第49話 裏切り者の影
翌朝。
まだ陽が昇りきらない時間から、俺は社内の調査チームと共にサーバーログの解析に取り組んでいた。
「やはり、不正アクセスは内部アカウントから行われていますね」
深雪が端末を指さす。
そこには、通常勤務時間外に操作された履歴がはっきりと残っていた。
「使用されたアカウントは……三条か」
表示された名前に、場が一瞬凍りついた。
三条は営業部の古株で、成績も安定しており部下からの信頼も厚い人物だ。
だが同時に、野心が強く、俺に対して敵意を隠さない男でもある。
「三条さんが……本当に?」
紗彩が信じられないという顔をする。
「確証はまだない」
俺は首を振る。
「ただ、これが偽装されたログの可能性もある。軽率に断定はできない」
◇◇◇◇◇◇◇
会議室。
全役員が集められた。空気は重く、全員が何かを疑っている。
「昨夜、不正アクセスがありました」
俺が切り出すと、場の視線が一斉に集まった。
「幸い流出はありませんでしたが、内部アカウントが使用されています。そこで――」
スクリーンに映し出したログを指し示す。
そこに刻まれていたのは「SANJOU」の文字。
ざわつきが広がる。
三条は椅子をきしませ立ち上がった。
「待て! これは何かの間違いだ! 俺がそんなことをするはずがない!」
「落ち着いてください、三条さん」
俺は冷静を装いながら言う。
「ただ、記録がある以上、調査を拒むことはできません」
「ぐっ……!」
周囲の視線が一斉に彼へ突き刺さる。
汗を拭いながら必死に弁明を試みる三条。
「俺が裏切り者だと? 馬鹿な! これは誰かが俺を陥れようとしているんだ!」
「その可能性も否定はしません」
俺は彼を正面から見据える。
「だからこそ、徹底的に調べる必要があるんです」
◇◇◇◇◇◇◇
会議が終わり、役員たちが去った後。
俺は窓の外を見つめながら深く息を吐いた。
「隆行さん……」
背後から紗彩が声をかける。
「分かってる。まだ決めつけるには早い」
俺は答えた。
「だが、敵は必ず社内にいる。三条か、それとも別の誰かなのか……」
フィルが一歩前に出て、真剣な眼差しで言った。
「隆行、気を付けて。これは罠。誰かが、わざと三条に疑いをかけてる」
「……やはりそうか」
心の奥で小さな警鐘が鳴る。
本当の裏切り者は、まだ影の中に潜んでいる――。
翌日。
社内は不穏な空気に包まれていた。
三条が不正アクセスの疑いをかけられたという噂は、役員会からわずか数時間で全社に広まっていたのだ。
「……誰かが意図的に流しているな」
俺は低くつぶやく。
本来なら極秘扱いのはずの情報が、社員の耳に入るのはおかしい。
まるで誰かが三条を追い詰めるように、意図してリークしているようだった。
「隆行さん、こちらをご覧ください」
深雪が差し出したのは、監視カメラの映像だった。
夜間、誰もいないはずのオフィスで、黒い帽子を目深にかぶった人影がサーバールームに入っていく。
「顔は……映ってないのね」
紗彩が眉を寄せる。
「ああ。だが、問題はこれだ」
俺は指で映像を止めた。
人影が操作を始める直前、ポケットから社員証を取り出す――そこに刻まれていたのは確かに「SANJOU」の文字だった。
「完全に三条を陥れるための偽装ね」
深雪が冷静に断言する。
「でも、どうして三条さんなんでしょう?」
紗彩が首を傾げた。
「……三条は俺に反感を持っている。敵からすれば“疑われやすい人物”だからだ」
俺は答える。
「つまりこれは――俺を揺さぶるための罠だ」
◇◇◇◇◇◇◇
その日の夜。
俺は三条と二人きりで会うことにした。
「……お前か。俺に疑いをかけたのは」
開口一番、三条は低い声で吐き捨てた。
その目には怒りと、ほんのわずかな怯えが混ざっている。
「違う。むしろ俺は、お前がはめられたと思っている」
そう告げると、三条は一瞬きょとんとした顔をした。
「……俺を、信じるのか?」
「信じるとは言っていない。だが、少なくとも“犯人に仕立てられている”のは確かだ」
三条はしばらく黙り込み、やがて苦々しい声で吐き出した。
「……くそ。俺も馬鹿だな。お前のことを敵視してたせいで、こんな時に誰も俺を信じてくれねえ」
「だったら、潔白を証明するしかない」
俺は手を差し伸べた。
「お前が本当にシロなら、一緒に犯人を暴こう」
三条は俺の手を見つめ、そして小さく笑った。
「……皮肉だな。俺の嫌いな男に救われるとはな」
その瞬間。
背後の物陰で、わずかな物音が響いた。
俺は即座に三条を庇い、声を張り上げる。
「そこにいるのは誰だ!」
闇の中から現れたのは――見慣れたはずの社員の顔。
だが、その目には確かに敵意が宿っていた。
暗がりから現れたのは、営業部のエース――加賀見だった。
普段は温厚で人当たりがよく、部下からの信頼も厚い。だが今、彼の顔に浮かんでいるのは、仕事中の笑顔とはまるで別人のような冷ややかな笑みだった。
「……まさか、気づかれるとは思わなかったよ」
加賀見は肩をすくめ、軽い調子で言った。
「加賀見……お前が黒幕なのか」
俺は低い声で問い詰める。
「黒幕だなんて大げさだな。ただちょっと――会社の流れを変えてみたくなっただけさ」
「そのために三条を陥れたのか?」
三条が吠えるように問い詰める。
しかし加賀見は怯むことなく、逆に愉快そうに笑った。
「三条先輩。あんたは昔から真面目すぎるんだ。真面目なやつは出世の道を邪魔する。それに……あんた、篠宮さんを敵視してただろ? なら利用しやすかった」
「……俺を、利用しただと?」
三条の拳が震える。
「お前の社員証を複製して、監視カメラに残るよう仕組んだ。あとは噂を流せば勝手に人は信じる。簡単なことだ」
加賀見はこともなげに言った。
紗彩と深雪は黙って聞いていたが、その目は鋭く、相手の一挙手一投足を逃さない。
「でも、あなたは何のためにこんなことを?」と紗彩が問う。
「目的? 決まってるだろ。俺が“次の役員”に選ばれるためさ」
「……っ」
俺は息を呑んだ。
役員昇格をめぐる権力争い――そのためだけに、同僚を陥れ、会社全体を混乱させたというのか。
「くだらない……!」
三条が怒鳴り声を上げ、加賀見に詰め寄ろうとした瞬間、加賀見の手がわずかに動いた。
ポケットから取り出されたのは、小型のスタンガン。
「近づくな。あんたらに恨みはないが、俺の邪魔をするなら容赦しない」
静まり返る空気。
緊張が張り詰める中、俺は一歩前に出た。
「加賀見……お前は勘違いしてる」
「何を?」
「出世は、人を蹴落として得るものじゃない。人を信じ、支えてこそ、本当の力になるんだ」
俺の声に、背後の三条も、紗彩も深雪も頷いた。
その瞬間、加賀見の瞳にわずかな揺らぎが走った。




