第48話 影の妨害者
海外支社での裏切り者摘発から数日後。
社内はまだざわつきが残っていたが、誰もが「次に進まなければ」と思っていた。
「今日が勝負の日ですね」
深雪は黒のスーツに身を包み、いつも以上に凛々しい表情をしていた。
「この契約を取れなければ、私たちの努力が水の泡になります」
巨大財閥との商談。
それは、この国での拠点を盤石にするために絶対必要なものだった。
「心配いらない。俺たちならやれる」
俺は自分に言い聞かせるように言った。
「隆行さん、緊張してます?」
紗彩が柔らかな笑みを浮かべる。
「大丈夫。私が隣にいますから」
フィルは一歩前に出て、まっすぐ俺を見つめた。
「隆行。心配いらない。この契約、必ず成功させる。フィルが保証する」
◇◇◇◇◇◇
会議室に入ると、重厚な空気が漂っていた。
長テーブルの先に座っているのは、この国の有力財閥・リュオウグループの総帥。
その隣には、鋭い眼光を放つ幹部たちがずらりと並ぶ。
「篠宮さん。あなた方がこの契約にどれほどの価値を見出しているか、見せてもらいましょう」
総帥の声は低く、威圧感を持っていた。
「……覚悟のほどは?」
挑発するような視線に、会議室の空気が張り詰める。
だが――
「覚悟ならあります」
俺ははっきりと声を出した。
「私たちは、この国と共に未来を作りたい。そのために、御社との協力は不可欠です」
幹部たちは互いに視線を交わす。
一人が口を開いた。
「だが、あなたたちの会社には不穏な噂もある。内部での不祥事、裏切り者……。本当に信頼してよいのか?」
「心配無用です」
深雪がすかさず口を挟む。
「その不祥事も裏切り者も、すでに摘発済み。むしろ我々は、どの企業よりも透明性を重んじています」
「言葉だけなら誰にでも言える」
別の幹部が冷笑した。
そこで、紗彩が一歩前へ。
「では、証明いたしましょう。私たちの誠意を、実際に」
彼女は準備していた資料を広げる。
そこには数字だけでなく、現場社員の声、顧客からの評価、そして未来への具体的なプランが描かれていた。
「これは……」
幹部たちの目がわずかに動いた。
さらにフィルが、淡い光を放つ瞳で総帥を見つめる。
「この人たちは嘘をついていない。信じていい」
短い言葉。しかし、その響きは力強かった。
沈黙が数秒流れ――
「……いいだろう」
総帥はゆっくりと頷いた。
「篠宮さん。契約を結ぼう」
その瞬間、緊張していた空気が一気に解けた。
「やった……!」
紗彩が嬉しそうに微笑む。
深雪は小さく息を吐き、フィルは無言のまま拳を握っていた。
(これで、俺たちは一歩前に進んだ。だが――)
心の奥に、不穏な気配がまだ残っていた。
裏切り者は排除した。大きな契約も勝ち取った。
けれど、これで全て終わったわけじゃない。
むしろ――ここからが本当の戦いなのだ。
巨大契約の調印から数日後。
俺たちの社内は祝賀ムードに包まれていた。社員たちは口々に「これで未来が明るくなる」と喜び、現場も活気を取り戻していた。
だが――
「……どうも、妙な気配がします」
深雪が小声で告げる。
彼女の瞳は鋭く、書類を持つ手は微かに震えていた。
「妙な気配?」
俺が問い返すと、深雪はゆっくりと頷いた。
「社内の空気が少し重い。誰かが意図的に不安を煽っているような……そんな感じです」
「つまり、まだ敵が残ってるってことか」
紗彩が腕を組む。
「契約成立で喜んでるのはいいけど、外からの妨害はこれから本格化するかもしれませんね」
フィルは椅子に腰かけたまま、静かに目を閉じていた。
「隆行。フィルも感じる。遠くから、強い悪意が流れ込んでる。たぶん……狙われてる」
「狙われてる……俺たちが?」
「うん。契約に不満を持つ勢力。自分たちの利益を奪われた人間たち」
嫌な予感が胸をよぎった。
せっかくの成功を、誰かが水泡に帰そうとしている。
◇◇◇◇◇◇◇
その日の夜。
社長室に戻った俺は、机の上に置かれていた一通の封筒を見つけた。
差出人不明。赤いインクで「警告」とだけ書かれている。
「……物騒だな」
中を開くと、そこには一枚の紙が入っていた。
――契約は無効になる。
――お前たちは間違いを犯した。
――次はない。
たった三行。だが、その不気味さは十分だった。
「隆行さん、それ……」
背後から声を掛けてきたのは紗彩だった。
俺は無言で紙を渡す。
「……こんな脅迫文を」
紗彩の表情が険しくなる。
「フィル、どう思う?」
「うーん……ただの脅しかもしれない。でも、油断は禁物」
深雪は腕を組み、目を細めた。
「契約を潰したい勢力が動き出したのは間違いありません。これからは、こちらも備えを固めるべきです」
俺は三人の顔を見渡した。
心強い仲間たち。だが同時に、彼女たちを危険に巻き込みたくはない。
(それでも……俺は逃げられない。俺が先頭に立って守らなければならない)
「分かった。どんな妨害が来ても、必ず守り抜く。みんなを、そしてこの会社を」
強く言い切ると、三人はそれぞれ頷いた。
「隆行さんの覚悟、信じます」
「私も。だって隆行さんは、絶対に私たちを裏切らない人だから」
「うん。フィルも信じる」
――嵐の前の静けさは、もう終わろうとしていた。
翌日。
社内はいつも通り業務に追われていた。契約が決まってからは忙しさも増し、社員たちの顔は疲れながらも明るい。
しかしその裏で、確実に不穏な動きがあった。
◇◇◇◇◇◇◇
「隆行さん、大変です!」
慌てた様子で深雪が駆け込んできた。手に持っていたのは分厚い資料ファイル。
「どうした?」
「契約内容の一部が、外部に漏洩している可能性があります」
「なに……!?」
机に置かれた資料には、俺たちが締結したばかりの契約内容の要点が記されていた。
社外秘、社長室と一部の役員しか知らないはずの情報だ。
「内部の誰かが……?」
紗彩が苦い顔をする。
「外部に流すなんて、裏切り者がいるってことじゃないですか」
「でも、どこから漏れたのかが分からない」
深雪は冷静に分析する。
「社長室のデータベースに不正アクセスの痕跡はありませんでした。つまり……」
「人の手で持ち出された」
フィルがぽつりと呟く。
ぞくりと背筋が冷えた。
誰かが直接、書類をコピーして持ち出した。
つまり、社内に敵が潜んでいる――そういうことだ。
◇◇◇◇◇◇◇
昼過ぎ。
社長から呼び出され、俺は役員会に同席していた。
「篠宮君、どういうことだね?」
社長の声は低く抑えられていたが、その眼差しは鋭い。
「契約情報の一部が外部に流れたと報告を受けている」
「確かに事実です。ですが、まだ流出経路は特定できていません」
俺は冷静に答える。
隣のゲオールグ氏が唸るように言った。
「内部に裏切り者……許せんな」
「誰が、何のために?」
役員の一人が声を上げる。
「契約を潰したい勢力がいるのは確かだが……」
「相手は強大です」
俺は視線を上げ、はっきりと言い切った。
「外部からの圧力も、社内からの妨害も、これからさらに強まるでしょう。ですが――必ず守り抜きます。この契約を、そして仲間を」
社長はしばし黙って俺を見つめたのち、口角をわずかに上げた。
「……いい覚悟だ。ならば託そう。敵の動きを暴き、対処してくれ」
「承知しました」
◇◇◇◇◇◇◇
その夜。
フィルが俺の隣に座り、静かに囁いた。
「隆行、気をつけて。敵は、もうすぐ動く」
「……感じるのか?」
「うん。強い悪意が近づいてる。明日か、明後日か……きっと何か起こる」
彼女の瞳は夜空のように深く、真剣だった。
俺は彼女の手を握り返し、心に誓う。
(来るなら来い。絶対に負けない。俺には、仲間がいる)
嵐は、すぐそこまで迫っていた。
翌日――。
その日は朝から妙な空気が漂っていた。
普段なら和やかな笑顔を見せる社員たちが、どこか落ち着かない様子でパソコンを覗き込み、電話対応に追われている。
「どうしたんだ?」
俺が声をかけると、部下の一人が振り返り、不安げな表情で答えた。
「サーバーにトラブルが出てまして……契約データの一部が消失した可能性があるんです」
「なんだと!?」
胸の奥がざわついた。
昨夜フィルが言っていた「敵が動く」という言葉が脳裏をよぎる。
◇◇◇◇◇◇◇
急いで確認に向かうと、サーバーの管理室は騒然としていた。
警告音が鳴り響き、技術スタッフたちが慌ただしくキーボードを叩いている。
「状況は?」
俺はリーダー格の社員に問いかける。
「篠宮さん! 今朝方、不正アクセスがありました。ログを調べたところ、外部からの侵入ではなく……内部アカウントが使用されていた形跡があります」
「内部……やはり」
つまり、裏切り者が社内にいる。
「ただし不幸中の幸いで、完全な消去には至っていません。データの一部はバックアップで保全されています。ただ、このままだと契約相手に不安を与えかねません」
唇を噛み締めた。
契約先に知られれば、こちらへの信頼は一気に揺らぐ。敵の狙いはそこだ。
「篠宮さん、契約先から電話です!」
深雪が駆け込んできた。
「……繋いでくれ」
受話器を取ると、重い声が響いた。
『篠宮さん。我々のデータが流出したと聞いたが、本当か?』
心臓が一瞬止まりそうになる。だが、すぐに落ち着きを取り戻した。
「ご安心ください。流出はありません。データの一部にアクセス障害が生じただけで、現在は完全復旧に向けて動いています。内容そのものに損傷はございません」
『……そうか。しかし、社内に不穏分子がいるのではないか?』
「確かに可能性はあります。ですが、必ず排除します。むしろ、これをきっかけに内部の浄化を進め、より盤石な体制を築くとお約束します」
数秒の沈黙。
やがて相手は低く笑った。
『……いいだろう。だが次はない。全て君に任せるぞ』
「承知しました」
通話が切れると同時に、背中を汗がつたった。
◇◇◇◇◇◇◇
部屋を出ると、廊下で待っていた紗彩が心配そうに俺を見上げてきた。
「隆行さん、大丈夫でしたか?」
「ああ。何とか信用は繋ぎとめた。でも……これで決まったな」
「決まった……?」
「敵は本気だ。契約を潰すためなら、手段を選ばない」
俺は拳を握りしめた。
「こちらも腹を括るしかない。裏切り者を突き止める。そして必ず、守り抜く」
その言葉に、フィルが力強く頷いた。
「隆行、フィルも手伝う。絶対に負けない」
仲間の眼差しに背を押され、俺は覚悟を新たにする。
――次に来る嵐は、もっと大きい。




