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第28話:浮かんでくる澱と、沈んでいた記録

 ライスが翌朝漁師亭に来たのは、七時を少し回った頃だった。


 昨日より顔色が悪い。でも目は、昨日より少しだけ落ち着いていた。夜の間に、何かを決めた人間の目だ。


「おはようございますわよ、ライスさん。……昨夜のスルッツの動きはいかがでしたかしら」


 ライスが食堂の椅子に座った。今日は自分から引いた。


「スルッツは、夜の十時過ぎに組合の倉庫を開けましたわよ。一人で、三十分ほどいて、また閉めて帰りましたわよ。……普段はあの時間には動かない人間です」


(夜の十時。……スラム号が浅瀬に錨を降ろしてから、スルッツが単独で倉庫を確認した。何かを確かめに行ったか、あるいは何かを動かしたか)


「倉庫の中を確認したということですかしら」


「倉庫の確認か、あるいは移動の準備か。……スルッツが焦っている時は、倉庫を動かしますわよ。普段と違う時間に鍵を開ける時は、たいてい何かを移したい時ですわよ」


 シリルが手帳に書き留めながら言った。


「昨夜こちらの到着を把握した偵察者が、東の方向へ走ったことは、ライスさんはご存知ですかしら」


「……知りませんでしたわよ。でも、そういうことであれば」


 ライスが少し間を置いた。


「スルッツは昨夜、何かを報告されたということですわよ。それで夜中に倉庫を確認しに行った」


(帳簿が引き上げられたことを、スルッツはまだ知らないかもしれませんわよ。でも、こちらが到着したことは知った。その情報だけで、スルッツは動き始めたということですわよ)


(汚れが攪拌されると、底から澱が浮いてくることがある。今がその状態ですわよ)


「ライスさん、一つ確認させてくださいな。……スルッツは、帳簿の在処を知っていましたかしら」


 ライスが少し止まった。


「……知らないはずですわよ。帳簿は、スルッツには見せていない。スルッツが管理しているのは組合の公式帳簿の方で、私が別に作った記録は、スルッツには見えていないはずですわよ」


「ただし」


「ただし、私が長年、別に何かを記録している可能性は、薄々感じていたかもしれませんわよ。……帳簿を管理する仕事を私に任せた時から、スルッツは私を完全に信用していたわけではなかったですから」


(信用していなかったが、使っていた。……ドレインの構造の一部として機能させながら、同時に疑ってもいた。それがスルッツという人間の在り方ですわよ)


 私は扇子を少し開いた。


「昨夜の帳簿の引き上げについて、スルッツ側に漏れた可能性はありますかしら」


「……現時点では分からないですわよ」


 カスミ弁護士が書類鞄からペンを取り出しながら言った。


「カラミの旧桟橋周辺に、スルッツの目がある可能性はゼロではありませんわよ。……ただし、昨夜は潮が低かった。あの時間帯に旧桟橋の近くに人が来ることは、ほとんどないですわよ。漁師は別の桟橋を使いますから」


「では、昨夜の時点では、まだ帳簿の引き上げは知られていないかもしれませんわよ」


「可能性としては、そうですわよ」


(スルッツは、こちらが来たことは知った。でも、帳簿を手に入れたことはまだ知らないかもしれない。……この時間差が、こちらの手の中にある余裕ですわよ)


(急いで汚れを隠そうとする時、人は必ず拭き残しを作りますわよ。スルッツが焦って倉庫を動かせば、その拭き残しが出てくる)


「シリル、今日の帳簿の照合で優先すべき部分はどこですかしら」


 シリルが手帳を開いた。


「昨夜の照合で、セドゥン商会名義の架空荷物の記録が複数確認されています。……その架空荷物の「積み替え記録」が、一冊目にありましたわよ。積み替え先として記載されている倉庫番号が、カラミの廃屋の番号と一致する可能性があります」


「廃屋の番号と一致」


「はい。……カラミには使われていない廃屋が複数ありますが、帳簿の積み替え記録に出てくる番号が、カラミの四番と七番に対応していますわよ」


(カラミの廃屋が、荷の積み替え場所として使われていた。架空の荷物が、架空の名義で、カラミの廃屋を中継している。……澱が積もっている場所が、具体的に見えてきましたわよ)


「カラミの廃屋四番と七番について、現状の外観を確認することはできますかしら」


「今日であれば、表の通りから見える範囲の確認は可能ですわよ」


 ライスが少し言いにくそうに口を開いた。


「……廃屋の四番は、半年前まで時々使われていましたわよ。中を見たことはないが、夜中に人が入っていくのを、組合の仕事で通りかかった時に見たことがありますわよ」


(半年前まで。……スラム号が定期的に来ていた時期と重なりますわよ。Lがルファスのコードを封鎖した時期に、廃屋の利用も止まったということかもしれませんわよ)


「七番は」


「七番は、知りませんわよ。……ただ、番号で言うと、四番と七番の間にある五番と六番が完全に倒壊していて、近づきにくい構造になっていますわよ。四番と七番は、あの一帯では逆の端にありますわよ。間に入りにくい廃墟を挟んで、両側が使われていたということになりますわよ」


(間に入りにくい廃墟を挟む。……意図的な構造ですわよ。両側に使える廃屋を持って、中間に近づきにくい廃墟を置いた。出入りする人間が、互いの動きを自然に隠せる配置ですわよ)


「整理しますわよ」


 私は扇子を閉じた。


「帳簿の照合から分かった架空荷物の流れが、カラミの廃屋四番・七番を経由していた。スルッツは昨夜、何かを動かすために倉庫を開けた。スラム号はまだ浅瀬にいる」


 三人が私を見ていた。


「今日の午前中に、カスミ弁護士に廃屋の外観確認の申請を出していただきますわよ。正式な形で。……申請が通れば、法的に内部を確認できる根拠が生まれますもの」


「申請の名義はどういった形にしますかしら」


「帳簿の架空荷物の積み替え記録と、廃屋番号の一致。これが根拠になりますわよ。半日か一日で動けると思いますかしら」


 カスミ弁護士が少し考えた。


「フォル・ネビュラの港管理局に、旧知の担当者がいますわよ。……正式な申請書を持っていけば、今日の午後に受理される可能性がありますわよ。廃屋の外観確認であれば、そこまで手続きが複雑ではありませんから」


「では、今日の午後に申請を出して、明日の早い時間に確認できる可能性があると」


「そうなりますわよ。……ただし、内部への立ち入りは外観確認の後で別途申請が必要ですわよ」


「段階を踏みますわよ。……焦って一度に全部こすり落とそうとすると、生地が傷みますもの」


* * *


 カスミ弁護士が申請の準備に入った。


 シリルが帳簿の二冊目の照合を続けた。リタは外に出て、カラミ方向の朝の動きを確認している。


 私は食堂に一人残って、今朝の情報を頭の中で整理した。


(昨夜引き上げた帳簿一冊分の照合で、既にこれだけのことが分かりましたわよ。架空荷物の流れ、廃屋番号との一致、セドゥン商会名義。……残り二冊はまだカラミの水の下ですわよ。でも、一冊で十分な輪郭が見えてきましたもの)


(ポイッツェン伯爵の時も、証拠を全部揃えてから動きましたわよ。今回も、順序は同じですもの)


 右手の手袋の表面を、左手の指先が少し押さえた。


(まだ焼く段階ではありませんわよ。……でも、炎をどこへ向けるかは、少しずつ見えてきましたもの)


 すぐに離した。


* * *


 午前の半ばに、リタが戻ってきた。


 チャキッという音を一度鳴らして、食堂に入った。紙片を持っていた。


 私に渡した。


*カラミの四番廃屋、今朝の時点で扉に新しい南京錠。昨日は確認できなかった。南京錠の金属が光っていた(新品か、交換した可能性)。七番廃屋は変化なし。旧桟橋付近に人影なし。スラム号は浅瀬にまだいる。*


(南京錠が新しい。……昨夜スルッツが倉庫を確認した後で、誰かが四番廃屋の錠前を付け替えた。昨夜か今朝早い時間かで、廃屋に誰かが来ていたということですわよ)


(急いで鍵をかけ直した。……これは、中に何か重要なものがあるということですわよ。あるいは、移動の前に一度確認しに来た、ということか)


「シリル、これを」


 シリルが紙片を受け取った。一読して、目を細めた。


「南京錠の交換。……廃屋四番への関心が急に高まった理由が、昨夜のこちらの到着情報ということになりますわよ。スルッツが情報を受け取って、倉庫を確認して、廃屋の鍵も付け替えさせた。順序として、一晩の間に三つの動きがありましたわよ」


「慌てている動きですわよ」


「ええ。……ただし、慌てた動きは、必ず何かを残しますわよ」


(慌てて掃除した部屋には、必ず拭き残しがある。大事なものを隠そうとして、別のものを暴露することになる。……今、スルッツがやっているのはそういうことですわよ)


「カスミ弁護士への連絡を早めてくださいな、シリル。……南京錠の付け替えという動きがあった以上、申請を今日中に出す必要がありますわよ」


「かしこまりました。今すぐカスミ弁護士に伝えますわよ」


 シリルが食堂を出た。


* * *


 午後の一時前に、カスミ弁護士から報告が来た。


 申請書を持って港管理局に行き、担当者と話をしてきたとのことだった。


「廃屋の外観確認申請は、今日の午後二時付けで受理されましたわよ。……確認の実施は明日の朝に調整していますわよ」


「南京錠の件を、担当者に伝えましたかしら」


「帳簿の記録との照合で、廃屋への動きが確認されたという形で伝えましたわよ。……担当者が、明日の確認に立会人を同席させてよいかと聞いてきましたわよ」


「立会人は、どういった方ですかしら」


「港管理局の正規の確認員ですわよ。……法的には、正規の確認員が同席することで、外観確認の結果が公的な記録になりますわよ」


(公的な記録になる。……これは、私が直接焼却するより、ずっと長持ちする証拠になりますわよ。書類が残れば、同じ汚れが別の場所に出た時に対処できますもの)


「お願いしますわよ。……立会人の同席は、むしろ歓迎ですわよ」


 カスミ弁護士が少し目を細めた。


「……私が最初にお会いした時とは、随分と印象が変わりましたわよ、クレア様」


「どのような印象でしたかしら、最初は」


「もっと早く動かれると思っていましたわよ。……昨日の時点で、廃屋に直接入りにいかれると」


「申請を飛ばして、ということですかしら」


「はい」


 私は少し笑った。


「それは、じゅうたんの汚れを、じゅうたんごと燃やしてしまうような方法ですもの。……燃やした後の床が、また汚れるだけですわよ」


* * *


 午後の間、シリルが帳簿の二冊目の照合を続けた。


 私は書斎代わりに使っている部屋で、これまでの整理を進めた。


 帳簿一冊分から分かったこと。カラミの廃屋の利用実態。スルッツの昨夜の動き。廃灯台のエストの存在。霧の手紙。


(ドレインのフォル・ネビュラにおける構造が、少しずつ輪郭を持ち始めましたわよ。表面の荷捌き改竄、中間層の廃屋と架空商会、そして底の廃灯台。三層構造になっていますわよ)


(でも、ルファス岬の廃灯台の中に何があるかは、まだ分かりませんわよ。Lの拠点として機能しているとしたら、廃灯台が一番深いところにある澱ですわよ。そこに触れるのは、一番最後になりますもの)


 夕方に、シリルが報告を持ってきた。


「二冊目の前半が終わりましたわよ。……一点、追加でお知らせすることがありましたわよ」


「どんな内容ですかしら」


「ペルト・ナッハ商会という名前が、繰り返し出てきましたわよ。……セドゥン商会の架空荷物の受け取り名義として、ペルト・ナッハ商会が使われている記録が、十二件ありましたわよ」


(ペルト・ナッハ。……見たことのない商会名ですわよ。でも、ナッハという語は、スラジ語で「夜の後」という意味でしたわよ。夜の後の商会、ということかしら)


「ペルト・ナッハ商会については、フォル・ネビュラに実体がありますかしら」


「カスミ弁護士に確認しましたわよ。……商会の登録は確認できたが、実際の営業実態はないとのことですわよ。架空商会の可能性が高いですわよ」


(セドゥン商会からペルト・ナッハ商会へ。……二段階の架空商会を使って、荷物の来歴を消している。汚れた水を、複数のバケツに継ぎ移していく手口ですわよ。最初のバケツを調べても、次のバケツへの繋がりが見えにくくなっていますもの)


「でも、帳簿に両方の名前が記録されていますわよ」


「はい。……ライスさんが七年間かけて書き続けた記録だからこそ、継ぎ移しの痕跡が一冊の中に全部入っているということですわよ」


(七年間、一人で記録し続けた。……ライスが帳簿を水の下に沈めて守り続けたことが、今日の照合を可能にしていますわよ。拭き残しを出した側が自ら記録を消す前に、こちらが記録を引き上げていましたもの)


「ペルト・ナッハ商会の管理者は特定できますかしら」


「現在調査中ですわよ。……ただし、廃屋の賃貸記録と商会の登録を照合すれば、つながる可能性がありますわよ。カスミ弁護士に依頼しましたわよ」


「ありがとうございますわよ、シリル。……今夜もかかりますかしら」


「二時までには終わらせますわよ」


(あなたは毎回そう言いますわよ、シリル)


「無理はしないでくださいな」


「限度の範囲ですわよ」


* * *


 夜になった。


 ライスが夕方に一度帰って、夜の組合の鍵の動きを確認する約束をしていた。


 九時を過ぎた頃に、短い書状が届いた。ハンスという名の若い男が届けてきたと宿の主人が言った。ライスの息子か知人かもしれない、とシリルが言った。


 開いた。


*スルッツは今夜、倉庫の鍵を開けなかった。ただし、夕方に外套を着て東の方向へ歩いていくのを確認した。一時間後に戻ってきた。東はカラミと廃灯台の方向です。——ライス*


(東の方向へ。……廃灯台に行ったか、カラミの廃屋に行ったか。昨夜の偵察者の報告を受けたエストに、スルッツが直接会いに行った可能性がありますわよ)


「シリル、スルッツとエストが今夜接触した可能性がありますわよ」


 シリルが手帳から目を上げた。


「……であれば、明日の廃屋確認の前に、相手の動きが変わる可能性がありますわよ。早い方が良いか、申請を通した後の方が良いか」


「申請を通した後の方が良いですわよ。……今夜こちらが動けば、向こうは警戒して引きますもの。書類が整っていない状態で現場に踏み込んでも、証拠になりませんわよ」


「了解しました。……ただし、明日の早朝、確認の前にリタに廃屋四番の周辺を確認させますわよ。南京錠の状態だけでも把握しておく方が、対処しやすいですわよ」


「お願いしますわよ」


 チャキッ。


 リタが扉の脇で静かに頷いた。


(明日の朝に廃屋の外観確認が入る。その前にスルッツとエストが何を動かそうとしているかを見る。……今夜は待ちますわよ。澱は攪拌してはいけませんわよ。底に沈み直してから、きれいに掬いあげるものですわよ)


* * *


 夜の十時を過ぎた頃、シリルが部屋の扉を軽く叩いた。


「お嬢様、一点だけよろしいですかしら」


「どうぞ」


 シリルが手帳を持って入ってきた。


「二冊目の後半の解読で、少し面白いものが出てきましたわよ」


「面白い、というのは」


「ペルト・ナッハ商会の住所として記録されている場所が、カラミの廃屋七番と完全に一致しましたわよ」


(廃屋七番が、ペルト・ナッハ商会の登録住所。……つまり廃屋七番は、ただの荷の積み替え場所ではなく、架空商会の「本店」として登録されていたということですわよ。書類の上では、七番廃屋が商会ということになっていますわよ)


「廃屋を商会として登録していた。……申請書類の確認で、この一致は使えますかしら、シリル」


「帳簿の記録と港管理局の賃貸記録との照合で、法的な証拠として使えます。……カスミ弁護士が明日の申請に含める予定の書類に、この照合結果を追加できますわよ」


(廃屋四番に南京錠。廃屋七番がペルト・ナッハ商会の登録住所。……両方の廃屋が、明日の外観確認の対象になっていますわよ。照合結果が揃った状態で、正式な確認が入りますもの)


「よくやってくださいましたわよ、シリル」


「お嬢様がいつも仰る通り、汚れを分別してから記録するのが最初の仕事ですわよ」


「……いつもそう言っているかしら」


「行動で示しておられますわよ」


 私は少し扇子を開いた。


(行動で示している、か。……言葉には出していないが、そういう意味で動いていますわよ。ライスが七年間行動で示し続けたように、私もここで行動で示すことが、今の仕事ですもの)


「今夜はそこまでにしてくださいな、シリル。……明日が、ここでの最初の本格的な仕事になりますわよ」


「かしこまりました。……では、少しだけ」


 シリルが持っていた手帳とは別に、小さな盆を廊下から持ってきた。


(持ってきていましたわよ。……毎回こうですわよ)


「今夜は何ですかしら」


「宿の主人にお尋ねしましたところ、フォル・ネビュラの港の記録員が使う茶があるとのことで、用意していただきましたわよ。……「筆記茶」という名前だそうです」


 盆の上の茶器から、柑橘の香りが漂ってきた。


「柑橘と、炒り胡麻と、緑茶の葉を合わせて煮出したものだそうですわよ。記録をつける前に飲むと、頭が整理されると言われているそうですわよ」


(記録をつける前に飲む茶。……今日一日、記録を整理し続けた夜の最後に、記録員の茶を飲みますわよ)


「菓子は」


「「タビカ」という名前の堅焼き菓子ですわよ。港の倉庫番が仕事の合間に食べるものだそうです。全粒の麦と蜂蜜だけで焼いていて、倉庫の乾いた空気の中でも形が崩れないので、好まれているとのことですわよ」


 茶を一口飲んだ。


 柑橘の香りが先に来た。それから炒り胡麻の温かみが続いた。緑茶の渋みが最後に全体を引き締める。三段階の味だ。複雑だが、確かに頭が整理される感覚がある。


(記録するための茶、という表現がよく分かりますわよ。……今日の照合結果が、頭の中で少し整列してきましたもの)


 タビカをかじった。


 固い。最初は何の味もしないかと思うほど素朴だ。でも噛み続けると麦の香りが出てきて、最後に蜂蜜の甘みが閉じた中から現れた。急いで食べると固さしか分からない。時間をかけてはじめて分かる甘みだ。


(倉庫番の菓子。……明日、廃屋の外観確認に行く夜に、倉庫番の菓子を食べているとは)


「シリル、これは先読みですかしら」


「業務の一部と申し上げましたわよ」


「……毎回同じことを言いますわよ」


「毎回、正しいことを申し上げていますわよ」


 私は扇子を閉じた。


(明日の朝、廃屋の外観確認で、染料の溶剤の受け渡し先が特定できれば、帳簿三冊と合わせて、ドレインのフォル・ネビュラでの実態が法的に証明できる段階に入りますわよ)


(汚れを記録すること。それが、焼く前の仕事ですわよ。焼いてしまえば跡形もなくなる。でも記録が残っていれば、同じ汚れが別の場所に出た時に、素早く対処できますもの)


 タビカの最後の一つを、ゆっくり噛んだ。


 麦の香りが出てきた。最後に蜂蜜の甘みが広がった。


(時間をかけると、出てくる甘みですわよ。……今日一日がそうでしたもの。朝のライスの情報から始まって、昼のカスミ弁護士の申請、夕方のシリルの照合結果。一つずつ噛んでいくうちに、全体の甘い形が見えてきましたわよ)


「シリル、明日の段取りを最後に確認しますわよ」


「はい。朝七時にリタが廃屋四番周辺の先行確認。八時に私とお嬢様がカスミ弁護士と合流して、港管理局の立会人と一緒に廃屋の外観確認へ。……状況によっては、内部確認の申請を同日中に出すことも視野に入れます」


「スルッツの動向は」


「ライスさんが朝の時点で確認してくださいますわよ」


「ありがとうございますわよ。……では、今夜はここまでにしますわよ」


 シリルが盆を持って出ていった。


 廊下に、リタの気配がある。


 今夜もそこにいる。


(ありがとうございますわよ、リタ)


 声には出さなかった。


 筆記茶の最後の一口が、柑橘と胡麻と緑茶の渋みを全部連れてきた。


 頭が、静かに整理されていく感覚がした。


 明日の朝が、来る。


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