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嵐と開戦

 山から流れ落ちる雨は、もはや小さな滝と化していた。

 氾濫した川から水が溢れ出し、山の岩肌は粘土状に崩れ、平地も雨水に飲み込まれている。一歩踏み出すごとに、泥水がくるぶしまで迫る。


 空は、深い闇。

 災害の真っ只中を、サイアスは歩く。

 修道士に扮した黒い服は、その闇に溶け込んでいた。

 彼は雨に打たれ、青白い顔を上げた。


 その視線の先に、待ち構えていた影があった。


「やっと会えた。サイアス」


 暗闇の中、赤い外套を纏ったベルルが立っていた。

 雨に濡れることなど、微塵も厭わない。

 ずぶ濡れの少女の佇まいは、まるで死神そのものに見えた。


 二人の距離は、わずか数メートル。

 吹き荒れる豪雨と烈風の中にあっても、二人の姿ははっきりと見え、その声は互いの鼓膜を震わせていた。


「君は……」


「人殺しに何のためらいもないのは、獣の所業。貴方はもはや、人ではない」


「なんだと……」


 サイアスは荒い呼吸のまま、ベルルを凝視する。

 そこに映るのは、その少女然とした見かけからは想像もつかない、冷徹な殺意。

 憎悪も、同情すらもない――純粋な排除の意志。


 彼は静かに左手で、自らの顔を覆った。

 指の隙間から覗く彼女は、雨の中に立つ幽霊か何かのように見えた。


「躓いた石ころを蹴飛ばしたところで、またその石ころに当たるだけ。何度蹴り飛ばしても、無くなりはしない。……あなたは、もう救えない」


 その言葉を最期に、二人の枷は完全に解き放たれた。


「疾くと駆けよ」


 ベルルの疾走が始まった。

 ワンフレーズの詠唱による魔術など、通常は大した効果は望めない。

 だが、ベルルのそれは目的のために極限まで簡略化されたものだ。本来は疾風を爆ぜさせる魔術を、自身の移動速度を上げるための追い風へと転用する高度な技術。

 数メートルの距離を詰めるのに、二秒とかからない。


「――!!」


 通常の魔術師相手なら、その瞬間にナイフで心臓を一突きして決着していただろう。

 だが、サイアスはそれよりも速く、溢れんばかりの魔力を放った。

 彼を相手にするには、二秒という時間はかかり過ぎだった。


「くっ!」


 とっさに風の指向性を近くの木へとぶつけ、強引に方向転換することで、ベルルは何とか直撃を躱した。

 

(これは魔術なんて高尚なものじゃない。ただ魔力をぶつけるだけの、粗野な砲撃だ。密度と精度は大したことないけど……この狭い場所でこの攻撃範囲は鬱陶しいな)


 ベルルは回避しながらサイアスの攻撃を分析する。

 サイアスは厳密には魔術師ではないが、魔術が使えないわけではない。

 魔術とはかつて高貴なる者の特権であった。貴族や富豪の中には、家門に伝わる門外不出の魔術を隠し持っている場合も多いのだ。


(それに……後天的なサクリファイスとはいえ、魔力総量が多すぎる)


 魔力総量――体内に保持できる魔力の上限値。

 膨大な魔力を持つ者は、生きようとする意志だけで自然治癒力や生命力を底上げする。中には身体を貫かれても、時間を置くことで回復してしまう者さえいる。


(ボクの勝ち筋は、奴の魔力が尽きるまで攻撃を叩き込み続けることだけだ)


「地に宣言する。冷なる乾なる魔よ。静寂を破り、流転せよ。大地の産声――”グランドダッシャー”!」


 地面が激しくせり上がり、泥の波となってサイアスへと襲いかかる。

 サイアスは反射的に魔力を放出し、力任せにグランドダッシャーの勢いを止めた。


(いない!? どこへ行った……!)


 土煙と豪雨で視界を奪われ、ベルルの姿を見失うサイアス。

 その瞬間、彼の真横から凄まじい衝撃が走った。


「――”餓狼牙がろうが”!」


 特技。それは技名を口にするだけの、極短のワンフレーズ詠唱。

 武器や格闘といった物理攻撃に、魔力による強化や特性を付与する技術だ。

 要するに、必殺技の名を叫んで放つのである。


「……もっとコンパクトに戦ったらどう?」


 ベルルの放った狼の牙のごとき衝撃波が、サイアスを真横から弾き飛ばした。

 吹き飛んだサイアスは背後の巨木をへし折り、そのまま地面を転がる。破壊力は十分だ。

 だが――彼から溢れ出る膨大な魔力がすぐさまその傷を繋ぎ合わせサイアスを立ち上がらせた。



  

 

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