第74話 桜子の豪邸プラン
巨大な邸宅のリビング。
俺はふかふかのソファに腰掛け、天井まで届きそうなシャンデリアを見上げながら、つい感慨深く呟いた。
「……こうして全員で暮らせるなんて、夢みたいだよな」
すぐ隣にいた紗綾が、にこやかにティーカップを差し出す。
「でも、おじ様。ここが完成するまで、本当に大変でしたよね?」
深雪も苦笑混じりに頷く。
「ええ。桜子があんなことを言い出さなければ、きっと今も普通のマンション暮らしでしたでしょうね」
俺は思わず頭をかく。
「ああ……思い出すな。あれは数年前――桜子がとんでもない宣言をした日のことだ」
◇◇◇
季節は春。
奉龍院の本邸から呼び出された俺は、やけに豪奢な応接間に通された。
「おじ様、ようこそお越しくださいましたわ」
紅茶を優雅に口にしながら、桜子がにっこりと笑う。だがその眼差しは、何やら決意に燃えている。
「今日は相談がありましてよ」
「相談?」
「ええ。おじ様の王国を作りますの!」
「……は?」
あまりに堂々とした宣言に、俺はカップを落としそうになった。
「な、なんだって?」
「ですから! おじ様の、王国ですわ!」
桜子はバンッとテーブルに設計図らしきものを広げた。
そこには――テーマパークか城かと見紛うほど巨大な敷地図と建築プランが、びっしり描かれている。
「うおおっ!? なんだこの規模!」
「おじ様と、そのご家族が不自由なく過ごせる邸宅を建設いたします。いえ、それだけではなく。奉龍院の威信を背負い、そして未来永劫の幸福を保証する“王国”を!」
声高らかに言い放つ桜子。
深雪がすかさず眉をひそめる。
「桜子、それはさすがに大げさでは……」
「いえ、お姉さま。これは必要なことなのですわ。おじ様が社長となり、我が奉龍院と水無月が合併して新たな勢力を築く以上、その象徴となる城がなければなりません!」
「象徴って……いやいやいや、待て桜子。俺そんな大層なもの求めてないぞ」
「おじ様は求めずとも、周りが求めますの! この時代に必要なのはビジョン。そして人を惹きつける物語! 豪邸はその象徴なのですわ!」
なんだこの力説。
しかも話を聞けば聞くほど――もう建設準備が始まっているらしい。
「……桜子。まさかとは思うが」
「はい。土地は既に購入済み。建築会社にも依頼しましたわ。工事開始は来月から!」
「えぇぇぇぇぇぇっ!?」
俺は思わず立ち上がり、叫んでしまった。
隣で紅茶を吹き出す紗綾。
深雪は「やっぱりそうなったか……」と額を押さえている。
「おじ様の王国は必ず完成します。ですからどうか、ご安心くださいませ♡」
「いや、安心できるか!」
こうして俺の知らないところで――「おじ様の王国建設計画」が始まってしまったのである。
◇◇◇
俺はソファに深く座り込み、豪邸の天井を見上げながら苦笑した。
「……あの日から全部始まったんだよな」
桜子は隣で胸を張る。
「当然ですわ! おじ様のための王国建設、あれは歴史的快挙ですもの!」
「いやまあ……結果的にこうして全員で幸せに暮らせてるんだから、間違いじゃなかったのかもしれないな」
思わず口元がほころんだ。
◇◇◇
――桜子の豪邸プランが動き出してから間もなく。
俺たちはまた別の、とんでもない話題に振り回されることになった。
きっかけは、フィルだった。
「ロシア支社長、やる。フィルが適任」
ある日突然そう言い放ち、さらりと本社役員会議をかっさらっていったのだ。
「ちょっ……フィル!? 支社長って、そんな簡単に決めるものじゃないんだぞ!」
「問題無い。フィルは遊ぶ。のんびりするのが仕事。でも支社長もする。だから大丈夫」
いや、全然大丈夫じゃない。
俺は頭を抱えたが、なぜか桜子と深雪は妙に納得していた。
「……彼女、妙に人を惹きつけるカリスマがありますからね」
「ええ。海外でならあの自由さがむしろ武器になるでしょう」
そんなわけで――トントン拍子に決まってしまった。
◇◇◇
そして迎えたロシア支社の就任会見。
現地とオンラインを繋ぎ、全世界に生配信される大舞台だ。
「では、新支社長に一言お願いします」
司会者の促しに、フィルがすっくと立ち上がる。
会場のライトを浴びて、彼女は相変わらず小柄で可憐な姿だ。
しかし――その口から出た言葉は、世界中のメディアを混乱させた。
「フィルは支社長。だけど仕事は遊ぶこと。仕事は遊び。遊びは仕事」
「……はい?」
通訳が困惑して固まる。
フィルは続ける。
「社員は遊べ。よく寝ろ。よく食べろ。楽しい人が強い。だからロシア支社は最強」
その瞬間、会場にいた記者たちがざわついた。
「え、ええと……これはスローガンでしょうか?」
「革命的経営哲学?」
「いや、単なる変人発言……?」
だが、ネットは違った。
生配信を見ていた若者たちが大盛り上がりしたのだ。
《最高の支社長爆誕》
《遊ぶ=仕事、これ新時代の働き方じゃね?》
《天使みたいな見た目で言ってることがカオスすぎるw》
気が付けば世界中のSNSでトレンド入り。
ニュースサイトは「水無月ロシア支社長、天使のような美少女」とか「革命的マネジメント」とか、勝手に持ち上げて記事を乱発していた。
会見の壇上でフィルは満足げににっこり。
「ふふ。これで完璧」
「……完璧なのか……?」
俺は頭を抱えながらも、なぜかその場を支配する彼女のカリスマに圧倒されていた。
◇◇◇
リビングにて回想を終える。
俺は当時を思い出して深いため息をついた。
「結果として……ロシア支社は黒字を叩き出してるんだから、世の中わからないもんだよな」
「そうですわ。フィルさんの奇行は、逆に人を惹きつけるのですもの」
桜子が紅茶を口にしながら微笑む。
「フィルは遊ぶ。だから会社も遊ぶ。楽しい。完璧」
当の本人は相変わらず俺の膝の上でのんびりと寛いでいる。
「……まったく。お前のおかげで世界が大騒ぎだったんだぞ」
「ん。おじ様も遊ぶ?」
「いや、今は遠慮しとく」
こうして俺たちはまた一つ、忘れられない事件を経験したのだった。




