第67話 呻く龍神
どうやって調べたのか定かではないが、奉龍院桜子のメイドである蓮井と名乗る人物から俺の携帯に連絡があった。
桜子との会談から数日後の話である。
「一人で来いと?」
『はい。桜子お嬢様が是非にと……』
「なるほど、分かりました」
『それから、どうかこの事は深雪様にはご内密に』
そういって電話は切られてしまった。
内密にとは言われたが、そういう訳にもいかない。
俺はすぐに副社長室へ足を向けて深雪と紗綾にこの事を伝える。
「そうですか。では桜子のことは隆行さんにお任せするしかなさそうですね」
「いいのか?」
「私ではあの子の心を溶かしてあげることはできない。できるとすれば、それはあの子が唯一心を開いていた上の介様によく似たあなたしかいません。どうかお願いします。桜子を救ってあげてください。多分、あの子は救いを求めています」
「ああ。そのようだな。じゃあ行ってくる」
会社の業務を終えたあと、俺は今日の予定を全てキャンセルして桜子との待ち合わせ場所に出向いた。
◇◇◇◇◇
指定された場所はとある公園の高台だった。
ここは春になると桜の絶景スポットとして名所となっている。
「やあ、お待たせしたね」
「遅いですわ。人を待たせた態度ではありませんわね」
昨日の自分を全力で棚上げしている。今日の彼女は随分と子供じみている。
高台に設置された東屋のベンチに一人座った桜子は物憂げな瞳でそう言った。
一人でいるように見えるが、周りには人の気配がある。
普通の人では気がつかないほど上手く気配を隠している。
そしてこの先1キロほど離れた場所から微かな殺気を感じる。
多分、遠くからも監視しているのだろう。
それも狙撃銃のようなもので。
多分、今の俺はライフルじゃ死なないが、若干の緊張は拭えないな。
これほどの守りに囲まれなきゃいけないほどの立場。
しかし、彼女はまだ17歳の少女なのだ。
俺は彼女に子供と同じように接することにした。
恐らくだが彼女は……。
「これでも急いで来たんだ。ゴメンよ」
「ふんッ……」
俺は本題を切り出す前に少し彼女と打ち解けようと考えた。
どうにも、彼女の冷たい態度には寂しさが裏打ちされているように思える。
「もしかして、ここはおじいさんとの思い出の場所なのかい?」
「ッ!!」
桜子の身体がビクリと反応する。
やはり、彼女は寂しかったのだろう。
彼女の身体からはどうしようもないほどの寂しさと悲しみの感情が溢れている。
「一つ提案なんだが」
「なんでしょうか……」
「おじさんとデートしないか?」
「あなた何を言ってますの? 正気ですか?」
「ああ。大真面目だよ」
俺は桜子に人間らしい感情を取り戻して欲しいと思った。
深雪から聞いた話では、上の介氏が生きていた頃は、彼女も深雪や周りに辛辣な態度を取ってはいなかったそうだ。
ちょっと生意気な態度を取るませた子供。そんな印象だったらしい。
そうであるなら、彼女は人間らしい、普通の女の子と同じような過ごし方を経験して、人との接し方を変えていけば、頑なな心も少しは解けるのではないだろうか。
「デートなんてバカバカしい。私は暇ではありませんのよ」
「それは残念だ」
一回断られたくらいでは諦めない。
見た感じ、伝わってくる感情に少しの揺らぎがあった。
彼女から立ち上っている禍々しい負のオーラは昨日より和らいでいる。
「なあ桜子ちゃん」
「気安くちゃん付けなど……まあ良いですわ。どうせ言っても聞かないのでしょう? あなたといると、どういう訳か感情がざわつきますわ……」
俺の神力は女性の態度を柔らかくする性質がある。
頑なな彼女の心も少しずつほぐしていっているようだ。
その感情の動きに、自分の心がついていかないのだろう。
やはり、彼女はまだ子供だ。自分の感情をコントロールすることを覚えていない子供。
「もうすぐ、春だな」
季節は卒業シーズンにさしかかったところだ。
桜の花が芽吹くまであと少しといったところか。
「この丘は、私のお爺さまが大好きだった場所。人生で唯一の、楽しい思い出が詰まった場所ですわ……」
寂しげな横顔は、儚くもあるが、昨日のような悪鬼染みた冷たさは感じない。
俺は自分の神力をジワジワと強くしていく。
モジモジと動き始める桜花の様子はまるで何かを我慢しているかのようだ。
「少し、神力を抑えてくださいまし。そうやって私を懐柔するおつもりですか?」
「そうすれば全てが平和に収まるんじゃないか?」
ギュッと握られた拳でスカートにシワが寄る。
その表情には何か言いたい、しかし言えないといった複雑な感情が詰まっているように思えた。
◇◇◇◇◇
【side桜子】
目の前の男は事もなげにそう言った。
全てが平和に収まる。
どういう訳だか、それが一番いいのではないかという気持ちになった。
不思議な男だ。ささくれだった心が綺麗に収まっていく。
上の介お爺さまに、確かによく似ている。
顔もそうだけど、仕草や雰囲気、声の癖。
その眼差しの優しさにいたるまで。
そして何より……お爺さまの発していた神力に、本当によく似ている。
神力は心の力。
この男の心は、本当に温かくて、大きく輝く太陽のよう。
「もしも、君が心を許してくれるなら、みんなで仲良くお花見でもしようじゃないか。深雪だって、君のことを心配しているよ」
「!!」
「本当は深雪のことを恨んでなんていないんじゃないか? 心のよりどころだったお爺さんを独り占めできなくて、拗ねてただけなんじゃない?」
男の言葉が心の深い部分に突き刺さる。
自分の心なんて分からない。しかし、この男が言うことが随分と的を射ているような気さえしてくる。
「そんな、ことは……」
「本人の前じゃ素直になりにくいこともあるだろう。だから、すぐにとは言わない。いつか彼女とも話してあげてほしい。俺は、君とは争いたくないんだ」
「一つ、お願いしてもよろしいでしょうか」
「なんだい?」
「今日だけで構いませんわ。私のお爺さまの代わりになって頂けませんか……」
そんな言葉を口にしていたことに、自分でも驚いていた。
「私は、もう自分の気持ちに素直になる方法を忘れてしまいました。だけど、あなたといると不思議と穏やかな気持ちになります。あなたと一緒にいれば、その方法も分かるかもしれない」
すがるような気持ちだった。
お爺さまを失った私は、心のバランスを失って全てが憎くて仕方なかった。
もしもここで断られたら……
「勿論、いいよ。おいで、桜子ちゃん」
トクン……
それは心臓が高鳴る音だった。
お爺さまと同じ優しく大きな瞳。広い胸板が広げられる。
両手を広げて招くその胸に、私は自然と引き寄せられていた。
トスン……
倒れ込むように寄りかかる私を、この人は優しく抱きしめてくれた。
「辛かったね。寂しい思いをさせてゴメンよ、桜子ちゃん」
「ああ……お爺さま……私、寂しかった。寂しかったですわっ」
温かな手のひらが後頭部を撫でてくれる。
私が好きだった匂いがした。
懐かしい香りがした。
自然と涙が零れ、私の心が溶かされていくのが分かる。
私は、何に苛立っていたのだろう。始めからこうして素直になれていれば。
『何を絆されておる……貴様は全てを支配せし奉龍院の巫女なるぞ』
「!!」
「どうした?」
突如、私の中にいる龍神が暴れ出す。
幼い頃に声を聞いていた奉龍院の神。
守り神と称しているが、実際は呪いにも等しい醜い心の持ち主だ。
支配支配と、人の心を忌まわしい憎しみに染めていく。
思えば、私が歪んでしまったのはこいつのせいではないのか。
『矮小な人間に懐柔されてどうする! 貴様は支配する側ぞッ!』
「うるさいッ、うるさいッ!! わたくしの中で暴れないで!!」
「ソイツが君の歪みの正体か」
男は暴れる私を優しく、しかし力強く抱きしめる。
ささくれ暴れる感情が収まっていく気がした。
しかし、ざわつく龍神の神力が暴れ出して止まることを許してくれない。
『離せ下郎!!』
「グッ!」
突き飛ばされた彼が尻餅をついた。
私の意思とは裏腹に身体を支配した龍神が冷たく彼を見下ろす。
『貴様の不愉快な神力のおかげで目が覚めたわ』
「お前、何者だ。桜子ちゃんじゃないな」
『我は奉龍院を支配せし龍神よ。貴様ごときがお前呼ばわりして良い存在ではないぞ』




