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HAKOBUNE MEETS   作者: vincent_madder
Arc-1-
3/9

第三話

事の起こりは、些細なことの積み重ねだった。


朝。寮の部屋を出ると、向かいの扉が同時に開く。

「…」

「…なによ」

「なんも言ってねーだろ」


食堂。

「げ、今日コロッケ定食?苦手なんだけど」

「俺コロッケ好きなんだけど」

「あっそ。お似合いね」


格納庫。

「ちょっと!交換パーツの置き方が雑!」

「昨日はこーやって置けっつったのお前だろが」

「言ってない!」

「言った!」

「言・っ・て・な・い!」


廊下ですれ違えば肩がぶつかり、挨拶をすれば舌を出され、差し入れのジュースを渡せば「ぬるい」と突き返される。


一週間。杏はよく保ったほうだと思う。ついにその日の昼、食堂の隅で堪忍袋の緒はブチィッと音を立てて切れた。


「おい小娘、表出ろや」

食堂がしんと静まり返る。アオイはうどんをすすりながら、上目遣いに杏を見た。


「なによ新入りがイキがっちゃって」

「ケンカ売ってんだよ。買えや」


ざわ、と周囲の空気が揺れた。ただしその揺れ方は、心配というよりも——

「おい、あそこの二人、試合決定で」

「マジか。お前どっちに張るんだよ」

完全に興行のあれそれだった。


「おうおう」

いつの間にか背後に立っていた先輩が、ツナギのポケットに手を突っ込んだまま言った。


「格納庫片付けといたぞ。やるならそこでやりな」



格納庫には、すでに人だかりができていた。

整備員、事務方、調理場のおばちゃんまでいる。


誰かが即席で書いたらしいオッズ表がホワイトボードに貼り出され、札束ならぬ小銭と缶コーヒーが飛び交っていた。


「やっちまえリーパー!今月分の小遣い全部BETしてんだぞ!」


「言われてんぞ新入り!遠慮すんじゃねーぞ!」


(この基地、平和すぎだろ)

杏は作業着の袖をまくりながら、心底どうでもいい感想を抱いた。


人垣の中央、開けたスペースに先輩がのそりと進み出る。


「はぁーい、じゃあ始めるかね。種目はみっつ。アームレスリング、パン食い競争、そしてケンカマッチ。どうする?」


「「ケンカマッチ」」

杏とアオイふたりの声が揃った。


「うおおおおおおお!!」

観衆が沸く。先輩は面倒くさそうに頭を掻いた。


「はいよ。時間制限ナシ。武器ナシ。徒手空拳のみ。噛みつくなよ?あと目・鼻・耳および後頭部への攻撃は禁止。OK?」


二人が頷く。先輩は杏の脇を通り過ぎる、その一瞬だけ声を落とした。

「——小娘ごときに魔法使うんじゃねーぞ?」


杏の背筋をひやりと冷たいものが走ったが、問い返す間はなかった。


「最近イライラしてたのよねえ」

アオイが首をコキコキ鳴らしながら、獲物を見る目で獰猛に笑う。


「憂さ晴らしさせてもらうわ!」


「これは躾。いくぞ——心の増し締め、思い知れや!」



先手は杏、のはずだった。大きく拳を振りかぶる。誘いだ。素人がやりがちなテレフォンパンチを餌に、飛び込んできたところを合わせる算段だった。


アオイは見逃さなかった。振りかぶりの初動。その一瞬に、間合いの外から矢のような飛び込みストレートが伸びてくる。


「速ッ」

杏は反射的に上体を反らす——が、拳は届く寸前でふっと消えた。

(——フェイント!)


アオイの体はすでに沈んでいた。サイドステップで左へ、視界の外へ。回り込みながら背後を取り、襟へ手がかかる。


(絞めッ——!?)

喉元に前腕が食い込む寸前、杏の体が動いた。腰を落とし、背後のアオイの襟と腰を掴む。トラック稼業の荷降ろしで鍛えた背筋が、うなりを上げた。


「おらぁッ!」

アオイの体が宙に浮く。裏投げ——というよりほとんどブレーンバスターの軌道で、少女の体はコンクリートの床へ叩きつけられた。


どんっ、と鈍い音が格納庫に響く。観衆が悲鳴とも歓声ともつかない声を上げた。

「〜〜〜〜ッッ!」


アオイは仰向けのまま、しかし目は死んでいなかった。投げ終わりで覆いかぶさる杏の顔面へ、指先が閃く。目つき。


その手首を、横から伸びた大きな手ががっしりと掴んだ。

「双方そこまで!」


先輩だった。

一瞬の静寂。それから、格納庫が爆発した。


「おいどっちの勝ちだよ!」

「金!俺の金!」

「ジャッジ、ジャッジー!」


「あー」

先輩は掴んだ手首を離し、気だるげに宣言した。


「両者とも反則のためノーコンテスト。はい、おしまーい」


巻き起こる大ブーイング。缶コーヒーの空き缶が一つ二つ飛んでくる。

先輩はゆっくりとメガネの位置を直した。


「ふむ。全員相手してもいいんだぞ?んん?」


蜘蛛の子を散らすように、格納庫には誰もいなくなってしまった。



「ったく……」

杏は服のヨレを直しながら息を吐いた。


悪くない運動だった。あの小娘、想像の数倍は強かった。あれは喧嘩の動きじゃない。仕込まれた人間の動き、伊達にパイロットまで上り詰めてない。


「おい、お前結構やるじゃ——」

顔を向けて、言葉が止まった。


アオイは立ち上がっていた。頬を膨らませ、唇を噛み、零れそうな涙を必死に堪えていた。


「…んだよ?」

「サイッッッテー!」


叫ぶだけ叫んで、アオイは踵を返し、ズンズンと出口へ歩いていく。

(情をかけられた!コロス!許せない!コロス!)


隔壁の向こうへ、足音が消えていく。


「…だから言ったのにさ」

先輩がぼそりと言った。杏はぎこちなく振り返る。


叩きつける瞬間、床とアオイの間。荷台の荷重を打ち消す、いつものアレ。一瞬だけ、誰にも見えないように。見えないように、やったはずだった。


「…先輩は、なんで知ってるんスか」

先輩は答えなかった。代わりに、顎で出口をしゃくる。


「それよりもホラ、いかなくていいの?」

「…」


杏は天井を仰ぎ、深く、深くため息をついてから——出口に向かって駆け出した。



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