サキは遠慮なく室内を見回した。
ベッド、小さなテーブル、エトセトラ、以上。確かに殺風景ではある。
「いや社員寮なんてこんなもんでしょ」
「それもそうか。冷蔵庫は…あるよな?」
サキが手土産の袋を持ち上げてみせる。
「おっサンキュー。冷やしとくよ。適当に座っててくれ」
杏は袋を受け取り、冷蔵庫へ向かった。ふと振り返ると、サキはベッドに腰掛けていた。
「好きにとは言ったけどよ」
「???」
本気で分かっていない顔だった。杏は何かを言いかけ、やめた。昔からこういう奴だ。
「まあいいや。ホラ」
冷蔵庫から出した紅茶のペットボトルを放る。サキは片手でそれを受け取り、まじまじと見つめた。
「…なんである?」
「クセだよクセ。気にすんな」
「ふ〜ん」
サキはキャップをひねりながら、こちらを見た。
「…でココには慣れたのか?」
「適応力に定評のある鈴下さんですから」
「誰からの評価なのかは聞かないでおこう」
「まあいいところだよ。みんな人がいい」
「そういうところのが定評があると思うぞ」
二人分の笑いとも吐息ともつかない音が、狭い部屋の空気を少しだけ緩めた。
杏はテーブルの前に胡座をかき、自分のペットボトルを開ける。ひと口飲んで、前から聞きたかったことを切り出した。
「大体よ?アノマリーってなんだよ?あと何でANGERは肉弾戦ばっかなんだよ」
サキは顎に手を当てて、言葉を選びながら答えた。
「…正体がわからないからアノマリーと呼称してる。あと…」
「あと?」
「肉弾戦はリーパーの趣味、だ」
「はい?」
「冗談だ。実弾も魔導兵器も効かない相手、それがアノマリーだ」
「…」
冗談の言い方まで昔と変わっていなかった。
「はっきり言って我々は防戦一方だ。だが分かったことがある」
「分かったこと?」
「アノマリーは一定時間が経過すると消失、つまり撤退している」
杏の脳裏に、あの日の光景がよぎった。虚空へ溶けるように消えた巨体。山肌のクレーター。
「…時間稼ぎか」
「リーパーの実力とANGERの最大出力があれば、勝てる可能性はあるのだが…」
「なんだよ、もったいぶって」
サキは視線を落とし、絞り出すように言った。
「…予算が下りないんだ…」
街を守る巨大ロボットの命運が稟議書で決まる—二人分の嘆きともため息ともつかない音が、狭い部屋の空気を少し重くした。
「世知辛い!」
「ウチは官民連携の企業なんだ。軍じゃない」
杏は一口飲んでから、シミ一つない壁を見つめた。
「…はぁ」
それからは、他愛のない話をした。修理工場の親父のこと。食堂のコロッケのこと。サキの部署の、名前だけ聞いても分からない誰かの愚痴。窓から差し込む陽が、少しずつ角度を変えていった。午後の時間はゆっくりと続いていく。
やがてペットボトルが二本とも空になった頃、サキが膝を叩いて立ち上がった。
「さて、帰るかな」
「おう、またな」
玄関まで見送りに出る。ドアノブに手をかけたところで、サキが振り返った。
「なあ、お互い時間も経ったんだ」
「ん?そうだな」
サキは少しだけ首を傾け、上目遣いで杏を見た。
「…私は孕んでもいいと思うのだが…どうかな?」
「なんでこのタイミングでヤンデレモード?」
サキはふっと目を細め、ドアを開けた。
「ふへへ…じゃあな」
その、ちょうど開いたドアの先。向かいの部屋の前に、鍵を手にしたアオイが立っていた。
目だけが動く。杏の部屋の中。出てきたサキ。見送る杏。アオイの顔が、みるみる赤くなった。
「おおおおつかれっ!」
バタンッ!
叩きつけるように閉まった向かいの扉を、杏はぽかんと眺めた。
「どしたんかな?」
サキはとぼけるように答えた。
「…さあ?」




